時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

「おカネの切れ目が恋のはじまり」が面白い。

 比較する必要はないのだが、ちょっと前にやっていた「私の家政婦ナギサさん」の登場人物は、あるある、いるいる、というリアリティを楽しめた。

 カネ恋の登場人物は、普通ちょっといないだろう、というデフォルメされたキャラなのでリアリティからは遠いのだが、「ありえない」と思いつつも、それぞれのキャラクターをそのまま受け入れてしまえるドラマになっている。このありえさそうなキャラたちを、観客として受容してしまえるのは、演技の力なのか、脚本なのか、演出なのか、すべてなのか。

 

 演技といえば、このドラマに漫才師の方がちょい役で出ているのだが、その一人が、事務所の中で、あれ?いませんか?さっきいたのになぁ、という風に回りを見渡す、というシーンがあったのだが、その時に驚いたのが、たしかに、人を探して周りを見渡しているのに、画面に映っている眼が何も見ていないのだ。

 これは決してその漫才師の方の演技力をディスっているのではなく、プロの俳優さんの技術への驚きだ。

たぶん、「フロアを見渡して人を探す」という動作をしてみろといわれたら、誰もが同じように動作するだろう。でも、カメラに映されると、見渡しているのに眼が何も見ていないと観客には「わかって」しまう。では、どのようにすれば、実際に探しているように見えるのだろう。これがわからない。気持ちの込め方?表情?目玉の動かし方?そもそも目力とかいうけど、眼ってそんなに意識して変化させられるものなのか。

 この回は、それぞれの登場人物の感情が激しく起伏する回で、カネ恋はドラマとして大きな転機を迎えるのだが、その感情の大きな振り幅をプロの俳優たちは違和感なく視聴者に伝えている。ありえない極端なキャラクターであるにもかかわらず、作り物感なく、彼や彼女の内面に起こっている感情の動きを見せてしまう。いったいどういう技術があるんだろう。若い俳優さんも多いのでトレーニングの年月だけではなさそうだ。やはり一種の生まれ持った才能なんだろうか。

 

 次が第4回で最終回となる。それにしても。わかりもしないことを想像や邪推でわかったかのように言いはしないが、それにしても、である。ただただ残念だ。