時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

モデルナワクチン 2回目 中高年 男性の場合-1

9:45接種。針が刺さったはずなのに痛みがまったくなく、「えっ、終わったの?」という感じ。接種を担当した、温厚そうな笑みをたたえた老齢の医師は注射後「1回目の時副反応はでましたか?熱とかでました?」と。「注射した部位と腕が痛、重になったくらいです」と答えると、満面の笑みで「じゃぁ、今回も大丈夫ですよ。もし痛みや熱とか出れば、痛み止め飲めばいいから」というので「ロキソニン買ってあります」というとうんうんとうなづく。副反応のニュースが多いから安心させようというメンタルケアだな、と思いつつ、柔和な笑顔に向けて力いっぱい感謝のことばを伝えた。

 その後、副反応が出る前に、主がいなくてしばらく乗っていない娘の自転車の空気を入れたり、メンテナンスがてら、近場を一周したりして、昼食。その後高校野球を観ながらうとうとしたりして、15:45、接種後6時間。上腕に1回目とよく似た鈍痛があり、前腕部にも鈍痛を感じる。ちょっと腕があげづらい。この日は、どうしても参加しないといけない用事があり、16:00にロキソニン60mgを1T服用して外出。用事は思いのほか時間がかかったりして、飲まず食わずで20:30まで。接種後ほぼ11時間、服薬後ほぼ4時間経過したが、腕の痛みもほぼ消失していてなんともない。

 9:45に帰宅。接種後12時間。服薬後約6時間。痛みや熱っぽさはないが、風邪のひきはじめのような鼻水が少しあって、何度か鼻をかみながら食事。その後シャワーに行き、身体が温まると鼻水は止まった。

 さて、腕の痛みはないし、熱っぽさもない。頭痛もない。少し頭が重い気がするが、休みをだらだらと家で過ごした日はたいていこうなるので、副反応かどうかわからない。

いずれにしても先の服薬後4時間は超えているので念のためにロキソニンを飲んで寝る。

 ちなみに大学で職域接種をした20歳男子は、朝の9時に接種した後、その夜は、背中が痛くて息苦しかったと。

 職場の40歳女子は翌日はもちろんその翌日も39度の発熱と頭痛、倦怠感があり会社を休んでいたので、それと比べると当方の症状はかなり軽い。職場では、若い人の方が副反応が強く出るからといって、若者ぶって出てもないのに熱出たとかいわないでね、と軽口を叩いていたが、同時期にモデルナを接種した40歳女子には副反応が出て、40歳男子の方は特に何もなかったと聞いている。この調子だとワクチン接種が「老人の証明」になってしまいそうだ。副反応でるよりいいけど。

五輪は成功した!というけれど、成立した!という段階の気がするのだが。

  珍しい競技を観れるスポーツの国際大会の観戦。これは掛け値なしに極上の娯楽であり、感動も興奮も味わえて、選手の皆さんには大いにエールを惜しまないのだが。

 政治家はともかく、わりとマスコミでも、まずは五輪は成功したが、感染がー、とか、運営がー、という声が多い。

 うーん、けどこの段階で「成功」と言い切っていいのだろうか。成功かどうかを判断できるにはまだ時間がかかるのではないだろうか。

 この段階で言えるのは「まずは無事成立した」ということではないか。

五輪自体が途中で中止になってしまうこともなく、ある競技の決勝戦が選手の感染等で開催できず、勝者未定のまま終わるとか、競技への参加や進行に対する不公平感や問題が大きく取りざたされ、決定した順位が無効になるとか、五輪記録ではなく、参考記録という判断が下されるとか、まぁ、何があってもおかしくない中での大会だった。

 そんな中、すべての競技が決勝戦まで行われ、無効になる記録もなく、「五輪を開催しました」という事実が得られた。まずは「成立してよかった」という段階ではないか、と思うので「成功した」といわれると違和感を感じてしまう。

 少なくとも、運営体制やカネの流れがいろいろばれてしまったのは、功罪の功の方だと思う。これからいろいろ明かされていけばいいと思っていたら、テレビ朝日のクルーが打ち上げをしたのがばれて大失態。なのにお盆の行事をするなと大臣。

 ええかげんにせえや、こっちはお前らが思うほどアホちゃうんやぞ、と思ってしまった。アホほど暑い中、あほらしい日々が続く。

 

読書メモ 世田谷一家殺人事件 銘肌鏤骨 青志社 2020年10月

 事件から20年が経ち、犯行現場である被害者宅が取り壊されるというタイミングで書かれたもので、著者にしては、同じ事件をテーマにした前著に続く続編である。

 この事件で警察の初動に問題があったことは多くの指摘がされている。あまりにも多くの遺留品があったため、早々に犯人が見つかるという予測が捜査側にあったらしい。

 それが迷宮入りになってしまうというのだから、いろいろ言われているように、外国籍のプロの仕業と思わざるを得ないのかもしれない。被害者と犯人を直接結び付ける利害や怨恨の線を追っても犯人にはたどり着けないようだ。

