「運動不足」に、お部屋で日本刀を振ってみません? 居合のススメ
今週のお題「運動不足」
日本刀を振ってみませんか?と書いてみたものの,おススメしている当の本人が、緊急事態宣言以降、もう長らく稽古にもいっていないので、どうにも説得力がない。しかも、居合を始めた動機が、基本的に一人で行う型稽古で、面積としては畳一枚のスペースでできるから、競技スポーツのように、場所を借りたり、人を集める必要がない、というものなので、稽古に行けないのなら、家で居業の稽古でもすればいいのだが、まったくやっていないのはいかがなものか。と心苦しく思いながら、ここでは過去の経験を踏まえて、チャンバラや武道的なものが好きだったり、昨今日本刀に興味を持ったりした方に向けて、おススメを書いてみたいと思う。それに居合なら複数名で行っても自然にソーシャル・ディスタンスが保ててコロナの時代に合っている。密になると刀が当たって危ないから自然に離れる。
さて「居合」と書いたが、ここでは型稽古を取り上げる。たとえば、居合の流派のひとつである無双直伝英信流では、初伝という正座をしている状態から始める業が10本ある。大刀を腰に差した状態で正座し、そこから正面を斬る、右方を斬る、立ち上がって斬る、などのバリエーションがある。
それを、声も出さず黙々とやる。声を出さないのは、「敵に悟られないように」するため。なので、大勢で稽古していても、静かなものだ。袴の衣擦れの音と、ヒュンという刃が空を切るときの風切り音しかしない。
では動作はどういうものか。居合の基本といわれる初伝の「前」の動作を簡潔に文章化するなら、正座の状態から片膝を立てつつ水平に抜き付け、そのまま振りかぶって縦に切り下し、刀を頭上で半回転させながら立ち上がって、納刀する、となる。刀を頭上で半回転させる動作を血振いといい、刃についた血を振り落とすのだという。本当に血を振り落とせるかどうかはわからないが、切り下しから納刀に至る間の一拍、残心を伴う動作だと思っている。この一連を終えるのにおよそ20秒。
使う刀は、居合練習用の模擬刀(合金製で刃がついていない刀)で、初心者や女性用など軽いものもあるが、多くは800~900グラム程度ではないだろうか。私の知人で1.2キログラムほどある胴田貫を振り回していた猛者がいたが、肘を痛めて辛そうだった。
さて、書いた通り、正座から刀を水平に、次いで垂直に、合計2回振るだけの動作が何の運動になるんだ、と思うのだが、これが不思議で、この「前」だけでも、3回、4回と繰り返すと、夏場だと汗ばんでくるし、冬場だと身体が温まってくる。有酸素運動か無酸素運動か、といえば、大きくゆっくり呼吸をするので、有酸素運動に入るのではないだろうか。アニメの「ルパン三世」に出てくる五右衛門のように、眼にも見えないスピードで刀を振ることはない。そもそも出来ない。どっちかというと、静かにゆっくりと動く。とはいえ、刃先までゆっくり動いては斬れないだろうから、そこは鋭く抜き付けないといけない。そうするためには刀を持つ右腕だけではなく、対となる左腕、膝、腰、肩甲骨など全身の各部署を同時に軽く動かさなくてはならない。右腕の腕力だけではスムースに刀を振ることができない。逆に言えば、正座という窮屈で動きにくい体制からいきなり刀を抜き付けようと思えば、全身をバランスよく使えなければスムースに動けない。そこいらを意識してやっていくとじわじわと体に来る運動になる。重要なのは、腕力に頼らないことで、身体の操作と刀の操作で速さを求めるようにしたい。
この、居合の型に関しての解釈は複雑だ。江戸の時代から400年もの間継承されてきた業なのである。この業が生まれた当初は、刀を用いた斬り合いが実際に行われており、この業を修行することは、端的に斬り合いに勝ち生き残ることが目的とされていたのである。
であればその型のひとつひとつについて、「なぜそう動くのか」「そう動くことで何を鍛錬しているのか」については、明確な根拠と目的があったはずである。よく居合の道場で教えられるような、敵がここにいて、こうしてくるから、こちらはこうする、という動作の想定だけで語られるのは一面的に過ぎるのではないか、と思うが、そこについては多事争論で、居合の世界の一種独特な側面に触れることになるので稿を改めることとする。
居合について、かつて所属していた道場の館長のことばが面白く、かつ、私としてはあまり他で聞いたことがない解釈なので、紹介して締めくくりたい。
館長がおっしゃるには、「居合はメンタルを鍛えるのに最適」なのだそうだ。日本国において「道」とつけば、精神修養のため、といわれることは多いので、そういう精神論かと思ったら…。
「居合の型をやっていて何か感じることはないか。実は居合の型はすべて、相手をやっつけた瞬間を演武している。後の先、つまり、敵の害意や攻撃をかわして逆転勝ちした瞬間ばかりを演武している。型を演武することで、頭の中に「勝つイメージ」「勝ったイメージ」が残っていく。そのことで「自分は勝てるというポジティブな思考」が定着していくのだ」
確かに、そういう視点で見れば、居合の型というのは、「攻撃してくる敵に対して、必殺技をお見舞いし、かっこよく一撃でやっつけた場面」を演じている。型を稽古する際に、演技者としての気持ちを込めることができれば、気持ちよく敵に勝つというイメージトレーニングになるかもしれない。自由人で、小説を書いたり腹話術をやったりと多芸多才、何かとユニークだった館長のこの発想は、居合を楽しむひとつのアイデアかもしれない。