時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

月曜の夜、突然に/座骨神経痛顛末記 

先にお詫びを申し上げます。

私、以前に、10歳は年上の居合道家から、坐骨神経痛で動けない、しばらく稽古を休む、という連絡があった際に、ちょっと笑ってしまったのです。


というのも、その坐骨神経痛、という言葉の響きが「いかにも老人」と思えたのと、「その程度で何日も寝込むとは、おおげさな」と感じて。

 

坐骨神経痛という症状について無知であったが故なんですが、高齢者が椅子から立ち上がる際に、腰を押さえて、いてててて、と言ってる程度のイメージだったのです。

 

実際に、発症してわかりましたが、とてもそんなレベルではないです。


痛みは主に左足首に出ました。
就寝時に突然の激痛です。2年ほど前に交通事故で鎖骨遠位部骨折により手術を受けたりして、その時も相当痛かったんですが、その比ではないと感じました。


また鎖骨骨折の時も右腕が使えず、ずいぶん不便を感じましたが、足が動かせないことの不自由さはそれを超えました。


家の中でトイレまでのわずかな距離でさえ、壁に両手をついて、左足を浮かせるようにして移動しないといけなくて、相当に時間がかかりました。
とにかく、痛みの出る箇所をひねったり、さわったり、何かしたときに痛む、とかではなく、常時痛みが出まくるので、痛みを軽くする術がないのです。

 

神経障害性疼痛ということで、皮膚でも筋肉でも骨でもなく、神経が障害されてバグってしまい、痛みの信号を脳に発信しまくる、ということらしいので、身体の外側からは何も施しようがないのです。


発症は、月曜の夜突然に、でした。

その2日前の土曜日に、久しぶりに大和川リバーサイドサイクルラインへのサイクリングを敢行しました。往復で50キロ程度のチャリ散歩でした。翌日の日曜は、チャリで近所に買い物に出たり、と普通に過ごしました。


で、月曜日です。出社して、PCに向かって、体をひねって足を組み、長時間の入力作業をしました。不自然な姿勢だったことは否めません。

ちょっと休憩と立ち上がった際に、組んでいた左ひざが少ししびれたような感じはありました。長時間正座していて急に立ち上がろうとしたらしびれた、というしびれの、超軽い感じです。なので、まったく気にしてませんでした。

 

左ひざは10年近く前にチャリで転倒して膝蓋骨を強打した古傷があり、数年おきに、正座が苦になるような痛みがでるのですが、ちょうどその時期だったので、常に感じている軽い痛みや違和感との差を感じることもない程度の痛みでした。

 

で、月曜の夜です。すこし痛みが残っているので、久しぶりのサイクリングによる筋肉痛が2~3日して出たのかと思い、入浴時、浴槽の中で、左足を温めながら両手を使ったマッサージで丹念にほぐしました。

風呂を出て寝床に入って、それからです。左足首の痛みで目が覚めまして、そこから眠れないくらいに痛みが出てきました。揉む、さする、といろいろしましたが、何をしても収まらない、これはどうもまずいのではないか、と思い、寝床の中でスマホを開いて、最寄り駅周辺で整形外科のクリニックが9時から開いていることを確認し、朝を待ちました。

朝、家人に駅前のクリニックまで車で送ってもらいましたが、駐車場まで行くのは当然、車に乗り込むのも一苦労でした。傷口があるわけではなく、何をしてもしなくても痛むので質が悪いです。

クリニックについても、壁伝いにしか動けないので、受付の方も、あらあら、という感じで急ぎの対応をしていただきました。

火曜日の朝の整形外科クリニックの待合は、高齢の男女でいっぱいです。やっと空いた椅子を見つけて座らせてもらいました。が、座ってようが、立ってようが、痛みは変わらないのでなかなかにやっかいでした。

飛び込みの初診なので、1時間以上は待ったと思います。やっと呼ばれたら、レントゲンを撮るということでレントゲン室へ。数メートルの廊下を進むのも難儀です。レントゲンが終わったら再び待合へ。もう空いた椅子はなく、壁にへばりつくように立っていました。

80は過ぎてるように見えるおばあさんが、替わろうか、と言ってくれましたが、大丈夫!と笑顔で返し壁にへばりついてました。

 

ようやく診察室に呼ばれ、レントゲン所見には異状はないこと、年相応に椎間板のすり減りは見受けられるが、手術や治療が必要な程度ではないこと、など説明され、坐骨神経痛、という診断でタリーゼという薬と痛み止めの軟膏を処方されました。

 

なお診察の際に、「痛みが出始めたときに、風呂に入ってあたためてマッサージをした」、と医師に伝えたところ、「一番やったらあかん時期に、一番やったらあかんことしたなぁ」とあきれられました。

 

痛みの出初めには、冷やしてそっとしとくのが正解やったらしいです。

そんなん知らんやん…。

 

結局、翌日の水曜日も動けず、なんとか動けるようになった木曜日に、杖を突きながら出社しました。平地をよちよちと歩き、階段は手すりにぶら下がるようにして、一段ずつそっと降りるので、えらい時間がかかります。