 そういえば「餃子の王将」の社長が射殺された事件も、犯人が捕まったという話は聞かない。本書にも、日本で暗躍する外国の闇の組織や人物について触れられているが、本当にそういう組織や人物がいるのかもしれない。そういう組織や人物にとって、日本は「仕事」がしやすいのだという。恐ろしいことである。

 

 

読書メモ 駅に泊まろう 豊田巧 光文社文庫 2020年9月

 北海道の比羅夫という駅には、駅舎を用いた民宿が実際にあるらしい。

駅舎といっても廃駅ではなく、JR函館本線の現役の駅で当然列車も停車する。「駅の宿いらふ」という。

 さて、本書である。最初はタイトルを見て、終電が去った駅で野宿しながら旅をする話かと思ったが、その比羅夫駅の宿を舞台にした小説である。

 あとがきのよれば、作者も実際にこの宿に泊まったことがあるらしく、駅の宿の描写は旅のガイドブックのように正確らしい。ただし登場人物は完全にフィクションで、そこで起こる物語も、肩の凝らないかわいらしいお話だ。

 作者は「電車でGO!」というゲームの制作に関り、その後小説家に転身。代表作に、少年向けの鉄道小説「電車で行こう」のシリーズがある。鉄オタの息子の愛読書だった。

 とはいえ、本書の鉄分はさほど濃くはない。鉄道旅の入門編程度の鉄分である。なので、鉄オタにはあっさりしすぎかもしれないが、鉄道そのものが主題ではないために、オタクくささやマニアックさはなく、鉄道ファンも、そうでない旅好きの方にも、どなたにでも楽しんでいただける、という感じである。

 私もかつて、冬は鉄道で、夏はオートバイで、北海道は何度も訪れたので、懐かしい気持ちで読むことができた。

 同時に読んでる本が、あまりにも怖い本なので、この小説が持つ「ほんわかさ」は心の癒しになる。

 この夏も、旅はおあずけのようなので、このかわいらしい本で、かわいらしい人たちと出会って、しばし旅気分を味わってみるのもいいかもしれない。

 

読書メモ 小説家になって億を稼ごう 松岡圭祐 新潮新書 2021年3月

 人気作家が売れなくなると書くのが小説指南書だとか聞いたことがある。それにしては、タイトルが弾けてるなぁ、と思って読んでみたら中身も弾けてた。

 Ⅰ部の小説家になろう編では、教科書的な内容ではなくキャラ設定から空想を広げていく作者オリジナルの方法を紹介し、細かいハウツーがふんだんに散りばめられている。それだけでなく出版社への売り込み方や編集者とのやりとりまで、たぶん他の類書には書かれないだろう実践的知識が書かれていて新鮮だ。

 

 Ⅱ部の億を稼ごう編では、デビューしたという前提から、出版社や編集者とのかかわり方や、出版ビジネスに携わる業者としての、彼らの生態や考え方をつまびらかにしながら語っていく。出版契約書を結ぶ際の注意事項や、プロモーションへの介入の仕方、サイン会でのふるまい方や自著が映像化される場合の取るべき態度などまでが、リアルに書かれている。ここいらは実際に作者が経験したことなのだろう。これを「小説家としてデビュー以来経験したことのドキュメンタリーやエッセイ」としてではなく、小説家を志望する人たちへの指南書という体裁で書いたところに作者のアイデアがある。

 読めば、小説家に対するハウツーもさることながら、出版社や映画製作の裏側が作者側からの目線で赤裸々に綴られていて、百田尚樹氏が「夢を売る男」という小説であらわにした「自費出版ビジネスの裏側暴露」にも通じるところがあって面白い。

 ほんのわずかだがかかわったことのある業界だけに、書かれていることが、作りごとでもなく、大げさにデフォルメされているわけでもなく、大なり小なり、こんなものであろうことはわかる。小説家になる気がない方も、業界の裏話として読めば興味がそそられるのではないか。

 作家や文化人がテレビに呼ばれてインタビューを受けるときの出演料の相場まで書かれていて、なるほどそんなものかと妙に納得したのであった。

読書メモ その話は今日はやめておきましょう 井上荒野 2018年 毎日新聞出版

 夫が定年退職してしばらくたった中高年夫婦が、クロスバイク(スポーツタイプの自転車)趣味にしてサイクリングを始めました、というところから始まる話。自転車が重要な小道具として登場する小説、しかも、レースの話ではなくクロスバイクでのチャリ散歩、ということで読んでみたくなった。72歳の夫と69歳の妻、子どもは独立していてふたり暮らし。自転車にも慣れてそれなりに楽しめるようになったころ、ふとした出会いがあり物語が動き出す。

