時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

菅さん、それはあかんよ。

 始まってしまえばスポーツ観戦はやはり楽しい。だから、ここから先は、政治屋も商売人も、選手のために姿を消してくれ、と切に願ったのだが。

 チラっとテレビをつけたら、金メダルをとった選手に菅総理が祝福の電話をしてきて、それに選手が応答している姿が映っていた。どの局の、どの番組釜で確かめもしなかったが。あほやなぁ、やりよったか…、と思った。

 

 五輪をせめて選挙の足しに、と思っているのが見え見えの中で、これはあかんよ。まったくの逆効果。これ、誰の発想?こんなので視聴者(国民)をだませると思ってる?だとしたら、かなりセンスが悪い。いや、頭が悪い。安倍晋三の「おうちで踊ろう」の時と同じだ。同じ失敗を繰り返すのは、結局は事態を正しくアセスメントできず、「あっち側の、自虐史観に凝り固まった、左翼思想の人たちが騒いだだけ」って思ってたんだろう。

 

 なんせ菅さん、開会式でも死んだ魚のような目をして、天皇陛下の宣言の時も、ぼーっとして、途中でふらふら立ち上がったり、集中してないのが明らかだった。

 これが、仮に、開会式を、じっとしてられないくらいに大興奮して、目を輝かせて観ている、という姿でも映っていれば、中には素直に「あぁ、もしかしたら本当にオリンピック観たかったんやな」と思った人もいたかもしれないが。

 

 これ、政治の話じゃない。与党だの野党だの、右翼だの左翼だのの話じゃない。人としての誠実さや思考の深みの問題だ。これから金メダルと取る選手はどんどん出てくる。全員に電話するのか?金メダルを取れば祝福するけど、銀だったり、銅だったり、予選敗退だったら、評価に値しないのか。出場することに意義があるのではなかったか。勝っても負けても、あるいは出場できなかった選手にも、さまざまなドラマがあり、それらのどれもがリスペクトに値するし、学びになるのではないのか。

 あきれかえるほど、あまりにも薄っぺらい。