時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

自転車散歩 なぎさ公園からの汐見公園 泉大津

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 何事もなく8月も終わる。夏の定番として今年も8月の夏の海を見ておきたいのだが、車を使った遠出ははばかられる空気があり、かといってチャリで二色の浜やりんくうまで行くと、また熱中症になるのも面倒なので、その手前の泉大津あたりで海が見える公園はないか、と探したら、あった。

 ひとつはなぎさ公園、そこからほど近いところにあるのが汐見公園。距離的にもチャリ散歩の圏内だ。まずは行ってみることにした。

 黒鳥山を下って、和泉府中から泉大津の港の方まで。特別面白みもない車通りの多い道路をまっすぐに走ってなぎさ公園に着く。レンガ風のタイルが敷き詰められた広場で、釣りをやってる人が多い。地元の公園の池でも朝早くから釣りをしている人がいるので、このシチュエーションなら、そりゃあ釣りもするだろうな、と思って、あとで調べたら大阪でも有数の釣りスポットらしい。

 釣りは小学生の時に流行って、安い釣竿を買ってもらってうどんをちぎったのを餌に近所の池で鮒を釣ったりしたくらいでその後はまったく縁がない。

 しばらくうろうろして次の目的地、汐見公園に向かおうと公園を後にしたが、公園のそばのきららセンタービルの日陰に気持ちいい風が吹いていて、しばらくたたずんていたら汗が引いた。

何のビルなのかと思って正面玄関にいくと、ロビーになっているのか、ガラスのドアの向こうに長椅子がならんでいて、そこに何人かじいさんが座っている。土曜日だが何か業務がなされているのか、単に涼みに来ているだけなのか。風情を観察して後者だろうとは思った。中にはいって椅子に座って涼みたい誘惑に駆られたが、じいさんと目が合ってしまったのでやめにした。冷房よりも心地いい風が日陰に吹いている。

 

 なぎさ公園を後にして、汐見公園へ。それほど離れていない。汐見公園は半分が多目的広場で、もう半分が緑地になっている。緑地の真ん中に丘が作られていて、そのてっぺんにツタが絡まったドームがある。このツタのからまり具合がジブリの映画のようだといわれたりしているらしい。

たしかにそんな感じもする。ラピュタ巨神兵の頭みたいだ。

 猛暑の盛りだが、ドームの中は日陰になっていて、涼しい海風が吹き抜けるので心地良い。目の前は大阪湾で、正面に淡路島が見える。たまに散策中の人が通りかかるが、猛暑の中ここにとどまる人はいない。遠くに船影が見える。海といっても湾なので、波はない。波の音も、潮のにおいも感じられない。コンクリートに囲まれた静かな海だ。そうこうしているうちに、釣り家族がやってきたのを機に、汐見公園を後にする。

 帰りがけ、太平の湯の忠岡店があったので寄っていくことにした。太平の湯は大国町の店をよく利用しているが、忠岡店ははじめてである。大国町が800円くらいなので、ここもそうかと思っていたら600円だったので、ちょっと得した気分になった。施設の規模は大国町の方がちょっと大きいかも。

 強い日差しの中の露天風呂を楽しんで、水風呂で身体を冷やして、また露天で日差しを浴びて、入浴後はちょっと迷ったが、生ビールを頼んでみた。シャリっとした感触が残るエキストラコールドの生ビールは冷たくてうまい。たまたまくじ引きがついていて、枝豆がもらえた。

 さて、ここからまた炎天下をチャリで1時間ばかり走らないといけない。温泉とビールでさっぱりした後だけにちょっともったいない気もするが、道中の一休みはなかなかに贅沢な体験だった。

フェスティバルホールで中島みゆきを聞く

何で知ったのか忘れてしまったが、コロナでコンサートが中止になり、代わりに劇場版特別上映会を行うのだそうだ。要はコンサートDVDをフェスティバルホールで鑑賞するのである。1階指定席2600円。フェスティバルホールは長くこの地に住んでいながら行ったことがない。ないと思う。なので行ってみたい。なら、このくらいなら安いし空いてるし丁度いいかも、というのが動機である。実際に客席はちらほらとお客がいるだけで、見渡す限りのそのほとんどが中高年の男女である。