 中高年夫婦にはきっとあるんだろうと思えるような小さな、しかし、リアルなエピソードが丁寧に語られる中に、異分子が侵入することで平穏な日常に小さな波が立つ。

 この夫婦は、普通の人よりは裕福そうで、出来事も彼らにはさざ波程度ではあるのだが、そこを無視しても、歳を取るってことはこういうことなんだな、という思いがした。

 特段良くもない。かといって、悪くもない。でも確実にいろいろなものは落ちて行っている。抗うのもみっともないが、あきらめるのはまだ嫌だ。まだ頭で理解しているくらいで実感の乏しい「老い」というものをじわっと見せてくれた。さて、どういう老いが待っているのか、どういう付き合い方ができるのか。正直、楽しみはない。怖い、怖い。だから、その話はやめておきましょうってことなのかな。「今日は」ってことは、「明後日」には、やめずに話さないといけないのかな。怖い、怖い。

 

5月5日は ″こども” の日 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 はじめての子供で、予定日は5月12日。来週はさすがにビールも飲めないだろう、ということで、ゴールデンウィーク真っ只中の5月4日。お友達を誘って焼き肉食べ放題飲み放題に行った。これが出産前の最後の飲み会だとかいいながら。

 あほである。けど、その時は、妊婦さんだからと、いろいろセーブしているつもりだった。けど、不安がたかまってる感じがしたので、連休中だし、ぱっと気晴らしでもしよう、ということになったのだ。知識がないというのは恐ろしいものである。

 家から徒歩圏の焼き肉屋で、いつものように、わいわいと飲んで、食って、もうしばらくはこういうこともできないなぁ、などとのんきなことを言って、ご機嫌さんで家に帰った。

 帰り際、お友達たちに「いよいよ来週やな」「気を付けてね」「がんばって!」「お祝い何がいい」「生まれたらすぐ連絡してくれよ」などと声をかけてもらいながら。

 

 すっかりご機嫌になって、家に帰ってしばらくしてからである。奥さんが、おなかが痛いと言い出した。これはもしかしたら、もしかするかもしれない。ということだ。えー、来週なんちゃうん。いや、これはそうかも。いや、そうだと思う。痛い!病院に電話してー。

 となって、慌てて病院に電話した。そしたら病院の人がこういった。

「来てもらうのはいいんですけどね。今、夜の11時半なんですよ。今来られてすぐに入院ってなったら、1日分の入院費の支払いが発生してしまうんですよね。だから、あと30分我慢できませんかね。日付が変わってからの入院にされた方がお得ですよ」

 「…て病院の人がいうてるけど我慢できるか?あと30分がまんしたら、入院費1日分安くなるんやて」

 「わかった、我慢する」

 おーい。我慢するんかい!と今の私は、過去の若夫婦にツッコミを入れてしまうのだが、当時のあほな若夫婦は時計睨みながら必死に我慢して、「よっしゃ、もうええやろ」となってから車で病院に駆けつけた。病院は家からすぐ近くで、日付が変わったのを確認してから、夜間出入り口で「電話をしたものです!」と告げて病棟に運んでもらった。

 そこから診察があり、分娩の準備が始まり、待機室でおろおろして、午前4時半に娘が生まれた。5月5日の端午の節句だった。

 焼き肉屋から帰ってからの、怒涛のような5時間だった。私は、仕事にかこつけて、父親教室に参加しなかったので、分娩の立ち合いはできなかった。待機室で待っていたら助産師さんが呼びにきて、分娩室に入った。分娩台に乗った汗だくでふらふらの奥さんと、小さい赤ん坊がそこにいた。

 それから23年。あほな若夫婦は、もっとあほな中年夫婦になり、相変わらずビールは暮らしに欠かせない、という生活ぶりなのだが、娘の方はといえば、ノンアルコールですら口にしない。アルコールは体質に合わない、たとえわずかでも、飲めば気分が悪くなる、ということだ。まぁ、まぁ、そういわずに、と成人して後に奥さんが何度か勧めていたが、頑として飲まなかった。

 そうかもなぁ。そうやわなぁ。

 予定日より一週間も早く、ビールに押し出されるようにしてこの世に出てきたわけだから、「もうビールは生まれる前に一生分飲みましたわ。ビールの海でおぼれ死ぬかと思いましたで」くらい言ってほしいのだが、「その話は何回も聞いた。関係ないから」と冷たくあしらわれてしまう。

