さぁ、かれこれ50年近く前のことだから、古い話で恐縮です。
小学校5年・6年の担任だった先生は、痩せていて、国語の教科書に写真が載ってる太宰治のような風貌で、疲れてきたら理科室にあるぶどう糖をなめたり、フナの解剖実験のあとで、解剖したフナを刺身にして食べたり、となんだか不思議なおじさんだった。
「お菓子食べるんやったら、代わりにちりめんじゃこ食え」とか、「ノートは安い。同じ金額でアイス買ったら一瞬でなくなるけど、ノートは1学期(3か月)使える(からケチらずたくさん書いて勉強しろ)」とか、決め台詞は50年近くたったいまでも覚えている。
先生の授業では、授業中に注意に従わず私語を続けていたら「口の代表」として、立ち歩いたら「足の代表」として、選ばれた一人が代表で制裁を食らうのだった。昭和だからそんなもんである。悪いことをしたら叩かれるのは当たり前で、体罰とかどうとか、そんなことは親も生徒も思わなかった。
さて、生徒は、「口の代表」で選ばれると、教室の前に出され、びんたを食らうのだが、その際に先生は、左手で生徒のあごをホールドして、動くなよ、動くなよ、耳に当たったら鼓膜が破れて耳が聞こえなくなるぞ、という。そうやって顔を固定してから、パッチーンと叩くのだが、実は生徒は叩かれることよりも、その前の「動くなよ、動くなよ」の時間の方が怖い。パッチーンときたら、終わったー、とほっとする感じである。痛いのは痛いけど、たぶんそんなに強く叩いていなかったと思う。なんだかクラスのみんなの前でビビらされて、かっこ悪い思いをする。そのことが「制裁」だったのだろう。
「足の代表」の時は、教室の前に来させて、片足を抱えるようにして、太ももの裏側をパチンと叩く。当時の小学生男子は、某イソノカツオ君のように、冬でも半ズボンを履いていたので、内ももをパチンとやられると、小さい力でも痛いのだ。これも何回か空振りされたり、寸止めされたりして、そのたびにビビってたと思う。
昨日、小学5年生を教諭がビンタして鼓膜を破ったというのを、ネットニュースで見た。50年前の小学5年生と比べれば、今の5年生は、言うことも、態度も、かわいげがなく、大人としては、かなりムカつくのかもしれないが、先生も「たたき方」を勉強した方がいいかもね。腹立ててその感情のまま殴ったら、残念ながらそれは単なる暴力です。
さて、教員の皆さんは、騒ぎ立てるマスゴミに委縮することなく、プロとしてのトレーニングと見識に則った「教育的制裁」を食らわしてやってください。我慢しすぎないで早めに手(私の担任のように、演出され、計算された手)を出すことです。
あとはアンガーマネジメントでいう、怒りの発生のメカニズムを学べば、その時自分がなんでブチ切れたのか、怒りに至る前の心理がわかります。それがわかってしまうと、次に同じ状況になったとき、「あぁ、自分はまたこれで怒ってるわ」と気が付くので、グッとこらえる間が作れます。
そのことで、怒りっぽい人なら、「ぽい」を「ぽい」できます。残るのは「怒り」。本当に怒るべき時に、怒るべき相手に、怒ることができる大人になりましょう。ワイは無理やけど。
※「怒りっぽい人なら、「ぽい」を「ぽい」できます。」このレトリックは、ジョージ秋山のマンガ「浮浪雲」の中にありました。何巻の何話とか覚えていませんが、学生時代、けっこうまじめに読みました。渡哲也主演のドラマも見ました。衝撃でした。