 演目自体は、市販されているコンサートDVDを観るだけなので、席に座っていても特に期待も緊張感もなく、フェスティバルホールの空間と席と音響を体験するだけなので、気楽なものである。DVDになっているコンサートはフェスティバルホールでも上演されたコンサートだということだ。

 で、DVDだから当然だが、画面いっぱいに中島みゆきが映し出され、歌が始まる。カットされているのだろうが、MCなどなく、どんどん歌が続く。「化粧」にいたっては、もはや演劇だ。試しに聞きなおしてみると当時のレコードの方が過剰に「泣いて」いて、コンサートではそのあたりはかなり抑制されているのに、演劇性を感じた。この人の詩の世界は削りに削った短編小説のようで、「物語を歌っている」という印象が強い。たしか共に北海道出身で、当時はニューミュージックと呼ばれていたジャンルの旗手でもあった中島みゆき松山千春は、「悪女」と「ふるさと」がそれぞれ同時期にヒットしていたように思う。

 だから、当時どちらの曲もラジオでよく耳にしたのだが、詩の世界の深みの差は、予備校生だった僕でも強く感じていた。

 さて、スクリーンからは次々に歌が披露されていく。中島みゆきなので、踊るわけでもなく、舞台上を動き回るわけでもなく、ただステージ中央で歌っているのだが、考えてみればこの人はテレビにほとんどでなかったので、歌っている姿をこんなに長く大きな画面で見たことはなかった。そういう点ですごく新鮮ではあった。圧巻だったのは、やはり「時代」で、朗々と歌い上げる以上のことは何もしていないのに、胸に迫るものがあり、これが歌の力というのもかと思った。

 今年は年末の紅白もコロナの影響で、例年のようなNHKホールからのお客を入れた生中継ではなく、各地のスタジオからのリモート参加になるかもしれないという。であれば、トリを務めるのは、やはりこの人のこの歌なんじゃないかなぁ、と思った。かつて何度か紅白に出た時もホールには来なかったので、スタジオの別撮りなら承諾するんじゃないかな。もしそうなれば、あの年は本当にたいへんだったねと笑える日が近いことをみんなで感じながら、たいへんな2020を締めくくりたい。

デニム着物で快適ステイホーム

宣伝くさいタイトルをつけてしまった。が、本当にわりとおすすめなので、そうなった。

さて、僕が居合をはじめて身についたもののひとつに「和服を知ったこと」と「古着に抵抗なくなったこと」がある。

 何の関係があるのか、というと、実は大ありで、連盟に参加している居合の道場では連盟主催の奉納演武会に参加しなければならない。というより、参加できる!と考えるほうが前向きなのだが、それぞれいろいろな事情がある。事情をクリアして、参加するにあたっては、紋付き袴の着用が推奨される。神様の前なので。サラリーマンでいうと背広とネクタイ着用という感じ。さらに高段者は羽織と白足袋が許される。というわけで、演武会に参加するのはいいが、紋付き袴など持っていない。初心者は稽古着でも許されるが、段持ちになればそうもいっていられない。

 というわけで、困っていたら先輩のおじさんから和服の古着屋を紹介してもらった。そこで、家紋はなんでもいい、とにかくついていれば、ということで探してもらったら、なんと300円で黒紋付が手に入った。しかし、袴は古着屋でも在庫が少なかった。その時は700円で茶色の袴を購入したが、布地はなんとかなっても縫製の糸が経年劣化著しい。履いて座ってるだけならいいが、動くとビリビリと糸が切れる。家で稽古していたら、「前」からはじめて「八重垣」あたりで尻がぱっくりと割れてしまって初日で廃棄やむなしとなった。当日は、稽古で使っている黒いテトロンの袴で参加した。

 紋付きも、裾が長いまま袴を履くと動きづらいので、袴に隠れる部分、だいたい膝頭から下の部分は切ってしまう。

 こちらは300円の古着だからいいが、高段者の先生方は、けっこう高額な着物でも切ってしまうそうだ。まぁ、演武会以外では着ないからいいのだろうけど。

 という世界で着物の古着を知って、その後も1000円程度でいくつか買ってみた。稽古で道着の代わりに着てみたり、家で部屋着の代わりに着てみたりした。しかし、古着の場合、素材がよくわからなかったりして、洗濯に困るのだ。300円の紋付きも、実は本絹だったらしく、クリーニングに出せばべらぼうな値段になるので、演武会用の使い捨てにせざるを得ない。結局、それぞれ何度か袖を通したら、捨ててしまうしかなかった。