 あほは少し遺伝してしまったようだが、いまのところ心身ともに健康に暮らせているので、良かったことにする。

 ちなみに、弟の方は、里帰り出産をしたのだが「昼に餃子を山盛り食べたらその日の夜にいきなり出てきた」ということだ。だからというわけではなく、私が好きだから、事あるごとに餃子の王将に誘うのだが、回転寿司の方がいいといって、あまり付いて来たがらない。こちらも一生分食っちまったのかもしれない。

 

チャリ散歩で堺の港と浜寺公園。

f:id:chariwalker:20210725215845j:plain

 35℃を超える猛暑。暑い。けど行かねばならない。夏に日焼けしておかないと冬に風邪をひく。

 んなアホな、って感じなのだが、昔はそんなことを大人が真顔で言っていて、子どもはみんな信じていたのだ。今なら、シミができる、熱中症になる、どころか、皮膚がんになると脅されるのだが、やはり夏は太陽と遊ぶのだ。

 といっても誰も遊んでくれなくなったので、一人で遊んでいるのだが。

 港も、公園も、人が少なかった。プールもやってないし、バーベキューも禁止だ。港には「警戒船」という赤い旗をたてた船が一艘巡行していた。何を警戒しているのだろう。いずれにしても、一人遊びの人間には、快適な環境ではある。それが世の中としていいのか、悪いのか、よくわからないが。

  そういう中で、目立つのが、若めの爺さんだ。ほどよい木陰のベンチを探して公園の中を自転車で流していると、そういうベンチには必ずと言っていいほど、爺さんが座っている。暑い盛りに公園に来ているのだから、元気なのだろうが、見た目はおっさんを少々超えて、爺さんの域にかかっている。休日の図書館にもたくさんいるが、家事能力がないので、家にじっといても邪魔になるだけなのだろう。

 こちらも似たようなものだ。自分の方が、木陰のベンチの若めのジジイよりはほんのちょっと若そうなので、涼し気な木陰のベンチは先輩に譲って、日が差すベンチで蝉の声のシャワーを浴びながら、わずかな風に涼を楽しむ。

 

菅さん、それはあかんよ。

 始まってしまえばスポーツ観戦はやはり楽しい。だから、ここから先は、政治屋も商売人も、選手のために姿を消してくれ、と切に願ったのだが。

 チラっとテレビをつけたら、金メダルをとった選手に菅総理が祝福の電話をしてきて、それに選手が応答している姿が映っていた。どの局の、どの番組釜で確かめもしなかったが。あほやなぁ、やりよったか…、と思った。

 

 五輪をせめて選挙の足しに、と思っているのが見え見えの中で、これはあかんよ。まったくの逆効果。これ、誰の発想?こんなので視聴者(国民)をだませると思ってる?だとしたら、かなりセンスが悪い。いや、頭が悪い。安倍晋三の「おうちで踊ろう」の時と同じだ。同じ失敗を繰り返すのは、結局は事態を正しくアセスメントできず、「あっち側の、自虐史観に凝り固まった、左翼思想の人たちが騒いだだけ」って思ってたんだろう。

 

 なんせ菅さん、開会式でも死んだ魚のような目をして、天皇陛下の宣言の時も、ぼーっとして、途中でふらふら立ち上がったり、集中してないのが明らかだった。

 これが、仮に、開会式を、じっとしてられないくらいに大興奮して、目を輝かせて観ている、という姿でも映っていれば、中には素直に「あぁ、もしかしたら本当にオリンピック観たかったんやな」と思った人もいたかもしれないが。

 

 これ、政治の話じゃない。与党だの野党だの、右翼だの左翼だのの話じゃない。人としての誠実さや思考の深みの問題だ。これから金メダルと取る選手はどんどん出てくる。全員に電話するのか?金メダルを取れば祝福するけど、銀だったり、銅だったり、予選敗退だったら、評価に値しないのか。出場することに意義があるのではなかったか。勝っても負けても、あるいは出場できなかった選手にも、さまざまなドラマがあり、それらのどれもがリスペクトに値するし、学びになるのではないのか。

 あきれかえるほど、あまりにも薄っぺらい。

 

五輪の開会が宣言された。

五輪が始まった。

 

ここから先は、政治屋と商売人には退場してもらって

 

純粋に、アスリートたちの競技を楽しもう。アスリートや競技へのリスペクトを持って。

そしてすべてが終わったら、統括してみよう。何があったのか。なぜそうなったのか。

コロナ禍で強行せざるを得なかった五輪からいやおうなしに見えてのは何か。

そして、そこから何を学ぶのか。

それこそが今回の五輪の価値になるのではないかなぁ。