時速20キロの風

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読書メモ 凛の弦音 我孫子武丸 光文社 2018年10月

 弓道部の女子高生を主人公にした青春小説をさらに。

今回はミステリー作家の我孫子武丸。基本線は青春小説なのだが、ミステリーの味付けもアクセント程度に入っている。弓道に関する知識もたっぷりと披露される。

 「凛として弓を引く」との違いは、こちらは高校の弓道部、ということで競技が主体のいわゆる学生弓道で、的に当てることが重視されるわかりやすい競技のシーンも満載だ。

 で、そのさわやか青春小説の中に、こんな一説があった。弓も本来は人殺しの道具だ。殺すか殺されるか、形がどうあれ、弓なら当てた方が生き残る。それ以上でも、それ以下でもない。それが天下泰平の時代になって、戦闘ではなく、止まった的に当てる競技となり、そこに礼節や作法が加わった。

 

 このくだりで、うぶぶっとなった。居合もまったくそんな感じだ。居合の場合は的もないから、せいぜい刃の風切り音で刃筋を確認するくらい。

 深い考察だな、と思ったら、作者の奥様が10年以上弓道をやっていて五段だそうだ。そこで弓道を小説にするにあたって、作者本人も弓道をはじめて初段になっている。なるほど。これこそ実際にやってみたからこそ感じる疑問であり迷いである。

 

 この手の武道は、本来の目的を失って後、何を学び継承するのか、というところが難しい。いまどき戦争があっても弓や刀は使わない。もはやその役目を失った道具なので。

 なのでややもするとスピリチュアルな方向に話がいってしまうことがある。

 

 私も初心の頃は、刀を抜く前に気で相手を制するのだ。そのために、柄頭を相手の正中線に向けてゆっくりムムムっと抜いていく。相手はその気に制されて動けなくなる。といわれた。もちろん、初心者向けの指導であって、この言葉で表現しきれていない意図は多く含まれていると思うが、当時は、居合って念力か何かか?と思って面食らったのを覚えている。奥伝まで進めば、その想定から、どうやらテロリストの暗殺訓練だったのかも、と思えるのだが、そんなことをうっかりいうと怒る人もいて、さまざまな解釈で行われていることがわかる。

 居合も、目的が本来のだったころは、基礎を学んだ後は、それぞれのフォームがあったんじゃないかな、と思う。たとえばイチローのバッティングフォームや野茂のピッチングフォームは、かなり特異だが、ヒットを打つ、三振を取る、という目的の中で彼らには最適の型だったのだ。それぞれ指導者からフォームの改造を求められたと聞くが。

 術から道になり、実践のための戦闘技術よりも精神修養が目的になっていくなかで、いろいろな変化があったのだろう。

 

 「凛の弦音」には「残心」という続編がある。