時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

居合道家、殺陣を習う

 居合の先生の人脈で、殺陣の教室が身近にあることは知っていた。

 興味は以前からあったのだが、居合と殺陣は似て非なるものだと思っていた。

居合には、武術というストイックなイメージや、古の技術の継承という重いイメージがあるような気がするし、実際にやっている人たちのキャラもそれに似合う方が多い。

なので、なんとなく、居合やってるくせに殺陣に興味があるのか?と、そんな偏見を、誰が言うわけでもないのに、自分自身が持ってしまっていて、殺陣からは距離を置いていた。

 が、なんせこちらは還暦である。買いためた赤いパンツを毎日履いて、手製の赤革の腕輪を巻き、長らく飾り物になっていた赤いアロハを羽織って、激しい赤祭りを一人でやっている還暦なのだ。怖いものはない。

 だからもう自縛をやめて、好きにしよう。

と思って、殺陣の道場に行ってみた。

 殺陣は居合と違って、流派や型がないそうで、教えてくれるのは東映や松竹などで長年時代劇などに出演していた俳優さんだが、その方が教室をするにあたって、撮影で身に付けた殺陣の技術を、練習用に、独自の型にまとめたのだそうである。

見学者として参加した私が居合をやっていたことを知ると、事務局の方や、先輩諸氏から「殺陣は芝居だから」と何度も念を押された。私自身、剣術的なイメージは持っていたが、お芝居を習いに来た、という自覚がなかったため、その点はちょっと戸惑ったが、先輩諸氏の練習を見る限り、斬り合いの前に台詞を発したり、斬られて悲鳴をあげながら倒れる、というようなお芝居を重点的に稽古しているわけではなさそうだ。

まずはやってみましょうということで、竹光を渡され、何気なく抜いた時の軽さに腕がたたらを踏む。それを重い物であるように持って振るのが技術だということだ。また、見せることが目的なので、刀は脇ががら空きになるくらい大きく振る。ケガしないことも大事なので、剣先が横や後ろに回らないように、常にまっすぐ上に向けておく。相手の刀をよけるためにくるくると回る。相手の斬り下ろしを刀を水平にして受け止め、そのままポンっとつきあげると、相手が吹っ飛んでくれる、とか、たしかに居合とはかなり違う。というか全然違う。

 もちろん初心者なので、決められた手順を、説明を受けながら、えっちらおっちらやっているからそうなるだけで、先生の模範演技を見せてもらうと、スピードがあって迫力満点だ。キメのシーンでの裂帛の気合など、まさに目の前でチャンバラ芝居を観ているような興奮がある。

 なるほど、やはり似て非なるものである。

 ひととおり稽古を終えて、痛くなる筋肉も居合とは違う。膝の痛みで正座の技がきついので居合を休んでいたのだが、こちらは竹光や木刀という軽い得物を使う代わりに、居合以上に飛んだり跳ねたりして動き回るので、膝にダメージが来るのは殺陣も同じだった。そこには不安が残る。
 居合は、無駄な動きをしない、ムダに音を立てない、が身上だが、殺陣はその逆なので、発散系だ。もちろん初心者がやっているのは、本来の殺陣とも違う、見習い用の剣舞もどきなのだろうが、それでもずいぶんと気晴らしになった。こんな近くにこういう機会があったんなら、もっと早くからはじめても良かったかも、と思うが、これも赤のパワーだと思えば、のこり半年、さらに赤色を身に付けて、未知のドアを開けて回りたい。