 という経緯で出会った和服だが、着てみて、洋服に比べて便利かというと、そうでもない。ロングスカートに慣れた女性なら平気かもしれないが、歩きにくい、階段を上がろうとすると裾を踏む。なによりトイレが面倒だ。だから外に着て出ていくことがおっくうに感じる。また、お祭りでもないのに和服でうろうろするのも悪目立ちしそうだ。目的や嗜好がしっかりしていて和服を着ているならともかく、興味本位なだけの人間には敷居が高い。

 というわけで、着て外に出ることはほとんどなく,道場以外で身に着けることはなかった。

 でも、鼻緒のある草履で歩くことや腰に帯を締めることの健康上のメリットがあれこれ言われているのも見るし、ひょんなことで居合をはじめてなじんだ和装なので、もっと日常に活用してみたい。

 そう思ってネットを探していて見つけたのが、デニム着物だ。こだわりの和装というよりもうんとカジュアルで、気軽に着れるような気がした。

 ネットショップは慣れないので、あちこちのリアル古着屋ものぞいてみたが見つからない。見つからない、手に入らない、となると無性にほしくなるのが性分で、こういう時は冷却期間をおかないと、下手な買い物をしてしまうことは何度も経験している。古着屋をひやかしながら、ネットショップの評判なども検索し、自己点検をして、ようやく決心して購入に至る。

 サイズがMとLとLLになっていて、165センチくらいだとMでもややオーバーサイズ気味だろうと予測したが仕方がない。注文をした。まもなく紙袋に入ってそれは届いた。

 包装を解くと、ちょっと「ケミカル臭」がある。ケミカル臭というのは、この着物を買った人が感想の中に書いてあったので、そのまま使っているが、長いことビニル袋に入ったまま倉庫で眠ってたらこんな匂いがつくかもな、と思う。もともと匂いがなくてもそうするつもりだったので、すぐに洗濯機に入れた。一回洗って匂いは消えた。

 袖を通すと、やはりちょっと袖が長い。手首が隠れるくらい。丈も長い。足首が隠れるくらい。

しかし、思ったよりも生地が柔らかく、着心地がいい。デニムといえば、ややごわごわしているのかと思ったが肌に柔らかいのが心地よい。着物のサイズはルーズなので、角帯をしっかり締めればなんとなく各部分が調整できて、わずかなオーバーサイズはクリアできる。和服のよさはここかもしれない。角帯は、一見難しそうだが、youtubeに上がっている着付け動画を何本か見れば、なんとかなる。角帯をびしっと締めれば、おのずと背筋が伸びて気持ちがいい。

 ぜひ試してみてください。角帯だけではなく襷をかけると、さらに肩甲骨が開く感じで背中も伸びます。慣れないと袖があちこちにひっかかって飲み物の入ったグラスをひっくり返したりもするので、襷もお勧め。襷はそれこそ紐ならなんでも大丈夫。僕は3本数百円で売ってた腰紐を使ってます。和服もそうだけど、この角帯と襷の効果は割と誰にでも簡単に体感できるのでぜひ試していただきたい。日頃デスクワークでパソコンに向かっていることが多く、姿勢が悪くなってるかもな、と思われている方には特に。

映画 コンフィデンスマンJP

コロナ鬱を解消しようと、久しぶりに映画館に行った。何も考えずに笑ってられそうな映画、ということで「コンフィデンスマンJP-プリンセス編ー」にした。

久しぶりに行った映画館は、平日の昼間だったが結構混んでいた。

映画館の中は、密を避けるべく、席の前後左右に人がいない。映画館にとっては残念なことなのだが、観客にとっては、特に一人客にとっては、これがありがたいことだった。一人客が、シネコンで席を予約していくと、周りは空席なのに、なぜか自分の前にだけ座高の高い人がいる、とか、隣にカップル客が座ってやたら飲み食いするとか、真後ろの席の人が足を組みなおすのか、前の席の背もたれに足をぶつけてくる、というような目に合うことがあるが、その可能性がないだけでも安心だ。