骨折で右腕を三角巾で吊ってた時は、電車の中で席を替わってもらえましたが、杖をついていているだけだと替わってはもらえませんでした。見た目からして要介護高齢者、というビジュでもなく、立ってるだけだと背中も伸びているし、つらさの程度がわかりにくいんだと思います。


一度、目の前の席に座っていた黒人のおじさんが「替わろうか?」というしぐさをしてくれたので、「いや、大丈夫だぜ、でもサンキューだぜ」と異国の人にもわかるように、はっきりとした笑顔としぐさで辞退しました。

 

自分ではいけたつもりでしたが、洋画で観る外人のしぐさをデフォルメしたコントみたいになったかもしれません。「ほんとに大丈夫なのか?」という表情で、黒人のおじさんが浮かせかけた腰を座席に戻しました。


実際その時は、大丈夫、というより、「替わってもらって座席に座る一連の動き」の方がやっかいな気もしていて感謝して辞退しました。


タリーゼは、朝に1回1錠を服用するのですが、火曜日から飲みだして、木曜には杖歩行、土日は完全静養として1週間後の火曜日には、階段昇降時に痛みは残るものの、平地をまっすぐ歩くのはできる、という具合に回復しました。

 

初診から3週間後、歩行自体には問題がなくなりましたが、左足首が若干腫れているので、念のため再診に行きました。医師からは、通風を併発しているんじゃないか、血液検査してみるか?、と提案されましたが、翌週に骨折手術を受けた病院で血液検査の予定があるのでそれをいうと、その時に主治医に判断してもらえばいい、とのことでした。

 

病院の検査項目には通風に関するものはなかったので、通風があるのかないのか結局わからずじまいでしたが、痛みは軽減しているので、いまは神経痛よりも、膝関節の痛みが増強しているのが気になるのだ、と主治医にいうと、杖を突いたりしていつもと違う歩き方をすることで、普段負荷がかからない部位に負荷がかかり症状が出ることがある、ということで、無理のない範囲のウォーキングや自転車等で脚部のトレーニングをしながら、元に戻していこう、ということになりました。

 

歩け、歩け、というのは血糖値の数値が高いことから、顔見るたびに言われていることなので、今度こそ、歩きましょう、と思います。

 

みなさんもお気を付けください。

 

なお、膝をやられた居合道家としては、正座や立膝の業を立って行う、など、英信流をベースにした新たな業の開発にいそしもうかと思います。

演武会での披露などはできませんが、セルフケアの一環として。

 

 

Smile Again 泣きながら生まれてきたぼくたちは、たぶん、ピンチに強い。

『感謝カンゲキ雨 嵐』

という曲の1節である。コンサートでは定番曲なんだそうだ。

 

この歌詞を初めて聞いた時に、これ、いいなぁ、と思ったのは「たぶん」のところ。

 

人間だれしも、おぎゃあと泣きながら生まれてくるんだから、泣くようなピンチがあっても大丈夫、乗り越えられるさ!

という励ましのメッセージ、なんだろうけど。

 

その間に「たぶん」が入っている。

大阪人なら「人間は、だれしも泣きながら生まれてきたんやから、たぶんピンチには強いようにできてるんちゃうかなぁ、知らんけど」とかいうんだろう。

 

そう。「たぶん」「たぶんね」

 

この「たぶん」が、ピンチを乗り切れ!、乗り切れるさ!、がんばれ! という松岡修造系の圧を絶妙に逃がしている、と私は感じた。

 

負けるな!、がんばれ!、は「正論」だが、弱っているときに反論しにくい正論の圧をかけられるのはしんどい。

 

けど、「泣きながら生まれてきたんやから、ピンチには強いんちゃうかな、そやから乗り切れると思うで、たぶん、もしかしたら、しらんけど」

と圧を緩めてもらうと、「そうかもな」、「まぁ、そうなんやろな」、「そう思わなしゃあないな」、と受け入れやすくなるんじゃないか。

 

彼らがこの曲をリリースしたのが2000年ってことなので、まだメンバーは17~19歳くらいのころ。

その年頃で、このやわらかさがあったから、広く長く愛されたのかもしれないなぁ。知らんけど。

 


作詞は戸沢 暢美氏。
女性アイドルやガールズポップ系の作詞が中心だったが、をSMAP、嵐などジャニーズ関連の作詞も多いそうだ。
1959年生まれで、2012年3月に食道がんのために亡くなられている。

We are ARASHI /ARASHI LIVE TOUR 2026 5/31

当日は、15時から特典映像として90分の構成で、過去のMVやライブ映像が流された。これが2回繰り返されて、18:00から本編が始まった。

 

カメラは東京ドーム内のロビーから通路を通ってスタンド席の方に進んでいく。

 

まるで自身がチケットを持って会場に入っていくかのような視界である。

 

カメラは会場全体を見渡せる場所に進んでいく。

 

眼下のアリーナ席は、隙間なくびっしりと客席で埋まっているのではなく、トロッコのレールが敷かれているなど、人のいないスペースがけっこう広くとってあった。

 

場内はまだ明るく、静かだ。

 

5万人が息を呑んでその瞬間を待っている緊張感が、画面越しに伝わってくる。

 

