時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

吉岡里穂さんと木村文乃さんの区別がつかない件

 私の目ではそっくりに思えて、テレビで見るたびに「この人、どっちだっけ?」と聞くので家族にもうっとうしがられているのだが、どうしてもわからないのだ。同じ顔に見える。聞けば「全然違う」と家族は口をそろえて言うが、どうしてもわからない。

 どうやら似てるから見間違うというより、顔を見て名前を思い出せず、かろうじて、吉岡里穂と木村文乃のどっちか、というところまで思い出せる、という感じなのである。

 でも有村架純さんは有村架純さん以外の何物にも見えないし,広瀬すずさんもそうだし,土屋太鳳さんもそうだし、石原さとみさんもわかる。嵐の5人は全員わかるし、やはり吉岡里穂さんと木村文乃さんにだけ起こる現象なのである。歳も歳だし、「吉岡里穂と木村文乃は同じ顔してるとか、あほみたいなこというてるなぁ、と笑ってる間はよかったけど、こんなことになるとは…」という未来が待っているのかもしれない。そうなったらどうせ俺にはわからんから、どっかの山に捨ててくれ、といいたいが、そうなったら、それもいえなくなってしまうんだろう。まだわかってる間にどっかに書いておこうか、あ、これがACP(アドバンス・ケア・プランニング)か。人生会議って下手な訳やな…。

 などとうなっていてもしょうがないのでズブロッカをリンゴジュースで割って飲む。あぁ、うまい。

ロンドンのジンと、ジャマイカのラム酒と、ポーランドのズブロッカ

 春のような陽気に誘われて久しぶりに自転車で散歩に出た。

ちょっと遠くの、種類の多い酒屋を目指すことにした。距離的にも散歩にはちょうどいい。

その店で珍しいお酒を見つけた。ジャマイカ産のラム酒ポーランド産のウォッカであるズブロッカだ。家にはロンドンのドライジンがある。加えてテキーラも買えば世界の4大スピリッツがそろうのだが、テキーラはまた今度。ラム酒はアプルトンのホワイトラム。どれも1000円前後でリーズナブルだ。

 3つの瓶を並べてみる。どの国も行ったことはない。が、もっともなじみがあるのはジャマイカかもしれない。暑いし、海だし、レゲエのリズムは心地いい。ポーランドはなじみが薄い。寒くて、近隣の国に蹂躙されたつらい歴史のイメージがある。

 で、呑んでみたが、もっともびっくりしたのがズブロッカだった。ネットで調べると、「桜餅の匂いがする」と書かれている。そういわれてもピンと来なかったのだが、グラスに注いで香りを確かめたら桜餅以外の何物でもない。なんじゃこりゃ、である。氷を入れて口に含めばさらに桜餅である。上品な甘い香りをすっかり気に入ってしまった。現地ポーランドではリンゴジュースで割って飲むのが人気らしく、シャルロッカと呼ばれている。ためしにやってみたが、なかなかに美味い。この出会いはちょっとうれしい。

 ラム酒の方は、サトウキビが原料ということでやはり甘いのだが、ラムもたくさんのカクテルレシピがあって楽しみが増える。モヒートやダイキリが有名だが、ホットミルクやらバターやら、なんでもありの感がある。フローズンダイキリに酔いしれてヘミングウェイにかぶれた長い髪の女を捜し歩けば、ヨコハマ・ホンキ―トンク・ブルースだ。

 冷蔵庫にはライムジュース、リンゴジュースは必須になった。まだまだ試していないカクテルも多い。楽しみができた。

83歳 長老 つまり 村

 また舌禍騒動である。過去の舌禍の一覧が新聞でまとめられていたが、どれもよく覚えていて、おいおい、ぜんぶこの人やったんか、と改めて驚いた。83歳だそうだ。戦中派というのだろうか。小学生時代は戦争の真っ最中だった世代だ。