 さて、コンフィデンスマンJPである。実は、映画館で見るほどのものか、テレビで十分ではないか、と思ったりもしていたのだが、やはり映画館はいいですね。コロナ鬱がしっかり解消できた。のだが、詐欺師の映画で、製作陣が全力でだましに来ているのは観客なので、あまり感想を書くとネタバレになる。から感想がかけなくて映画評にならないが、大丈夫。興味がある人は安心して劇場へどうぞ。テレビシリーズや映画の前作を見ていなくてもまったく問題ありません。

 僕も、今回のプリンセス編が面白かったので、前作のロマンス編のDVDを借りてみた。

で、両方見てどうだった、とかいうと、これもネタバレになりかねないので、どちらも面白かった、とだけ言っておく。

 連続ドラマの放送から年月が経っているだろうに、テレビでゲストとして出ていた俳優が同じ役で出てくるのもこのシリーズの特徴で、それぞれの作品や出演者を大事にしている感じがにじんでいて心が温まる。まさにワンチーム。

 関わった人を大事にしている、という感覚が、このシリーズの特徴かもしれない。かつてのゲストの俳優が、同じ役でちょっとだけでてくるのを発見することで、観客も仲間に入れてもらっている気になれる。親近感がわく。

 なのに、そういうドラマに出ていた三浦春馬さんが亡くなった。演者や制作陣のショックはいかほどだったのか。二枚目な顔も情けない顔も演じ分けて楽しませていただいただけに、残念なことだと思う。

 三浦春馬さんの出演がかなわないのは残念だが、また第3弾で楽しませてもらいたい。コンフィデンスマンチームのさらなる活躍に期待しています。

続・不思議な話

 霊感の強い知人の先輩という方が、さらに輪をかけて霊感が強いんだそうで。

知人がある日、先輩に自宅に招かれましたが、その前に長いお付き合いの友人のお見舞いにいったんだそうです。その友人は、長く患っていて、終末期に差し掛かっていましたが、お見舞いに行くと、もはや臨死期の様相で呼びかけにも返事がなく、ご家族も不安な様子の中、つい長居してしまい、結局先輩の家に着いたのは約束の時間をかなりオーバーしてしまったそうです。

 ようやく先輩の家に到着し、出迎えてくれた先輩に遅くなった詫びを告げようとすると、「あ、あなたね、今すぐ〇〇〇さんの家に電話しなさい。お礼をいいたいそうだから」といったそうです。〇〇〇さんというのは、先輩の家に来る前にお見舞いに行った友人のことです。電話をしたら家族の方が出て、〇〇〇さんが、たった今、息を引き取ったのだといわれたそうです。でも、その先輩は、〇〇〇さんのことを知りません。知人の友人であって、先輩とは縁がない人です。家を訪ねる前に、〇〇〇さんに見舞いに寄ることも伝えていません。先輩が、〇〇〇さんのことを知る由はなかったはずです。

 先輩に聞くと、知人が家を訪れる直前に、〇〇〇さんという方が、知人にお礼を言いに来た、というのです。だから、あなたが来たらすぐに連絡するようにいおうと思って待っていた、と。

 不思議ですね、としかいいようがない話なんですが、こういうことは、あると信じればあるんだろうし、ないと笑い飛ばせばそれまでなんだろうし、聞いた人が主観で判断するしかないことなのだろうと思いますが・・・。しかし、霊感が強いっていうのも、知らなくていいことを知る羽目になったりして、それなりに大変なんじゃないかと、ちょっと気の毒に思ったりもします。

不思議な話―ホテル編

今週のお題「怖い話」

 仕事で他府県から大阪にお招きする女性の方。大阪駅近接のホテルに泊まっていただいたのだが、「部屋の壁がチカチカした。次から部屋を変えてほしい」とのこと。ホテルに確認すると、特に変わった調度でも壁紙でもないのだが、お客様がそのようにお感じになられたのなら、と次回から同じ値段で別のワンランク上の部屋を提供してもらえることになった。