やがて照明が落ち、メインステージのモニターが光る。

 

まもなく嵐が来る。

 

 

---------☆☆☆
 2026年1月13日に、2026年3月13日(金)札幌ドームでの初日のチケットがあったった時から、札幌行きの航空券やら宿泊施設の手配やら、まさにおおわらわであった。13日当日の早朝の関空から札幌までの嵐ファンだらけのフライト、札幌ドームでは、なんとアリーナ席が当たるという歓喜。ビギナーズラック以降は、何度もハズレばかり引いていただけに、最後の最後にぜんぶ取り返した気分。
当たったのは家内で、私はつきそいでドタバタしてるだけの札幌旅行だったが、それはそれで従来とは違った旅の面白さを発見できた貴重な経験だった。

 

☆☆☆---------

さて、2026年5月31日の配信である。これも早くに計画が発表されていたので、まずは、2025年の年末にwi-fiルータを買い替えた。活動休止直前の年末に行われたライブ配信では、双方向性ということも影響したのか、我が家のネット環境では、最低の解像度にしても、何度も映像が止まってしまうなど、非常に残念な結果だった。あのような事態は避けなければ。

 

年末のルーターの買い替えと同時に、windows8.1のパソコンを10にバージョンアップして使っていた古いノートPCのOSを、Linux mintに入れ替えた。11にするにはスペック不足だし、使い方も限られているので、まずは試しに、ということで自力でやってみた。正月休みいっぱい使ってなんとか成功した。が、確かに動作は早くなったし、ネット上の動画も多少はスムースに視聴できるようになりはしたが、そこについては思ったほどではない。windows用のソフトが使えなくなって、できなくなったことも多かった。

 

そこで、配信動画受信のスペックが高いデバイスとして、タブレットを購入することにした。

 

LinuxへのOSの入れ替えも、タブレットの導入も、AIに相談して決めたものだ。

想定では、タブレットで配信を受信して、その映像を、ミラーリングでテレビ画面に写すことで、大画面での視聴が可能になる、はずだった。AIもそう言っていたし、アマプラを同様の方法でテレビ画面に写してみることもできたので完璧だと思っていた。

 

が、念のために配信前日に確認してみたら、なんと嵐の配信はミラーリングに対応していない、ということがわかった。では、ケーブルでつなぐか、と思っても、購入したタブレットにはケーブルによる出力の機能がない。

というわけで、昨年末から準備していて、約半年。いよいよとなった配信前日にすべてが頓挫。やっちまったのである。

 

だが大丈夫。今夜と明日の15時まで、まだ時間はある!

 

配信前夜。テレビはwi-fiにつながるandroidTVなので、まずはテレビをネットにつないで、メーカー推奨のブラウザをダウンロードし、そのブラウザで嵐の配信ページを検索してアクセスし、IDとパスワードを入力する、のだが…。

これが画面に映る文字列から入力文字をリモコンの上下左右ボタンで探して押していくタイプで、かつ、入力画面が文字列に隠れて見えない。つまり入力間違いを入力途中で確認できない。何度やり直したことか!!

それでもなんとか無事に「視聴する」ボタンがあるページまでたどり着いたのだが。

 

さて、再度問う。この2017年製のテレビで直接受信する方がいいのか、Linux PC経由がいいのか。

 

AIでも意見がわかれてしまった。 GeminiはFireStickの使用を押してきて、ChatGPTはテレビで見れるだろう、ということだった。少なくとも15時からの事前配信を見てみてダメそうならそこからスティックに切り替えても3時間ある、と。

 

散々迷ったが、自分自身への保険のために、毒食わば皿の精神で、もう1回投資しよう。

そう決めて開店早々に近所の家電量販店に行ったら、「ここのところスティックの在庫が入らなくて、やっと4つ仕入れできたけど、もう残り1つ」ってことだった。店員のおじさんは、「これも嵐ですかねぇ。なんかすごいですねぇ」と感嘆。相槌を打って即レジに走った。

 

設定は1時間かかったが、スマホをリモコンの代用にする機能があり、それもなんとか設定できた。そのことが後の本番で大いに生きることになる。

 

そうして始まった嵐の配信は、最初は画質もよく順調だったが、ちょうど90分経って前半が終わり、MCのコーナーになったあたりで、映像がカクついたり一瞬止まったりしはじめた。危険を感じて、解像度を下げようかとリモコンをさわったら、とたんに強制的にログアウトされてしまった。画面は真っ黒、頭は真っ白である。

 

結局、ブラウザから配信ページに入ってIDを入れるところからやり直しになった。ただ、スマホをリモコンに代用する設定をしていたおかげで、IDとしてのメールアドレスやパスワードは、スマホ側の入力履歴を使って即応でき、3分ほどの中断で再開できた。それにしても、ひやひやものだった。再開した画面ではまだMCが続いていて、後半は始まっていなかった。

スティックを使わなければもっとたびたび止まったかもしれない。そのたびにログインしなおすにしても、IDやパスワードを入れるリモコンの操作がまどろっこしくて、あわてて何度も失敗して中断が長引いただろう。面目丸つぶれで落ち込んだところに、えぐるような言葉を浴びて、阿部家のような大喧嘩に発展したかもしれない。