 なんどかここでネタを披露してくれている“おばぁはん”は84歳なんで同世代だ。長年にわたる“村”のつきあいがしみついていて、独特のコミューンを構築している。

 コミューンのメンバーは、皆さん、従妹だったりはとこだったり、従弟の嫁さんだったり、という血縁でつながっている。その親族の長男の家は代々「母屋」と呼ばれ、村人のリーダー役である。冠婚葬祭を中心に、昔なら田植えや稲刈りなど、さまざまな行事を仕切るのである。

 その母屋の家長も亡くなり今は未亡人が一人で暮らしている。この未亡人が、寄る年波には勝てず、認知症の症状が目立つようになってきたようだ。

 「もう、82歳やからな。そら、しょうがないわ」とおばぁはんがいうのだが、待て待て、母屋の未亡人は86歳や。そもそもおばぁはんは84歳や。いったい自分をいくつやと思ってるんや…。

 

 「村」なんやろうな。村の長老やから、まぁまぁ、といえば少々のもめごとも納めてしまえるのだろう。逆に言えば、長老でないと納まらないことが山盛りあるんだろう。

 「村の寄り合い」で「村内の話」だからなんの警戒もせず話したんだろうな。あの世代なら「何がおかしいんだ」という意識だろう。

 

 うちの亡くなった父親は昭和6年生まれだからもう少し年長になるが、同世代といっていいだろう。高度成長期の猛烈サラリーマンで、プロジェクトを任されたなら部署のメンバーは連日残業で、ある日「今日も残業を頼む」といったら、女子社員が、わーっと泣き出した、といっていた。結局残業はしたそうだけど、大事な約束があったんじゃないか。疲れてもいただろう。でもそんな時代だった。やればやっただけ成果が出た。やればテレビが買えた。最新の電化製品が買えた。マイカーが買えた。鉄道会社がストを起こしたら、布団を借りて会社に泊まり込んだ時代だ。残業なんて当たり前だったのだ。断る方が異常だったのだ。

 でも若い女子社員に号泣されたのはさすがに心が痛んだそうで、仕事が一段落したとき、スタッフ全員連れて自腹で慰労会をしたそうだ。みんな喜んでいた。というので、慰労会って何したのかと聞いたら「みんなをキャバレーに連れて行った」という「女子社員も?」「そうや。喜んでた」というのだが。

 キャバレーをwikipediaで調べると「日本において1960年代から1970年代に流行した、ホステスが客をもてなす飲食店。」と書かれている。

 やっぱりやん、おとん、あかんやろ。若い女子社員を号泣するような目に合わせといて、やっとプロジェクトが一段落した慰労会がキャバレーって。そりゃwikipediaにあるように、まさにキャバレーが流行している最中だったようなので、女子社員もどんなところか興味はあったかもしれんけど…。本当に喜んだんは、若い男性社員だけやったんとちがうか。女子社員は本当に喜んだんか?慰労会でも、楽しんでるふりして、男どもに気をつかっただけやったんと違うのか。ちょっとセンス悪すぎるで…。

  

 そんな時代の人なんで、いろいろあるのだろう。今の時代とのズレが。本当はご隠居させてあげればいいんだろうけど、「長老の一声」が効く、まだまだなくてはならない、というのなら、長老が働けるその場所は、恐ろしいことだが、いまだに、当たり前のように“昭和の村”なのだろう。

「悲素」帚木蓬生 を読む。

 2015年に新潮社から単行本の初版が出ている。文庫になったのは2018年だ。全く知らなかった。当時は話題になったんだろうか。それとも、もう事件そのものの関心が薄れて本書もさほど話題にならなかったのだろうか。

 この本は、小説である。つまりフィクションだ。が、たぶん限りなくドキュメントに近いフィクションなのだろうと思う。フィクションにしたのは、警察が出した食事が、カツ定食のところをうな重にしたところくらいじゃないか、と思えてしまう。

 薬物中毒の専門家である医師と警察がどのようにして加害者の犯罪の証拠を積み上げていったか、というプロセスは専門性の高い記述も多く、退屈してもいいはずだが、ぐいぐいと読ませる。そもそも、この作者の作品で「はずれ」を引いた記憶がないのだが、今回も引き込まれた。