 次の機会。今回はどうでしたか?と聞くと、今回はチカチカすることはなかったと。内心、当たり前だろうと思った。長年営業しているシティホテルで、目がチカチカするような壁紙を使っているわけがない。

 ところが、その方がいうには「それでもあのホテルの吹き抜けの空間には、なんだか嫌なものが澱んでいる」とおしゃる。「きっとあの周りの土地に何かの原因があると思うから、あの辺の郷土史とか調べてみたらどうですか」と真顔でおっしゃるので、少々気味が悪くなった。霊感が強いのだそうだ。「大阪城を中心とすれば梅田は僻地だっただろうから、お城の周りには置けないものが置いてあった、とかあるかもしれませんね」と返事をしてそのまま忘れていたのだが、その話をしてから2年ほど経った2020年8月13日、梅田で1500体もの人骨が出土したという報道を目にした。一般庶民の墓で、疫病で死亡したとみられる遺骨が3割にのぼるとか。チカチカの原因はこれだったのだろうか。

 ホテルといえば、東京のお茶の水にある古いホテルに、仕事の関係者に泊まっていただいたときのことである。この人は男性の歯科医なのだが、部屋に入った途端、何か嫌な気配がしたらしい。霊感は強い方なのでこういう感覚は初めてではない。一晩だけなので我慢しようと思ったが、寝ようとすると浴室のドアが音をたてたり、トイレの水が突然流れたりする。これでは眠れない。部屋を見回してみると、壁に額に入った絵がかかっている。気になったので、その絵を裏返してみると、そこにはお札が1枚貼ってあった。深夜に近かったが、さすがにすぐにフロントを呼び、布団部屋でもなんでもいいので今すぐ部屋を変えてほしいと頼んだそうだ。

 どちらも不思議な話である。

マル、ついに出禁になる。

パピヨンという犬種でもう15歳になるから立派な老犬だ。しかし、気まぐれで、懐かず、噛み癖があって、家族は一通り噛まれた経験を持つ。犬よりも猫の気性で、犬を飼っているらしい喜びを感じたことがない。うっかり触ると噛みつかれるので近くに寄れない。

 そんな犬と15年暮らしているのだが、1年半前くらいの3月の中旬にに体調をくずして物を食べられなくなった。食うことしか頭にないような犬なので、これは一大事と獣医に連れて行ったら「この歳の小型犬なんだから、飼い主さんも覚悟してください。うちは延命治療はしませんので」と厳しく死を宣告されてしまった。こんなあほなマルでも、いよいよ死ぬのかと思うと、さすがに憐れで、家族皆で手厚く介護をしたものだった。

 ちょうどそんな頃、3月下旬のおばぁの83歳の誕生日祝いの鯛の塩焼きを食べさせたのを契機に、もう最期だから、食い意地だけの犬だったからせめて、といいながらぜいたくな食事を与えていたら、気がつくとすっかり元気になり、元のあほのマルに戻ってしまった。しかもそれ以降は、最後の晩餐・看取りのごちそうレベルのメニューでないと食べなくなって、食事のレベルがあがってしまい、なんや、死ぬ死ぬ詐欺やないか、と罵倒されるくらいに復活した。

 春になり、延命治療はしない、といった獣医のところに予防接種にいったら「あんた、まだ生きてたの!」と驚かれたりした。その時、快気祝いだといって、獣医からビニルの小袋にビーフジャーキーを山盛りもらったのだが、獣医からの帰り、買い物に寄るためちょっと車の中で留守番させていたところ、戻ってきたら挙動不審で、あっと思って車の床を見たら、カバンに入れてあった獣医からの快気祝いのビニルの袋を食いちぎって、中のビーフジャーキーを全部食っていた、というくらいにあほなマルである。

 もちろんこんな犬なので、家ではシャンプーもさせないし、毛を切ることなどぜったいに無理なので、トリマーさんにお願いして年に数回散髪をしてもらっている。

 パピヨンだからよね、と思う方もいるだろうが、マルが毛を切るのは、ほっとくと毛玉のようになって夏場異様に暑そうなのと、尻の毛がふさふさしてくるとトイレの粗相をするからである。しっぽの付け根の毛のにうんこを大量につけた室内犬と一緒に暮らせばわかるが、これがなかなかにスリリングなのだ。

