時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

83歳 長老 つまり 村

 また舌禍騒動である。過去の舌禍の一覧が新聞でまとめられていたが、どれもよく覚えていて、おいおい、ぜんぶこの人やったんか、と改めて驚いた。83歳だそうだ。戦中派というのだろうか。小学生時代は戦争の真っ最中だった世代だ。

 なんどかここでネタを披露してくれている“おばぁはん”は84歳なんで同世代だ。長年にわたる“村”のつきあいがしみついていて、独特のコミューンを構築している。

 コミューンのメンバーは、皆さん、従妹だったりはとこだったり、従弟の嫁さんだったり、という血縁でつながっている。その親族の長男の家は代々「母屋」と呼ばれ、村人のリーダー役である。冠婚葬祭を中心に、昔なら田植えや稲刈りなど、さまざまな行事を仕切るのである。

 その母屋の家長も亡くなり今は未亡人が一人で暮らしている。この未亡人が、寄る年波には勝てず、認知症の症状が目立つようになってきたようだ。

 「もう、82歳やからな。そら、しょうがないわ」とおばぁはんがいうのだが、待て待て、母屋の未亡人は86歳や。そもそもおばぁはんは84歳や。いったい自分をいくつやと思ってるんや…。

 

 「村」なんやろうな。村の長老やから、まぁまぁ、といえば少々のもめごとも納めてしまえるのだろう。逆に言えば、長老でないと納まらないことが山盛りあるんだろう。

 「村の寄り合い」で「村内の話」だからなんの警戒もせず話したんだろうな。あの世代なら「何がおかしいんだ」という意識だろう。

 

 うちの亡くなった父親は昭和6年生まれだからもう少し年長になるが、同世代といっていいだろう。高度成長期の猛烈サラリーマンで、プロジェクトを任されたなら部署のメンバーは連日残業で、ある日「今日も残業を頼む」といったら、女子社員が、わーっと泣き出した、といっていた。結局残業はしたそうだけど、大事な約束があったんじゃないか。疲れてもいただろう。でもそんな時代だった。やればやっただけ成果が出た。やればテレビが買えた。最新の電化製品が買えた。マイカーが買えた。鉄道会社がストを起こしたら、布団を借りて会社に泊まり込んだ時代だ。残業なんて当たり前だったのだ。断る方が異常だったのだ。

 でも若い女子社員に号泣されたのはさすがに心が痛んだそうで、仕事が一段落したとき、スタッフ全員連れて自腹で慰労会をしたそうだ。みんな喜んでいた。というので、慰労会って何したのかと聞いたら「みんなをキャバレーに連れて行った」という「女子社員も?」「そうや。喜んでた」というのだが。

 キャバレーをwikipediaで調べると「日本において1960年代から1970年代に流行した、ホステスが客をもてなす飲食店。」と書かれている。

 やっぱりやん、おとん、あかんやろ。若い女子社員を号泣するような目に合わせといて、やっとプロジェクトが一段落した慰労会がキャバレーって。そりゃwikipediaにあるように、まさにキャバレーが流行している最中だったようなので、女子社員もどんなところか興味はあったかもしれんけど…。本当に喜んだんは、若い男性社員だけやったんとちがうか。女子社員は本当に喜んだんか?慰労会でも、楽しんでるふりして、男どもに気をつかっただけやったんと違うのか。ちょっとセンス悪すぎるで…。

  

 そんな時代の人なんで、いろいろあるのだろう。今の時代とのズレが。本当はご隠居させてあげればいいんだろうけど、「長老の一声」が効く、まだまだなくてはならない、というのなら、長老が働けるその場所は、恐ろしいことだが、いまだに、当たり前のように“昭和の村”なのだろう。