スティック 7980円、やす~い。

 

そこから先は、ラストまでなんとか無事に観ることができた。

 

彼らは、あくまでも観客ファーストで、奇をてらわず、過度なこだわりも見せず、誰もが知ってる人気の曲を、これでもか、これでもかと歌い踊って最後まで走り抜けた。

 

 

彼らがステージを去ったのち、会場に明かりがついても、観客の悲鳴に似た嵐コールがやむことはない。

 

 

〇〇〇 〇

 

翌日の6月1日、嵐からの記念品、ということで、家内と娘にそれぞれ、5人の写真とサインが送られてきた。

立派な賞状ケースに入っていて、よい宝物になることだろう。

 

 

その翌日の6月2日、その記念品がメルカリに出品されてるのが発覚して物議をかもしている。あの配信を見て、彼らのあの真摯な最後のメッセージを聞いて、その翌日に届いたこの記念品を、その場でよく売る気になれるな、というのが正直な感想だ。

さすがに冒涜だろう。そんな奴らはファンじゃない!

という声が噴出するのは当然だと思うが…。

 

中には、家族中でファンクラブに入っている人もいるということなので、それによってダブついた記念品を、欲しい人、何かの事情でファンクラブに入れなかった誰かにに分けてあげたい、という心なのかもしれない。

そうだと思っている方がいいだろう。

 

家内は札幌ドームで、まったく見知らぬ人から「テープ拾えましたか?わたしたくさん拾ったので」と銀テープを分けてもらったといっていた。

こういうファンを育てたのも彼らなのだ。

 

◇◇◇ ◇

 

これで当家における半年にわたっての嵐のラストライブ狂騒曲が終焉する。

 

あとは、準備でき次第始めるという今回の見逃し配信と、11月3日のLIVE-DVDの発送を待つのみ。そのDVD発送日には、5人のうちの誰かが主宰で5人のインスタライブとかがあるかも。嵐の活動は終了したが、逆にそれによって、元・嵐の5人が、タレント個々、そして一般人として、インスタライブ、もしくはYoutubeLIVEに参集することに何の支障もなくなるのではないだろうか。

 

 

  それにしても

 

     恐るべし 

 

         嵐 ARASHI Forever!

 

 

ついに18年ぶりに、居合練習刀(模擬刀)を新調した。

特別重いわけではないのだが、最近は肘が痛んだりするので、軽い刀に変えようと思った。

殺陣で木刀や竹光を振る機会が増えてきて余計にそう思うのかもしれない。

 

居合の模擬刀を買うのもこれが最後だろうと思う。


初心の頃と違って、鞘を割ったり、鞘の中や鯉口を削ったりはしないだろうから、前の刀以上に長持ちさせることができるはずだ。

 

実際に見に行ける実店舗は限られるので、ネットで注文することにした。


あれこれ探してみて、関市にある地味なサイトデザインの店に決めた。


作ることへのこだわり度合いが強そうな、職人気質を感じたからだ。

 

せっかく買い替えるなら刃文だけはこだわりたい。

 

前の刀が直刃だったので、刃文のついた刀を持ってみたい。

 

こだわったのはそこだけだったが、たくさんある刃文のデザインから気に入ったものを選べるオーダーメード仕様の刀は、初心者用廉価版と比べると、そこそこな値段だった。

 

選んだ刃文は、互の目丁子(ぐのめちょうじ)という。

 

刃文の波が、一定の調子ではなく不規則に波打っているのが良かった。

 

後は、少し重めの鍔にして手元重心にする以外は特にこだわりはなく、はばきや目貫やら小物はメニューから直感で選んでいった。

 

柄巻の色はすこし迷って鉄紺にした。


Webの画面で見たら緑っぽかったのだが、届いたらやはり緑っぽかった。くすんだ紺色、と思っていたのでちょっと意外だったが、がっかりするようなことではない。

 

たまたま刀に詳しくない人が見て「これ良い色ですね!」と言ったので、これが自分の柄の色、と認知することができた。

 

目貫が思ったより金ぴかで、おもちゃみたいやなぁ、と思ったが、使っていれば汚れてくるだろう。

 

刀身は軽い。振るまでもなく、鞘ごと持った時点で軽い。振ってみたらやはり軽い。

 

見た目の刃の薄さはそれほど感じないのだが。

 

軽いので、振るスピードは上がったが、樋鳴りはシビアになった。

 

前の刀だと多少刃筋がぶれても、ぶおん、ぶおん、という低い音が鳴ったが、軽量刀身にはそれがない。

 

刃筋が通った時だけ、小さく高い音が鳴る。手の内をしっかり意識して稽古しないといけない。

互の目丁子

 

※注:模擬刀と模造刀は違います。1万円前後で売っている模造刀は観賞用です。コスプレの人が写真撮影用の小道具にするのはかまいませんが、居合の練習には向きません。刃が重いし、造りが弱いので、うっかりすると根元のあたりから折れてしまいます。そうなると自分より他人を怪我させる可能性が高いです。