 だからトリマーを頼むのだが、「パピヨンに見えなくていいのでつるつるにしてください。特に尻の毛を」とオーダーする。しかし、どうもそこでもおとなしく毛をかられるわけもなく、引き取りに行くたびに、毎回なんやかやと小言をいわれるのだが、今回はついに、散髪中の動画を見せられ、こんなことなんで、と。そこには野獣のように暴れまくるマルのあほな姿が映っていた。もう高齢犬なので、こんな風に興奮して暴れて急に体調が崩れても、私どもは獣医ではないので手は打てないし、責任も持てないし、申し訳ないんですが~、とついに出禁を言い渡されたのである。

 マルはといえば、トリマーさんがたぶん傷だらけになりながら、これでもかとばかりに必死に刈ってくれた魂の5厘刈で、もはや、この動物はどうやら犬らしい、ということがかろうじてわかるが犬種などはまったくわからないくらいのつるつるっぷりである。

 互いに全身全霊で戦ったのか、マルも帰宅後はへろへろだった。あほである。

 猛暑の夏。がんばれ老犬マル。それはそうと、これからどこで散髪してもらうねん。

自転車散歩 「浜寺公園」

公園の反対側の川縁の遊歩道には人気がない。35度を超える炎天下、川に向いた木陰のベンチで水分補給していると、川を渡る風が心地よい。時折、木の葉を強めに揺らす風が身体を冷ましてくれるのがごちそうだ。

 なのに、さっきから麦わら帽子のおっさんがママチャリで、背後を行ったり来たりしている。人気がないことを楽しんでいるのに、暇つぶしに話しかけられたらうっとうしいなぁ、と思ってたら、やおら自転車を止めて大声を出す。ややこしいおっさんにからまれるのか、と構えたら、おっさんは川に向かって何かを叫んでいる。見ると、川で一人乗りのボートを漕いでいた若い女性が手を止めて頷いている。オールの握りへのアドバイスのようだ。コーチなのか?しかし言うだけ言ったらボートとは逆の方向にママチャリで走り去っていった。もしかしたら昔ボート部にいたことがある通りすがりのおせっかいなおっさんなのか。

 この川には大阪府立漕艇センターがあってボートの練習や競技が行われる。なかなか、珍しい、というか、貴重なものがこんな近くにあったことを知った。

 

 川縁の遊歩道を走って、漕艇センターの前に置かれた見慣れないボートを横目に、少し行くと、突き当りにある橋を渡って向こう岸に。市中を少し走って、浜寺公園に戻る。浜寺公園は、緑地が縦に細長く続く公園で、やはりBBQ客がいないが、プールは営業していた。  

 小学生の頃に、このプールで開催されていた「浜寺水練学校」に通っていたことがある。当時は長居に住んでいたが、どうやって通っていたのか、まったく覚えていない。

 プールの前の草地に整列して、へんな体操をやらされて、プールでは初心者を示す赤い帽子に二本の白線を入れていた。級があがったら線が取れたり、帽子の色が変わったりしたように思う。唯一覚えているのが、プールの帰りに、屋台のような店で、コロッケだか串カツだかを買って食べたことだ。その店の同じかどうかはわからないが、やはりプールの前に1件、小屋のような店があり、かき氷やコロッケやアメリカンドッグなどを安く売っていた。同じ店なら50年以上営業していることになる。懐かしかったが、小学生に交じって50円のコロッケを一つ買うのも気が引けて眺めるだけで立ち去ることにした。

 

 浜寺公園には交通遊園があり、信号や横断歩道の体験学習ができ、汽車が走っている。のは知っていたが、今回は、バラ庭園があることを発見した。発見したといっても場所は公園のど真ん中のレストハウスのある場所なので、発見というより単に知らなかっただけだ。季節外れで花は少なかったが、散歩にはすてきな場所だ。自転車は乗り入れ禁止なので、自転車は置いておき徒歩で回る。

