時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

シナリオライターの養成学校にいってたことがある


元旦にびっくりして、七草粥の後にひどい風邪をひいて、そのあたりからずっと、いまだに耳鳴りがやまなくて、こりゃあどうしたと思っていたら、もう節分やと。

さて、

40年も前の話である。

社会人になってすぐのころ、夜間のシナリオライター養成学校に通っていたことがある。学校と行っても、趣味の習い事のレベルではあるが。

当時、必殺シリーズを制作していた朝日放送のプロデューサーや監督らが講師陣にいた。

ファンだった必殺シリーズのシナリオが書けるようになればいいな、と思ったのである。というか、必殺だったら書けるかも、と思ったのだ、毎週観てたし、自分が見てみたいシーンを書いたらええんとちゃうんか、と安易に思って。

 

その時に聞いたのか、別の場所で聞いたのか、読んだのか、もはや記憶は定かではないが印象に残っている言葉がある。

シナリオライターは、芸術家ではない。10回に1回100点を出すよりも、10回すべてに70点を出す方が重宝される。

・熟考したセリフも、役者の都合で変更を求められることがある。どころか、主役のスターさんがほかの仕事をいれてしまったのでシナリオ上で主役の出番を減らしてくれ、といわれることもある。さんざんやりとりして修正したセリフが、撮影現場で突発的に変更されることもある。
そういうものだと思って関わらないと、テレビドラマの現場では仕事にならない。使ってもらえない。

なんや、そうなんか…。

 

原作と映像化の脚本は、本音の部分では、原作者が「私の小説をすばらしい映画にしてもらった」ということは,ないのではないか。
魔女の宅急便」の作者も、アニメ化の話には乗り気ではなかったが、登場人物の名前を絶対に変えないでくれとか、いくつか最低限のお願いだけをして原作を手渡したとテレビで言っていた。映画の重要なシーンに、ニシンのパイが出てくるが、映画を観たファンから「ニシンのパイの作り方を教えてほしい」という問い合わせがあるそうだ。実はニシンのパイのシーンは原作にないから、聞くなら宮崎駿さんに聞いてくれ、ということだった。


視聴者としても、大好きだった長編小説が映画化されたので期待して観に行ったら、がっかりした、という経験の方が多い気がする。

短編小説なんかは、映画の方がいいなと思ったことがある。

最近では、この歳になって、すごいものを読んだな…と思った「流浪の月」の映画が、とても微妙だった。なんで?なんでそうなるん…。


かと思えば、よくできたお仕事ドラマで、その仕事と、その仕事をまっとうしようとする人たちの人間ドラマとして十分楽しめているのに、とってつけたような恋愛要素をぶっこんできて、このくだりいらんやろ、と思ったこともある。

結局、美男美女が演じる主役級の登場人物に、恋愛要素を演出する方が、観客が喜ぶ、とプロデューサーが思い込んでいるのだろう。

知らんけど。

どっちにしても責任の所在はテレビ局のプロデューサーだと思う。
テレビ局のPって大手クライアントのご子息とか、縁故だらけだと、マスコミを目指して早稲田に行った友人が嘆いていたのも40年前だ。彼はマスコミをあきらめて、教護院に勤務して、その後介護の世界に行ったと聞いて以降は消息不明だけど。


原作のないオリジナル脚本では、石原さとみ主演の「アンナチュラル」が素晴らしかった。
いじめられっこが自殺しようとするのを止めるときの石原さとみのセリフなど、文字に起こしてパソコンに保存したのだよ。そうさせるようなすごいセリフだったよ。

 

いずれにしても、原作者と脚本家がそれぞれチームを組んで喧嘩する話ではないんじゃないかな。どちらもそれぞれの側の正義があるんだろう。

いえるのは、たぶん、SNSなんかに感情をなすりつけないこと、じゃないのかな。相手が特定できるような感情は特に。

そういう話だと思うけどなぁ。どうなんやろね。

 

 そうそう、この話題の発端になったシナリオライター養成校は、入って半年ほどで、スタッフだか幹部だかが金を持ち逃げしたとかなんとかで、運営できなくなって倒産してしまったのです。

 講師のお一人が、受講生が気の毒だから、と、ボランティアでゼミのような形式でしばらく指導を続けてくれた。上に書いたテレビドラマのシナリオライター心得は、その時に聞いたのかもしれない。

まぁ、若かりし頃の、まだ夢多かった時代の話です。