無双直伝英信流 居合兵法 中伝 「浮雲」が左足の外側に斬り下ろす理由
「浮雲」ほど動作の意味がわからない型はない。と個人的に思う。立膝で横一列に並んで座っている状態で、一人挟んでその隣の人物が、刀の柄を取りに来たので、立ち上がってそれを避け、邪魔になるので隣に座っている人物を柄で追い払い、柄を取りに来た人をその場で抜き付けてやっつける、というのである。
立膝、というのは、正座して右膝だけを立てる居合独特の座り方である。この座り方だと、左右の膝を寄せることで身体に浮きがかかり素早く立ち上がることができる。つまり座っている姿勢から即、臨戦態勢に入れるのである。
そんな座り方をして腰に刀を差した人が横にずらっと?並んでいて、すぐ隣の人ではなく、隣の隣の人が隣の人の前を通って柄を取りに来る。なんでそんなことを、と思うし、この隣の人は、いきなり左右でもめごとが起こって何事!と思ったら、邪魔だ!と柄で頭を小突かれてあたふたとその場から這って逃げる。のか転がるのかわからないが、いずれにしても巻き込まれた気の毒な人なのだ。で、柄を取られそうになった人は、その場で、刀を抜き放って相手の肩口に斬りつける。そして斬りつけた刃の峰に手を当てて引き倒し、振り上げた刀で横たわった相手の腰に斬りつけてとどめをさす。このとどめの一撃が、型では立てた左ひざの外側に斬りつける、となっているのだがこれがやりにくい。左ひざの左に斬り下ろすのだから上体がねじれるし、横たわった相手の腰を斬るのだから刃は通常の斬り下ろしよりも地面に近いところまで落とさないといけない。といっても刃先で地面を叩いてはいけない。初心者がよくやるのだが、膝をついた状態で力いっぱい刀を振って、床を叩いてしまうのだ。これは誰が見ても理屈抜きにかっこ悪いので、居合をする上でもっとも避けたいミスである。
さて、ここでポイントとなるのが、床ぎりぎりまで刀を振り下ろす際の技術である。上体が前のめりになったり、肩があがってしまったりしないためにはどうするのか。
私が習ったのは、手の内の使い方である。手の内というのは柄の握り方のことで、通常よりも深く握ることで切っ先を下げる。柄を握る際は、両手で雑巾を絞るように、といわれるが、雑巾を絞り切った後、さらにもうひとひねり、ぎゅっと握る感じ。そうすれば腕や肩の動きはそのままで切っ先だけが下がる。
「浮雲」の次の業は「嵐(おろし)」といって、これも似た設定なのだが、最後の動作は浮雲同様、引き倒して横たわった相手の腰を、今度は両ひざの間で斬り下ろす。この動作は「浮雲」の左膝の左側で斬るのと比較すれば圧倒的に自然な動作でやりやすい。
この型の並びを見ると、まずは「浮雲」の不自然な姿勢で深い斬り下ろしを体得すれば、次の「嵐」の自然な斬り下ろしはなんなくできる、という、順を追った手の内の使い方の修練法なのではないか、という師匠の解釈も、さもありなんと納得できる。
そもそも「浮雲」という型は、立ち上がり、両足先を交差させた状態から足を裏返しながら斬りつけるという動作が特徴で、数ある型の中でももっとも難しいと個人的には思っている。つまりは座布団1枚分もない30センチ四方くらいのスペースから一歩も出ないで、強い斬撃を行うことはできますか?という問いなのである。たとえば、「気を付け」のように両足をそろえて立った状態から、自分の腰のあたりにある相手の肩口に刀を抜き付けるのである。相手も立っていたら両足をそろえて斬る、というだけなのだが、相手は中腰か尻もちをついているのか、そんな体勢だから、低い位置を斬らなければならない。これをバランスを崩さず、しかも一刀で倒せる力強さでやってみてください。という「お題」なのだ。この「お題」に関する「解答例」が、「浮雲」という動作なのである。
ここで型を「解答例」と捉えれば、その動作を細かく検証することで、「お題」を出した側の意図や、この動作をすることによる身体操作や鍛錬上の「目的」が見えてくる。逆に型を「正解」と捉えれば、モデルをなぞりモデルと違わぬ動きをすることが「目的」となる。
さてこの「浮雲」、連盟主催の演武会などの多くの道場が集まる場で一斉に行えば、まさに千差万別、同じ道場の門弟同士でも全く違っていたりする。それは、それぞれの個性や考え方によって動作の解釈が異なっている、というよりは、皆同じようにやろうと思ってやっているが、そうなってない、という現象なのだ。それだけ不自然な動きを要求されるのだ。どうやら「浮雲」は、そうとうに深い謎を秘めているようだ。「浮雲」によって古の剣術家は何を鍛えさせ何を伝えようとしたのか。そういう視点で居合の型を眺めるのもなかなかに興味深いものなのである。