 カレー事件の捜査のはずが、どんどんと出てくる砒素を用いた傷害、殺人、保険金詐欺事件。しかし、裁判ではこれらの過去の保険金詐欺事件は不問にされ、動機や直接証拠があいまいなままにカレー事件に焦点を当てた判決になっている。

 私がこの本を読んでもっとも腹立たしかったのは、犯人の所業は当然として、次点はこの裁判官たちだった。

 実は、まだ最近の事件である「乳腺外科医による準強制わいせつ事件の裁判」でも、一審の無罪が控訴審で逆転有罪になるというケースがあった。この裁判の焦点は術後のせん妄についてであったのだが、裁判長は日本のせん妄に関する臨床の第一人者の証言を無視し、せん妄の鑑定には適切ではないと思われる経歴の精神科医の解釈を採用している。証拠となるDNAの試料採集や科捜研による鑑定にもずさんさが指摘されているが不問にしている。この判決には多くの医師らが憤りの声を上げている。

 

 嵐の松本潤が主演した「99・9」という弁護士ドラマで、悪い裁判官を演じた笑福亭鶴瓶の決めセリフは「ええ判決、せえよ」だった。これをいわれると、若手の裁判官が委縮する。鶴瓶がいうところの「ええ判決」は、真実を明らかにすることでも正義を実現することでもなく、「自分たちの出世に有利になるような判決」なのである。

 

 ドラマの世界では、刑事が、科捜研が、弁護士が、検察官が、命と誇りを賭けて正義を貫いてくれるのが常だが、この世に実際に存在するのはそんなヒーローやヒロインではなく鶴瓶が演じたような裁判官だけ、なのかもしれない。という気分になってしまう。

 ちなみに、法科大学院ができてから、医師であり弁護士である、というダブルライセンスで活動する方が増えた。そういう方に聞いた話だが、まず医学部を出て、医者になったら、周りが変な人ばかりで驚いたが、司法試験に受かって弁護士の世界に入ったら、もっと変な人が山盛りいてひっくり返りそうになったそうだ。

 とはいえ、カレー事件の捜査にあたった刑事らのように、日の当たらないところで地道に仕事をした人たちもいるのも事実なのである。そういう人たちに関心を持っていたい。

ひどい肩こりに、薬を使ってみたところ、ちょっと効いた気がする

 「眼、肩、腰に~」というCMの薬品と中身は同じで値段は半分、いわゆるジェネリックである。

肩こりには長らく悩まされていた。最近は眼の奥に鈍痛を感じるようになっていた。しかも、どちらも左側にでる。時に頭痛も伴うことがある。それも左側だ。人体の不思議なんだろうか。先に痛む足は左。踵の角質がたまるのも左足だ。

 左側、の謎は置いておくとして、肩こりの目の痛みなんだが、このネオビタミンEXを寝る前に3錠飲んでみた。布団の中でやたらに足先が暖かかったが、単に気温が高かったせいだった。妙に寝付けなかったが、カフェイン系が入っているわけでもないので関係はなさそうである。

 朝の目覚めはちょっと良かったが、いつもより早く寝床に入ったからかもしれない。眼の奥の痛みは起きてもそのままだった。首やら肩のコリもさほど変わらない。そんなもんか。そのまま出社した。

 朝からパソコンでエクセルと格闘していた。午後の3時頃。ふと気がついたら肩のコリや目の痛みの範囲がせまくなっていた。もしかしたらちょっと効いたのか?昨日と比べたらかなりましだ。