居合の稽古には居合練習用の模擬刀を使ってください。

観賞用模造刀よりはお高いですけど。

 

居合刀(模擬刀)の刃の欠けをやすりで磨いたり、鞘のひび割れを革ひもで補修しつつ、長く使った。

 初心者セット、として道着と合わせて剣道具屋の赤心堂で45000円くらいで購入したのは2007年の6月だったので、もう18年を超えている。

 

その間、模擬刀はこの1本だけで不自由はなかった。

 

 途中、というか始めて早々に、部屋で素振りしていて蛍光灯を叩いた時には、パンっと破裂音がして、部屋の中に白い粉がさんさんと降り注ぎ、模擬刀の刃がかけてしまった。


 蛍光灯のガラスよりも模擬刀の合金の方が強いはずなので、蛍光灯が割れた時の電気的な作用で刃が欠けたのだと思う。

 

 物打ちのあたり、3センチくらいがギザギザになってしまったので、模型用の細いやすりと紙やすりで慎重に磨いた。


 模擬刀の銀色はメッキなので、削りすぎるとメッキが剥げると聞いたから、欠けたギザギザを丸めていく感じ。道具はどちらも百均だった。

 

 鞘は、これも初心の頃に、抜き付けの稽古をしていたら鞘の上部15センチくらいの長さで鯉口からひびが入ったので、細い革ひもを巻き付けて補修した。

 

 鞘自体に100均の万能ボンドを薄く塗り、3ミリ幅の革ひもを引っ張りながら、鯉口のから栗型まで、ぴっちりと隙間なく巻いていく。

 

 革ひもは手芸屋さんで購入した。

 

 これもかなり慎重に、半日がかりで作業した。ボンドを塗っては、3周ほど巻いて、乾いたらまたボンドを塗って3周ほど巻き、を根気よく繰り返す。

 

 結果、一度巻いてからは捲れてくることもなく最後までそのまま使えた。 まるで最初から左手で握る部分に革が巻いてあったかのように。


 鞘は石目塗りでざらざらしているのでボンドと革が付きやすかったのかもしれない。


 柄は、木綿の黒の柄糸だが、もう糸や繊維に見えないくらいに、手あかでこってこてに固まっている。


 鮫皮は白だったが黒ずんでおり、目貫や縁金も緑青が湧いている。

 刀身自体は重くはなく、どちらかというと軽い方だったかもしれない。

 

 右も左もわかってないまま購入しに来た私に、「英信流は、片手で振ることが多いからな…」とつぶやきながら店主が選んだ刀をそのまま購入した。

 

 店主は商品を渡すとき、「これ、刃は合金やけど、拵えは真剣と同じや」と自慢気に言っていた。その時はその意味合いがわからなかったのだが。

 

 稽古を始めて、鍔が緩んできたときに補修しようとしてわかったことに、この模擬刀は、目釘を抜いたら刀身が柄から外せる仕様だった。たしかに拵えは本物だった。

 

 稽古をし始めたばかりの頃は、鍔が緩んだ、鯉口が緩んだ、といちいち店に持って行っては相談したり修理をしてもらっていた。

 

 何度か通っているうちに、「経木を知り合いにもらった」とのことで、おすそわけで1枚もらった。大事に保管していれば長く使える、ということだった。経木は、何度か切って使ったが、まだ多くが残っている。

 

お店の方が閉店してしまったのは残念だった。

 

アマプラで映画「宝島」を観る。

同時期に同じく3時間規模で公開されていた「国宝」は映画館で観た。

あまりに話題だったので、ミーハー気分で観てみたのである。


観に行ったのは、封切からだいぶたってからのことで、「まだやってるの?」と思って、平日の午後、中途半端な空き時間があった日に観に行った。


それでも劇場は6割くらい埋まっていたように思う。最後列の席から見下ろす限り、客層は、中高年の男女がほとんどだった。

 

主人公らの一代記なので、大河ドラマの総集編を観るようにテンポよくエピソードが重ねられていく。3時間、退屈もうとうともしなかった。歌舞伎の裏側も知れて興味もそそられる。大衆受けするのもわかる。

 

と「国宝」のことばかり書いているが、「宝島」はそのころから気になっていた。広瀬すずちゃん出てるし。

 

でも、こちらの方は、客入りは今一つだったらしい。


戦後の占領下の沖縄が舞台ということでヘビーなストーリーっぽいのに、主演が妻夫木聡で、妻夫木といえば、最近は宝くじのCMではっちゃけているところしか見ないので、映画の世界観に合わないように思われたのではないか、とか、勝手に思っていた。

 

その「宝島」がアマプラに入ったので早速観てみた。

 

物語はフィクションだが、当時起こった実際の事件や事故も取り入れられていた。
どちらかというと、物語の部分より、実際に起こった事件や事故、世相を参照した部分の方が迫力があって強く印象に残った。

 

戦中戦後の沖縄について、史実として全く知らないわけではなく、沖縄旅行の際には、基地の近くのお店の値段表が、円とドルの併記だったりするのも見ていて、この地では、戦争が決して過ぎ去った過去の話ではないのだということは実感した。

 

