今週のお題「夏うた」
1983年といえば、もう真っ盛りだ。日本中真っ盛りだった。真っ盛りの夏のアルバムだ。
なんといってもジャケットの写真が秀逸だ。夜、青い水の中、濡れ髪、憂いの瞳、そこまでは何とか耐えられる。しかし、手だ。水の中から出ている手の表情がなんともいえず、1983年の僕はやられてしまった。この手があらわす感情はなんだ。なんだかわからないが、とにかく、1983年の僕は、彼女のいる水の中に飛び込まねばならない、という衝動を抑えられなかった。水の中に何があるのかわからない、水に飛び込んだとたん、彼女の姿はみるみる遠くなり、一人暗い水中に取り残されるのかもしれない。突然水が渦を巻き飲み込まれるのかもしれない。それでもわけのわからないまま、彼女の手に招かれて、僕は水の中に入ろうとした。
ピーチシャーベットからはじまりマイアミの午前5時、セイシェルの夕陽、の3神曲3連打で1983年の夏は彩られた。今でも、この曲を聞けば当時の空気が、太陽が、海が、潮風が、サンオイルやサマーローションの香りとともに蘇る。
このアルバムをカセットテープが擦り切れるほど聞いて学んだことがある。恋をする女の子は、前髪を1ミリ切りすぎても気に悩むのだということ。クラシックを好み、退屈な話ばかりする男に積極的にアプローチしてくれる女子はそうそういないこと。それでも、1983年の夏、このアルバムを聴きながら男子たちは、今、この瞬間の期待と可能性に胸を膨らませた。
このアルバムで歌われる女の子は、受け身であったり、積極的であったり、少女であったり、大人であったり、さまざまに揺れ動く。広く市場をカバーできるように、いろいろな嗜好に合わせられるラインナップを構成したマーケティングの結果だと思う。ジャケットの写真の手の動きにも、そのようなマーケティング上の綿密な計算がされていたのだろうことは、今なら当たり前に首肯できてしまうのだが。
それでも、今でも、ジャケットの写真の手の動きにドギマギしてしまい、カセットテープの頃と同様に、アルバムの1曲目から順番に聞く。それだけでハートは揺さぶられ、ブルーグレイの海が目の前に広がる。すべてが溶けてしまいそうな8月の間に、スマホの電池が膨らむくらい、今年も聞きまくりたい。
前髪がスカスカになった今でも、そう思う。
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