 そこから夕方にかけてかなりコリが納まってきた。左目はまだ鈍い痛みが残っている。

 この二日間でしたことは、この薬を飲んだだけなんで、効果はあった、ということか。

地下鉄が動かない。

 昨夜のことである。地下鉄に乗って帰宅しようとしたところ、とある駅に停まった電車が動かない。しばらくしてアナウンスで、「〇〇駅で、人身事故が発生しました。地下鉄はただいまより全線運転を見合わせます」と。あらぁ、当たっちゃったか、という感じ。トンネルの中ではなく、ちょうど駅のホームだったので、トイレも使えるしちょっと安心。車内も落ち着いている。ドアの前に立ってスマホをいじっていたら、さらにアナウンスがあり、ただいま救助中、とのこと。このアナウンスがホームでも車内でも数分置きに繰り返される。最近のアナウンスで良くなったのは、発車の見込み時間を伝えてくれること。この時も、止まってから10分か15分過ぎたあたりで、発車の見込みは何時頃になる見込み、と告げられた。何人かの乗客が、それを聞いて電車を降りた。席が空いたので座る。さらにしばらくすると、今度は、救助は終わったが警察が現場検証に入ったので、さらに40分ほど発車時間が延期されると。「救助っていうけど助かってないんじゃ…」と思いつつ、今から動いても同じだろうから、席に座って本でも読みながら気楽に待つことにした。で、ようやく「まもなく発車いたします」というアナウンスの直後「ただいま△△駅で、お客様が線路に立ち入られましたので救助しております。発車はしばらく見合わせます」と。それまでにかなりの人が降りて閑散としていた車内に、小さい笑い声が漏れる。ここまで車内に残っていた人は、まぁ、慌てないんだろうし、文句言う相手もいないので笑ってなきゃしょうがない、という感じなのだが。

 結局、電車が止まってからかれこれ90分。図書館で借りて、返却期限が迫っていた本をあらかた読むことができて「読書の時間をもらった」ようなものではあるのだが。

 それにしても立て続けに…。事故なのか、事件なのか、それとも自殺行為なのか。コロナ禍で自殺者も増えていると聞く。厳しい状況が続く。

 

ブランド買取ショップに金券を売ってみた。

 もらいものだが、長らく使いあぐねていた某百貨店の商品引換券、いわゆる商品券があるのだが、いつもらったのかも忘れるくらい古いので、昨今みかけるデザインとはちょっと違っている。もう賞味期限切れ?なんじゃないかと、その百貨店のインフォメーションで、使えるのか聞いてみた。インフォメーションのお姉さんは、商品券のカタログみたいなのをめくって、首をひねって、あちこちに電話して、ようやく「大丈夫です。お使いいただけます」と回答してくれた。

 が、デパートで買いたいものもあまりない。けど使わないともったいない。最近、老眼が進んで度数が怪しくなってきた眼鏡を新調しようかと眼鏡売り場へ。で、驚く。一番安いものでも4万円を超える。眼鏡って最近安いから、デパートといっても2~3万円であるのかな、と思っていた。商品券は2万円ほどあったので、少し追加するくらいで買えるとふんでいたのだが。

 

 ここいらが生来の貧乏性なのである。たとえば5万円の眼鏡を2万円安くで買える、と思えば4割引きで悪い話ではないのだが、追加する額が3万円になる。予算オーバーである。これが2万5千円で、5千円プラスすればいいという話なら考えたかもしれない。けど追加3万円となればもういけない。悲しい性だ。

 というわけで、その商品券はまたしばらくタンスの引き出しにしまわれることとなった。

 

 で、2020年正月。新聞チラシで近所にブランド買取ショップがオープンするのを知って、商品券のことを思い出し、こういうところに持ち込んでみたらどうだろうかと考えた。古書専門店に古本を売りに行ったことはあるが、商品券を売りに行くのは初めてだ。なんやかんやと理屈をいわれて結局は買いたたかれるのではないか、なんせ発券元のデパートでもあちこち調べてようやく「使用許可」がでたような代物なのだ。あまりに安く買いたたかれるようなら、売らないで持って帰ってくる、といって家を出た。

 お店にいくとお客はだれもおらず、ちょっと敷居が高い気がしたが、思い切って入ってみた。愛想よく迎え入れてくれた店員さんは、査定するといって、パソコン叩いたり電話したり、けっこう時間がかかった。やっぱり古いものなんで無理かな、とあきらめかけた。で、ようやく告げられた結果は、額面の90%近い価格での買取だった。相場を知らないからなんともいえないが、長年使いあぐねていたし、使おうと思えばデパートに行く交通費もかかるし、この額なら文句なし。よしよし。

 ただ、現金もらって帰るとき、なんかよくわからないのだが、ちょっとだけ、複雑な気持ちになってしまった。売買契約が成立しただけで、けっして施しを受けたわけではないのだが。帰り際、店員さんが頭を下げて見送ってくれたとき、こちらは店員さんに向き直り、それ以上に深々と頭を下げていたのだった。

