時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

5月5日は ″こども” の日 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 はじめての子供で、予定日は5月12日。来週はさすがにビールも飲めないだろう、ということで、ゴールデンウィーク真っ只中の5月4日。お友達を誘って焼き肉食べ放題飲み放題に行った。これが出産前の最後の飲み会だとかいいながら。

 あほである。けど、その時は、妊婦さんだからと、いろいろセーブしているつもりだった。けど、不安がたかまってる感じがしたので、連休中だし、ぱっと気晴らしでもしよう、ということになったのだ。知識がないというのは恐ろしいものである。

 家から徒歩圏の焼き肉屋で、いつものように、わいわいと飲んで、食って、もうしばらくはこういうこともできないなぁ、などとのんきなことを言って、ご機嫌さんで家に帰った。

 帰り際、お友達たちに「いよいよ来週やな」「気を付けてね」「がんばって!」「お祝い何がいい」「生まれたらすぐ連絡してくれよ」などと声をかけてもらいながら。

 

 すっかりご機嫌になって、家に帰ってしばらくしてからである。奥さんが、おなかが痛いと言い出した。これはもしかしたら、もしかするかもしれない。ということだ。えー、来週なんちゃうん。いや、これはそうかも。いや、そうだと思う。痛い!病院に電話してー。

 となって、慌てて病院に電話した。そしたら病院の人がこういった。

「来てもらうのはいいんですけどね。今、夜の11時半なんですよ。今来られてすぐに入院ってなったら、1日分の入院費の支払いが発生してしまうんですよね。だから、あと30分我慢できませんかね。日付が変わってからの入院にされた方がお得ですよ」

 「…て病院の人がいうてるけど我慢できるか?あと30分がまんしたら、入院費1日分安くなるんやて」

 「わかった、我慢する」

 おーい。我慢するんかい!と今の私は、過去の若夫婦にツッコミを入れてしまうのだが、当時のあほな若夫婦は時計睨みながら必死に我慢して、「よっしゃ、もうええやろ」となってから車で病院に駆けつけた。病院は家からすぐ近くで、日付が変わったのを確認してから、夜間出入り口で「電話をしたものです!」と告げて病棟に運んでもらった。

 そこから診察があり、分娩の準備が始まり、待機室でおろおろして、午前4時半に娘が生まれた。5月5日の端午の節句だった。

 焼き肉屋から帰ってからの、怒涛のような5時間だった。私は、仕事にかこつけて、父親教室に参加しなかったので、分娩の立ち合いはできなかった。待機室で待っていたら助産師さんが呼びにきて、分娩室に入った。分娩台に乗った汗だくでふらふらの奥さんと、小さい赤ん坊がそこにいた。

 それから23年。あほな若夫婦は、もっとあほな中年夫婦になり、相変わらずビールは暮らしに欠かせない、という生活ぶりなのだが、娘の方はといえば、ノンアルコールですら口にしない。アルコールは体質に合わない、たとえわずかでも、飲めば気分が悪くなる、ということだ。まぁ、まぁ、そういわずに、と成人して後に奥さんが何度か勧めていたが、頑として飲まなかった。

 そうかもなぁ。そうやわなぁ。

 予定日より一週間も早く、ビールに押し出されるようにしてこの世に出てきたわけだから、「もうビールは生まれる前に一生分飲みましたわ。ビールの海でおぼれ死ぬかと思いましたで」くらい言ってほしいのだが、「その話は何回も聞いた。関係ないから」と冷たくあしらわれてしまう。

 あほは少し遺伝してしまったようだが、いまのところ心身ともに健康に暮らせているので、良かったことにする。

 ちなみに、弟の方は、里帰り出産をしたのだが「昼に餃子を山盛り食べたらその日の夜にいきなり出てきた」ということだ。だからというわけではなく、私が好きだから、事あるごとに餃子の王将に誘うのだが、回転寿司の方がいいといって、あまり付いて来たがらない。こちらも一生分食っちまったのかもしれない。