劇中、広瀬すずが、米軍出ていけ、のデモ行進をしていた。


赤い鉢巻をして行列の中で拳を上げながら叫んでいた。

 

広瀬すずがやっても、決してかっこ良くも美しくもなかった。

 

その分、リアリティを感じた。

 

庶民が権力に対して声をあげる、という方法は、この方法でしかないのだろう。

 

効率でも効能でもなく、そうしないではいられない、という心の表現なのだと感じた。

 

映画館での観客動員は、制作陣にとって、期待に沿わなかったのかもしれないが、アマプラでは多くの人が見ることだと思う。

 

ストーリーはともかく、まずは、映画を通して、沖縄で本当にあったこと、を知る人が増えることに意味がある、と思う。

 

役者陣の熱演は見事で、この映画の制作に対する熱が随所に感じられる逸品である。

大和川リバーサイドサイクルラインをチャリ散歩

万博開催を機に整備されたサイクルロード。大和側の土手を整備して、柏原市から南港の咲州までの約26キロ。今回は堺市の鉄炮町から西へ。

 

で、その前に、大仙公園に立ち寄ることに。

昨年あたりから、気球に乗って、上空から前方後円墳を見る、というイベントが始まっている。鳴り物入りでスタートしてすぐに気球のガスが抜けただか何だかで中止になったりしたが、再開していて、南海電車の車窓から気球が浮いているのを見たことがある。

大仙公園で待機中の気球

思ったより大きな気球だった。そして球だ。球という形は実に美しい。

 

大仙公園から、堺市街の観光エリアをポタリングしながら国道26号を北上して大和川に。大和川は堺市と大阪市を分ける川で南岸が堺市、北岸が大阪市になる。

サイクルラインはきれいに整備されていた。

大和川リバーサイドサイクルライン

大型連休最後の土曜日の昼だったが、人通りは少ない。スイスイと気分よく走れる。

一度だけ、ロードバイクの一団を見かけたが、おじいさんのママチャリの方と多く出会った。おじいさんは、休日のサイクリング、というより、日常の自転車走行の風情だった。

 

堺市は、鉄砲鍛冶が盛んで、鉄砲つくりの中で培われた、鉄をパイプ状にする技術が、後の自転車つくりに活かされた、みたいな話を聞いたことがある。気がする。

今は、世界的企業になったシマノの存在が大きいだろう。

今乗っているTurnのCREST2024モデルは、多くの仕様変更があり、ディレイラーはシマノからマイクロシフトというメーカーに変更された。特に違和感はないけど。

ミニベロは、自転車としての、走る爽快感、のようなものは700cのクロスバイクには劣るけど、登坂に強いのはありがたい。街乗りで出くわすような少々の登り坂ならシフトチェンジの必要もなくなんとか登れる。

サイクルラインの看板と阪堺電車

サイクルラインの途中には、休憩できるベンチや案内板、道路にも表示がされている。

ちんちん電車として親しまれている阪堺電車が鉄橋を通って川を渡ってくる。

この案内板の近くは工事中なので、何か作られるのかもしれない。

できれば公衆トイレがあればいいんだけど。

 

事故にあって以来、それが直接の原因ではないのだけど、長めのチャリ散歩もできていなかったので、快晴と適度な気温で久しぶりに自転車乗りを楽しめた。

やはりチャリ散歩はいいな、また来週末も!と思ったのに

 

来週から気温が30度に近くなるとか。

もう熱中症にビビりながら走らなあかんやん。

もうちょっと「春」やっててもええんちゃうん…

あわてすぎやで…

 

嵐コンサートツアー WE ARE ARASHI 3/13札幌

もう3週間経ちましたが、札幌まで行ってきたんですよ。嵐のコンサートを観るために。

私はチケットを持たない付き添いですが。

関空から、新千歳空港、札幌から、立ち寄った小樽まで。嵐のバッグやグッズを持った女性をたくさん見かけました。たくさん、というより溢れかえっている感じでした。ネットでもかなりニュースになってましたので、街の様子については省きます。


実際に現地で見分した中で印象的だったのは。

1)トイレ難民の多さ。

難民になるのは女性ばかりで気の毒でしたが、会場の札幌ドームはもちろん、空港でも、駅でも、ショッピングビルでも、公園の公衆トイレでも、とにかくトイレがあれば長い行列ができていました。
腸が弱く、通勤時の駅のトイレ待ちで地獄を味わったこと数えきれない私などは、心底気の毒に思います。

 

2)札幌のタクシーのガッツ。

コンサート終了後、札幌ドームから徒歩10分の距離の最寄りの地下鉄駅までは、長い行列ができて、乗るのに1時間かかることもある、ということで、スマホにタクシーアプリを入れたりして身構えてましたが、空車がどんどん来る。一段落したかと思ってもどんどん来る。まぁ、そりゃ来るだろう、この3日間は。
タクシー待ちの行列はなく、空車のタクシーが行列していました。

 