おばぁはん、84歳。孫娘に油絵を教える。

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 生来の貧乏性で贅沢などとは縁がなく、空き箱も包装紙も捨てられずに貯めこんで、置くところがなくなって倉庫を買う。捨てないことが善なのだ。捨てないのはもったいないからで、節約なのだが、節約のために使われているスペースコストが意外に大きいことには気づかない。

 というおばぁなのだが、暇ができてからいろいろな習い事にチャレンジしていたのは知っている。その中でも油絵は熱心にやっていたようだ。その頃はこちらは家を出ていたので詳しくしらないが、玄関先に大きなキャンバスに書かれた不可思議な抽象画が立てかけてあるのは見た。その絵を何かの展覧会に出品して賞状もらったりしたらしいのだが、飾りたくなる絵ではない。

 そもそも絵を描いているところなど見たことはない。まぁ、教室に通っていたので自宅では書かなかったそうなのだが。

 

 2021年の正月。コロナの影響で初詣にもいかず、おばぁの家のこたつでだらだら過ごしているときの雑談で、長女が油絵に興味を示したところ、道具はあるから書いてみればいいという。道具はあっても、まったくの初心者なので、どうしていいかわからない、と長女が言うと、「簡単やから教えたる」という。昨年末に、丸一日の記憶をすっかり失くしてあちこちを呆れさせたおばぁである。年中、あれがない、これがなくなった、と探し物ばかりしているおばぁである。何を教えてくれるのかしらんけど、孫娘と過ごす時間が増えたら刺激になっていいだろうと思っていた。だから「たぶん道具は倉庫の中にあると思うから、行ったら『ここらにあったはずやのに』『あんた来ると思って出しといたのに』とかいいながら、道具探して一日終わるで。それでも辛抱強くつきあわなあかん。これは介護やからな」とかいっていたのだが。

 

 長女が言うには、行ったら道具が全部そろえられていて、着いたらすぐに書き始められる状態になっていたのだという。また、書いてる最中も、いつものように何十回も聞いた同じ話をエンドレスで繰り返されるだろうから、耳貸さないでもくもく書けばいいといっていたのだが、「ちゃんと教えてくれた」というのである。

 で、おばぁの絵画教室2回目の時に、私もついて行って見物した。たしかに長女のいうとおり、的確なアドバイスをしている。長女は専門的に絵を学んだことはなく、イラストを描いたりするような趣味もないものの、学校では図画の表彰をなんどか受けたりしていて、黙々と絵を描くという行為自体は嫌いではない、というレベル。アドバイスといっても超初心者向けのものだが、聞いていると、どこに影を入れると立体に見えるとか、花はこういう向きに書くと、べたっと平面的にならない、などと少ない言葉でポイントを伝えている。書いてる間中横でしゃべってるとか、しゃべる話がぐるぐる回るとかもしない。静寂の中で、時折アドバイスの声が聞こえ、それに返答する長女の声が聞こえる程度。見物人の私は、その静寂の中で読書していたのだが、すっかり居眠りしてしまい「いびきが邪魔」と後でふたりから叱られる始末である。

 

 一段落して休憩になったら、相変わらず何度も聞いた話を繰り返したり「あんたが来たら見せたろうと思った」何かを探し出したりしはじめたので「絵が終わったら元に戻ったわ」と思ったのだが、いやいや、絵を教えているときが「元に戻った」姿なんだろうと思い直した。

 

 おばぁがいうには、油絵というのは、何度でも上書きして修正できるから一発勝負の水彩よりも気が楽なんだそうだ。ただし、上書きできるようになるには、油が乾くのを待たないといけない。その時間、少し絵を遠くに置いて遠目に眺めたりすると、いろいろ修正点が見えてくるのだそうだ。

書いているときは筆先ばかり見ているので気づかないことも、一度絵から遠く離れてぼんやり眺めると見えてくるとか。何やら含蓄のあることをいうのである。

 おばぁと孫娘のお絵かき教室は、しばらく続くようである。

 

