時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

おばぁはん、84歳。孫娘に油絵を教える。

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 生来の貧乏性で贅沢などとは縁がなく、空き箱も包装紙も捨てられずに貯めこんで、置くところがなくなって倉庫を買う。捨てないことが善なのだ。捨てないのはもったいないからで、節約なのだが、節約のために使われているスペースコストが意外に大きいことには気づかない。

 というおばぁなのだが、暇ができてからいろいろな習い事にチャレンジしていたのは知っている。その中でも油絵は熱心にやっていたようだ。その頃はこちらは家を出ていたので詳しくしらないが、玄関先に大きなキャンバスに書かれた不可思議な抽象画が立てかけてあるのは見た。その絵を何かの展覧会に出品して賞状もらったりしたらしいのだが、飾りたくなる絵ではない。

 そもそも絵を描いているところなど見たことはない。まぁ、教室に通っていたので自宅では書かなかったそうなのだが。

 

 2021年の正月。コロナの影響で初詣にもいかず、おばぁの家のこたつでだらだら過ごしているときの雑談で、長女が油絵に興味を示したところ、道具はあるから書いてみればいいという。道具はあっても、まったくの初心者なので、どうしていいかわからない、と長女が言うと、「簡単やから教えたる」という。昨年末に、丸一日の記憶をすっかり失くしてあちこちを呆れさせたおばぁである。年中、あれがない、これがなくなった、と探し物ばかりしているおばぁである。何を教えてくれるのかしらんけど、孫娘と過ごす時間が増えたら刺激になっていいだろうと思っていた。だから「たぶん道具は倉庫の中にあると思うから、行ったら『ここらにあったはずやのに』『あんた来ると思って出しといたのに』とかいいながら、道具探して一日終わるで。それでも辛抱強くつきあわなあかん。これは介護やからな」とかいっていたのだが。

 

 長女が言うには、行ったら道具が全部そろえられていて、着いたらすぐに書き始められる状態になっていたのだという。また、書いてる最中も、いつものように何十回も聞いた同じ話をエンドレスで繰り返されるだろうから、耳貸さないでもくもく書けばいいといっていたのだが、「ちゃんと教えてくれた」というのである。

 で、おばぁの絵画教室2回目の時に、私もついて行って見物した。たしかに長女のいうとおり、的確なアドバイスをしている。長女は専門的に絵を学んだことはなく、イラストを描いたりするような趣味もないものの、学校では図画の表彰をなんどか受けたりしていて、黙々と絵を描くという行為自体は嫌いではない、というレベル。アドバイスといっても超初心者向けのものだが、聞いていると、どこに影を入れると立体に見えるとか、花はこういう向きに書くと、べたっと平面的にならない、などと少ない言葉でポイントを伝えている。書いてる間中横でしゃべってるとか、しゃべる話がぐるぐる回るとかもしない。静寂の中で、時折アドバイスの声が聞こえ、それに返答する長女の声が聞こえる程度。見物人の私は、その静寂の中で読書していたのだが、すっかり居眠りしてしまい「いびきが邪魔」と後でふたりから叱られる始末である。

 

 一段落して休憩になったら、相変わらず何度も聞いた話を繰り返したり「あんたが来たら見せたろうと思った」何かを探し出したりしはじめたので「絵が終わったら元に戻ったわ」と思ったのだが、いやいや、絵を教えているときが「元に戻った」姿なんだろうと思い直した。

 

 おばぁがいうには、油絵というのは、何度でも上書きして修正できるから一発勝負の水彩よりも気が楽なんだそうだ。ただし、上書きできるようになるには、油が乾くのを待たないといけない。その時間、少し絵を遠くに置いて遠目に眺めたりすると、いろいろ修正点が見えてくるのだそうだ。

書いているときは筆先ばかり見ているので気づかないことも、一度絵から遠く離れてぼんやり眺めると見えてくるとか。何やら含蓄のあることをいうのである。

 おばぁと孫娘のお絵かき教室は、しばらく続くようである。