3)それは、もう、飛行機の中から始まっていた。

チケットがこの便しか取れず、早朝から移動して、関空発7:20分発の飛行機に乗ったのですが、機内は嵐のバックを持った女性ばかり。
9時過ぎに新千歳空港に着陸した際のアナウンスで、CEさんが、「当機には嵐のコンサートでご搭乗いただいた方が多くいらしゃるようです」と話し始め、「皆様の人生のいろいろな場面に、彼らの歌や笑顔が寄り添っていたことでしょう」などと、かなり感動的なスピーチをされました。
機内は一瞬シンとしたかと思うと、拍手が沸き起こり、うるうるしている様子の乗客も多数見受けられました。

 

「もう、ここから始まっとんのかい!」

 

と私は思いました。

後ろの席の女性らは、「あのCEさんも嵐ファンかも。最後、声が震えてたね」と話してらっしゃいました。「いや、マイクの感度が悪いだけやで」と言いたいところでしたが、もちろん言える空気ではありません。

ただただ「恐るべし」と思ったことでした。

 

4)飛行機屋さんって「時価」で商売する業種だったのね。

航空会社は格安のを使ったんですが、高い。値段言いたくない。。。

JRの新幹線もそうですが、繁忙期と閑散期で価格が異なる業種は、あります。
それでも、多くても定価に対して何割かの割り増し、とかじゃないでしょうか。「何倍」ってことにはならないと思います。

でも、飛行機もホテルも任意で平素の「何倍」もの値段をつけることができる商売なんだな、と今回実感しました。

 

5)なんの祈り?

私は付き添いなので、ドームに入場するのを見送ったのち、ひとりでホテルにチェックインして、コンサート終了時間くらいに、ドームまで迎えに行きました。
ドームに着いた頃は、最後の数曲だったようですが、コンサートはまだ終わってませんでした。

しばらく待ってないといけないな、と思って、今は人気のないドームの敷地内の、会場への入場口に近いところまで行ったんですが、そのあたりの、ドームの屋根が仰ぎ見えるところ、雪が壁のようになっている通路に、ざっと数えたら30名くらいの人が静かに一列になってたたずんでいていました。両手でスマホをもっている姿が、何やらお祈りしているようにも見えました。

 

「寒い中で、何してはんねやろ」

 

と思って見ていたら、ドームの上空あたりから「どーん、どーん」と音が漏れているのに気づきました。耳を澄ませていると、私でも知ってる彼らの代表曲のようです。
周囲はシンとした静けさなので、ジッと聞いていたら、わかります。メンバーの一人が叫んでる声も、声というよりは音としてですが、確かに聞こえます。

音漏れを聞いておられたようです。

もしかして3時間ここで立ってたの?

ついにコンサートが終わったようで、警備員さんが動き出し、我々はドームの敷地外で待つように言われました。30名の祈りの民も静かにその場を移動しました。
と思ったら、そのさらに向こうからも、別の場所からも、人が静かに歩いてきました。どうやら、祈りの民は、この30名だけでなく、あちこちに分散して祈っていたようです。その人たちが静かにドームの敷地外に出て、10分くらいたったでしょうか。どっと人が出てきました。

圧倒的な数ですが、彼女らは靜かです。

それから40分ほど待って、ようやく待ち人が現れました。

思いのほか良い席があたったようで、目線が漂っていて、まだ現世に戻っていない様子でした。

すごいことです。40半ばのおっさん5人で、これだけのことをするんですから。

これができるのに、どうしても辞めたいというメンバーがいて活動をやめるというから、凡人からすれば理解できないくらいのもったいなさなんですが。凡人じゃないからこれだけのことができるんだろうし。

 

◆余談

翌日、小樽に寄りました。北一硝子のランプの喫茶店に行きました。
学生自分に高倉健の「駅」という映画を観て冬の北海道にはまって以来、冬になると北海道冬季周遊券なるお得な乗り放題切符を買って、夜行鈍行で宿代浮かしたり、格安の商人宿を値切ったりしながら、当てもなく放浪したものです。そこから数えてみたら41年ぶり、でした。

「小樽ビールの飲み比べ」というメニューがあったので、午前中でしたがそれを頼んだら、武骨なジョッキとタンブラーで、どどんと2杯出てきました。


朝からこれ、飲むんかい…


こんな本気のジョッキじゃなく、北一硝子で売ってるこじゃれた小ぶりなタンブラーに、250ccくらい入れて出しても観光客は満足するし、そこで使ったタンブラーは、客は、どうせお店の方も見るんだからそこで買ってもらえるかもしれないし。

と、他人の商売に余計な心配をしたりしましたが、ランプのホールは40年前と何ら変わってないようでした。40年です。とても不思議な感覚になりました。

1985年の私に、お前は、2026年に配偶者とともにここを再度訪れるんやで、と教えてやったらどんな顔したんでしょうか。

夢想したようなドラマもなく、地味に平凡に無難にすごした40年ですが、まぁ、それはそれですごいやん、よう生きたなぁ、と、たぶんこれが最後になるだろう北一硝子のランプのホールでそう思ったりしました。

 

なんで最後になるんかって?