 

右の人、左の人、山の人、異端の人

 アメリカの大統領選挙に不正はあったのか。トランプなのかバイデンか。

 にかぎらず、とかくtwitterで、政治的発言をしている左右の論客をそれぞれフォローしていると、時に、激しい論争を見ることになる。

 直接やりあってる場合もあれば、間接的にやり合ってる場合もある。感情的な口調の応酬で、口げんかレベルになっていることも多い。こちらは、実はそういう「言葉のプロレス」を見物したくて両陣営をフォローしているところもある。

 けどね。論客といわれてたくさんのフォロワーを持っている有名人たち、発信力はもちろん、専門的な勉強もしていて、人脈も情報も豊富で資金力もあり、なにより頭も抜群にいいはず。その上で、右と左(とあえて単純化しておくが)の視点をそれぞれに持っている。

 ならば。マウントの取り合いではなく、それぞれの視点をすり合わせ、ひとつのよりよい方向性を見出すように力を合わせるということはできないのだろうか。

 論争を面白がって見物していると書いたが、それぞれの識者がそれぞれの情報を持ち寄り、建設的に意見を交換し、世の中のプラスになる方向性を見出そうとしてくれる姿の方が、本当はよほど見たいのだ。

 

 政治でもなんでもそうだが、およそ人間のすることだから、100点の正解はない。行った政策のうち、うまくいったもの、失敗したもの、それぞれにあると思う。全部ダメだったり、全部良かったりはありえない。良いところは延ばす、効果がなかったり逆効果だったりしたところは改善する。ごく普通のことで、そのことについて異論はでないと思うのだが。

 私の知人の女医さんが、ある同じテーマに学会が複数あることを示して「新しい分野の学会だから、頭をとりたい人が複数いて、複数の学会が併存してしまってるのは無駄に思えるんだけど、男というのは、一定数集まると、争ってマウントとりたがるんだね。あれは猿山の猿の遺伝子の影響だと思うよ」といっていた。なるほど。そのテーマについては、マウントの取り合いに参加せず、独自の価値観に基づいて、実践レベルの活動を重視している人もいるが、多くは自ら山を下りた者として異端児扱いされている。その意見は、素人にはもっとも素直に理解しやすいものだったりするのだが、大きな声にはなりにくいようだ。

 

 感染対策いおいても意見が割れている。Covid-19についてはまだまだ未知の部分が多いのだろうが、未来に向けた政策とは異なり、科学的に分析したり推測できる部分も多くあると思う。これについては、「猿の遺伝子」を一時停止させて、損得も利権も大人の事情もいったん脇に置いて、右も左も山の人も異端児も、ひとつの目的に向けて力を合わせていただけるとありがたいのだが。

 こちらにできることは、マスクして、手洗いして、家にこもるくらいなので。お願いしますよ。

新春ドラマスペシャル 人生最高の贈り物 

 新春ドラマスペシャルということで、テレビ東京系で放送された。ちょっと見ない間にずいぶんとおじいさんになってしまった寺尾聡さんと、地味目の主婦を演じる石原さとみさん。

 絵面やテンポは、一昔前のホームドラマのようで、なんとなく見ていたのだが。

 石原さとみさんが上手い。上手いとか下手とかを、演技経験のない素人がいうのもなんなのだが、入り混じった感情、あるいは感情の揺れ、を表情の微妙な変化だけで現す、というのは見ていてすごいなと思う。それを見るだけでも十分値打ちがある。こういう演技は石原さんの得意とするところなのだろうか、他のドラマでも見たことがある気がするが、どうやって練習するんだろう。

 笑いながらも泣けてきて、でも泣いてることがばれないように制御しようとして笑っている、とか、深刻にならないようにできるだけ軽く明るくお願い事をしようとしているのだが、瞳の奥の必死さは隠しきれずにじみ出てくる、とか。

 いくつかのドラマで演じていた派手な風体での奔放キャラで魅せてくれるさとみ様もいいのだが、今回のようなお芝居も見ていたい。寒さとコロナで外出もままならない連休にぜひ。Tverで。