朽ちた木造船が打ち上げられた「砂浜」があったり、と退屈させない。

 BBQが復活したらちょっと風情が変わってしまうが、チャリ散歩の定番ルートの開拓になった。

 見渡す限り人影がない草むらのベンチで、コンビニで買った缶ビールとコロッケパンのランチ。

缶ビールは一気飲みしないと、しばらくおいておくとすぐにぬるくなる。プールからBGMが漏れてくる。空がしみるようい青い。緑が濃い。阪堺電車が走っているのが見える。

1983 夏 「ユートピア」 松田聖子

今週のお題「夏うた」

ユートピア松田聖子 1983.6

1983年といえば、もう真っ盛りだ。日本中真っ盛りだった。真っ盛りの夏のアルバムだ。

なんといってもジャケットの写真が秀逸だ。夜、青い水の中、濡れ髪、憂いの瞳、そこまでは何とか耐えられる。しかし、手だ。水の中から出ている手の表情がなんともいえず、1983年の僕はやられてしまった。この手があらわす感情はなんだ。なんだかわからないが、とにかく、1983年の僕は、彼女のいる水の中に飛び込まねばならない、という衝動を抑えられなかった。水の中に何があるのかわからない、水に飛び込んだとたん、彼女の姿はみるみる遠くなり、一人暗い水中に取り残されるのかもしれない。突然水が渦を巻き飲み込まれるのかもしれない。それでもわけのわからないまま、彼女の手に招かれて、僕は水の中に入ろうとした。

 ピーチシャーベットからはじまりマイアミの午前5時、セイシェルの夕陽、の3神曲3連打で1983年の夏は彩られた。今でも、この曲を聞けば当時の空気が、太陽が、海が、潮風が、サンオイルやサマーローションの香りとともに蘇る。

 

このアルバムをカセットテープが擦り切れるほど聞いて学んだことがある。恋をする女の子は、前髪を1ミリ切りすぎても気に悩むのだということ。クラシックを好み、退屈な話ばかりする男に積極的にアプローチしてくれる女子はそうそういないこと。それでも、1983年の夏、このアルバムを聴きながら男子たちは、今、この瞬間の期待と可能性に胸を膨らませた。

 このアルバムで歌われる女の子は、受け身であったり、積極的であったり、少女であったり、大人であったり、さまざまに揺れ動く。広く市場をカバーできるように、いろいろな嗜好に合わせられるラインナップを構成したマーケティングの結果だと思う。ジャケットの写真の手の動きにも、そのようなマーケティング上の綿密な計算がされていたのだろうことは、今なら当たり前に首肯できてしまうのだが。

 それでも、今でも、ジャケットの写真の手の動きにドギマギしてしまい、カセットテープの頃と同様に、アルバムの1曲目から順番に聞く。それだけでハートは揺さぶられ、ブルーグレイの海が目の前に広がる。すべてが溶けてしまいそうな8月の間に、スマホの電池が膨らむくらい、今年も聞きまくりたい。

 前髪がスカスカになった今でも、そう思う。

賛否 両論・複論 

投手交代で野手を登板させて賛否両論。原監督の件。

良い悪い、好き嫌いの2択ではなく、多視点で見てみるとどうだろう。

監督:長いシーズン。優勝するのが目的なのだ。そのための戦術だ。

OB1:伝統のあるわが球団が、そのような品のない作戦をとるべきではない。OBとしての誇りが傷つく。

OB2:素晴らしい作戦だ。これは長い球団史の中でも有能な監督しかなしえなかった采配だ。

観客1:チームは大敗だったが、面白いものを見れてよかった。

観客2:抽選でチケットを取って楽しみにしてきた。大敗だったが、奇跡の逆転を信じてゲームセットまで応援していた。監督が先に試合を捨ててしまったようで寂しかった。

観客3:珍しく大勝していたのに、試合放棄みたいなまねされてあまりにも不愉快だ。

観客4:え、そうなん?久しぶりに盛り上がって興奮してたんで知らんかった。野手やったん?なんかすごいね、知らんけど。

傍観者1:これ、野手を出して、アウトも取れず滅多打ちされてさらに点を取られ、結局中継ぎ投手を出す羽目になったら監督はぼろくそにいわれただろうな。さすがに擁護する人もいなかっただろう。そう思えばずいぶんとリスキーな采配だ。

選手:あいつが打たれて試合が伸びなくてよかった。こんな日は早く帰りてぇ。

 

その後、最下位中日に連敗。