いや、ストイックな冬景色にあこがれた40年前と違って、今回は寒いのしんどかったから。


次どっか行くんやったら南の海の島がええわー。

 

◆◆さらに余談

40年前、「駅」の重要なシーンが撮られた「増毛」という執着駅に行きました。映画では、駅前に「風待ち食堂」がありました。実際にあったのは、食堂ではない建物だったと思います。それでも映画で観たままの風景でした。
いつものように商人宿を探して交渉する中で「何しにここに来たのか」と宿のおばあさんに聞かれ、「駅」の話をすると、「あー、映画なぁ、ここで何かやっとったけど、映画の人らはなぁ、みんな留萌に泊まってそこから来てたなぁ」ということでした。

ちなみに、旭川から夜行鈍行で稚内に行き、稚内駅で留萌行きに乗る際、健さんになりきって、駅員に「ましげにいく」と言ったら、「ましげ、じゃない、ましけ、だ」と笑われて、健さん気分がすっかりパーになったことばかり覚えています。そんなもんですね。あれから40年。増毛のご利益はほぼなく、毛はかなり減りました。

 

「政権交代」よりも「政策交代」

国民が望んでいたのは「政策交代」。

ところがマスコミも野党もそこの変化がわからなかった。

だから頓珍漢な立ち回りを繰り返した。

政権交代ができたら政策なんてどうでもいい人、ふってわいた「オレが総理大臣!?」という欲にからめとられた自己愛過多の人、坊ちゃん顔のおっさん、というモテない君になった演説芸人、

 

けど今回選ばれたのは、政策として本当にやりたいこと、やるべきだと思っていることがたくさんある人、だった。

結局は、「党」ではなく「人」だった。それだけははっきりわかった。

 

そして、国民は、政治屋さんが10年1日が如くに選挙と利権に明け暮れている間に、マスゴミさんたちが、視聴者ってこんなことが好きなんでしょ、こんなことをテレビで言えば喜ぶんでしょ、楽勝!と思っている間に、ずいぶんと賢くなったんですよ。

SNSの影響も大きいでしょうね。マスゴミがいわない(というか、いえば売り上げが下がると思っている)意見が多々書かれていて、なるほどなー、と思うことが多い。

フェイクもあるだろうけど、そこいらも慣れてきて、それなりに見分けている。

政治ごっこ屋とかマスゴミがこの程度だとバカにしていた国民はもういないよ。

逆に言うと、国民がいやおうなく賢くなるくらいに、今の日本の状況が目に見えてひどいんだ。

東大出のエリートとか2世3世のぼっちゃまんは、そんな状況が目に入らない高級住宅地にお住まいなんだろうけど(笑)

 

高市さんは、表情がかっこいいね。試合中のアスリートのような、まさにサムライの眼をしている。

気を張りすぎて体調壊さないように、と思うけど、やっと自分でできる状況になったのに、今やらないでいつする、って感じなんだろう。とりあえず、マスゴミは足引っ張るなよ。君らは、いいねいいね、とか、だめだだめだ、とかいうだけなんだから、しばらくはいいねいいね、と言ってる方が儲かるよ。

 

 

 

 

 

 

外国人さんもいろいろですね。当たり前だけど。

 昨日、混んでる地下鉄の優先座席を占拠していた外国人さんたちが駅を降りたら、座席の下に、ゼリー飲料の空き容器とビニル袋が捨てられていた。長年、この地下鉄で通勤しているが、こういう光景は見たことないなぁ。もちろんゼロではなく、時間帯によっては、行儀の悪いのが置いて行った空き缶が転がってることはあったけど。

通勤時間帯にはみかけなかったけどなぁ。

 

 もちろん常識的な外国人さんもたくさんいますよ。小学校低学年くらいの男児が社内で大声出したとたんに、ペシッと頭はたいて黙らせた若い白人のお父さん。こどもが騒いでも知らん顔してスマホいじってる日本人の親御さんも見かけますから、ちゃんとしてるなぁ、と思ったものです。

 

 日本の打ち刃物に魅せられて、住み込みで包丁研ぎの修業しているドイツの青年も知ってます。
 居合の道場にも外国人の青年がいます。紋付き袴を着て、日本人以上にサムライな雰囲気を出してます。
 
 しかし、こちらが先方を知ったり理解したり受け入れ準備をする以上のスピードと量で来られたら、まずは、「ちょっと待ってくれ!」といいたくはなるわね。

 

ましてや、文化交流でも留学でもなく、単に格安の労働力を欲しているだけの、21世紀型奴隷制度が本音、というなら、そりゃあどっかでしっぺ返しはくるんじゃないかな。

 

外国人も、たくさんいれば1人や2人は犯罪者が出る。そこは日本人だって同じだ、という論もあるけど、その外国人は日本に来たから犯罪を犯した、ということはないのかなぁ。そうだとしたら、どちらにとっても悲劇です。

 

技術を身につけようと思って来てみたら、ただ扱き使われるだけだった。
自国よりもおとなしい国民性だから何しても反撃してこないと舐め切ってしまった、たとえ警察官にからんでも、そうそう手は出さない国だから、そもそも自国をかつて戦略していた悪い奴らだ、と学んでいるから。

 

そのしっぺ返しに自分やや家族は直接会わなくて済む、そんな事件に巻き込まれる場所にそもそもいない、と思っていられるだけのカネや権力がある人たちが制度を主導しているんだろうけど。