時速20キロの風

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ブラック校則と中村君の黒のビニジャン

 ブラック校則という言葉がある。記憶に残っているのは、生まれつき髪の色が薄い女子生徒が髪を黒く染めろ、といわれたとかいう話。ぽかんとするくらいばかばかしいのだが、教師たちは大真面目だんだろう。

 昔は中学になって男子は詰襟の、女子はセーラー服の制服を着せられることが多かったが、このあたりのファッションセンスは、兵隊さんのイメージで、整列や行進をやたら厳しく指導していたのも、どこかに兵隊さん教育がモデルになってたか、教師たちの憧れであったか、何かじゃないかと思う。

 

 私の世代では小学校の運動会の行進は、一糸乱れず、ということが強調され、何度も何度も行進の練習をさせられた。指導についている教師たちも、興奮していて、全体止まれ!前へススメ!と叫び声を上げ、手には徒競走の際に使うピストルを持っていて、列が乱れたりしたら走り寄って怒鳴りながらピストルを鳴らしたりしていた。徒競走のスタート時に鳴らすピストルだが、相手は小学生なのでビビりまくる。今なら問題になるんだろうか。なるやろな。

 

 ただ、当時の教師は、怒鳴りながらピストル鳴らしても、びんたを食らわしても、それで鼓膜が破れたとか、怪我させた、とかはなかった。びんたするときは、教師自身が生徒の顔を左手でホールドして動かないようにして、右手でびんたしていた。それはそれで、プロっぽくて怖い面もあるが、体罰時にけがをさせないテクニック、みたいなものはあった。立たせておいて右手だけでフルスイング、みたいなびんたをすれば、とっさによけようとして顔を背けて、手のひらが耳にあたって鼓膜が破れるなんてことは、当時の教師たちはあたりまえに知っていた。

 そういう点では、体罰が禁止されている今は、体罰のテクニックも忘れ去られ、挙句に、程度の低い教師が感情任せに暴力を奮って怪我をさせるのだろう。目的とテクニックがない体罰は、ただの暴力である。

 

 さて、ブラック校則である。特に服装、髪形、持ち物については、中学以降は、抜き打ちチェックなどはしょっちゅうあった。携帯電話など想像もできない時代、いったいどんなふとどきなものが持ち込まれていたのかは知らないが、教師たちは大まじめにやっていた。それにしても、昨今、ネットを見ると、本当かウソかは知らないが、下着は白、という校則があり、女子高生のスカートをまくってパンツの色を点検している、という話もある。そうなってくると、このあたりは軍隊というより刑務所のノウハウかな、と思う。

 

 たしかに、そのくらいして「ルールを守ること」「集団の中ではみ出たり、浮いたりしないこと」「自分では考えず、無批判に周りに合わせること」を、日本で無難に生きていくための心得、として社会人未満の彼ら、彼女らに体験させておくことは、卒業した生徒のほとんどがどこかの集団に所属して収入を得て生きていくことを考えれば、必要なことなのかもしれない。人権がー、自由がー、感性がー、といっても、それを御旗にして一生生きれる人は、ほとんどいない。それを御旗にしているように見えるアーティストだって、作品を売ってくれる人や組織に対しては、その御旗を下ろして不自由を享受しているはすだ。

 

 とはいえ、あまりにもつたないやり方はどうなのか。当時と違って、学校や教師へのリスペクトがなくなっている時代、生徒や親を「お客様」と心得て揉み手をして接する必要はないが、こういう人間を育てるために、こういうルールを守ってもらう、こういうトラブルが起こらないように、こういう規定にはしたがっていただく。という目的を明確にして、手段としての校則を見直していけばいいのではないか。まぁ、もともとはそのように目的論的に作られた校則だったのかもしれないが、時代の変化についていけず、結果として手段が目的化してしまっているのだろうけど。

 高校は「嫌なら来るな」でいいが、小・中学は、公立の場合は生徒側に学校を選ぶ選択肢がないのだからなおさらだ。

 

 というわけで、校則である。私が高校の時は、学生運動が終息して世の中がすっかりしらけた気分になっていた時期なのだという。なので我が高校では、権力と戦った先輩たちが、闘争の末、制服廃止を勝ち取ったらしいのだが、我々が入学するころには、権力側が多少盛り返していて、月曜日の全体朝礼の時や、各種行事日には制服着用。それ以外は自由。ただし上は極力白無地かワンポイント程度の柄に限られる。下はジーパンかスラックス、みたいに言われていた。女子の場合は記憶にないが、スカート丈なんかは規定があったのかもしれない。

 

 で、生徒はというと、その当時でさえ、白無地にワンポイントの柄、みたいなおっさんシャツは着たいとも思わないし、周りの評判も気になるので、男女とも、ほとんどが毎日制服を着ていた。これぞ日本人である。小学生の頃の軍事教育が効いたのか、単にその学校に入学出来た生徒の資質だったのか、そこいらはわからないが、先輩たちが権力と戦い勝ち取った権利を「めんどくさい」という理由で早々に放棄したのである。

 

 そんなわけで、結局みんな制服を着ていたのだが、ある冬の日、同じクラスの中村君が黒い革ジャンを着てきたのである。まだ真新しくてつるつるだったのを覚えている。

 中村君は、当時はそんな時代だったのだが、俳優の渡哲也さんの大ファンで、立ち居振る舞いとか、とにかくまねをしたがっていた。生来のキャラは全く違うので、意識すればするほど、今でいうなら、いちいちすべってはいたのだが、自意識過剰な17歳はそんなことに気づかない。

 革ジャンは、渡哲也なのか松田優作なのか、あこがれのスターの気分をまとう大切なアイテムで、革ジャンを着てきた日の中村君は、気分はすっかり石原プロなのだ。こちらもわかっているから、極力相手のモードに合わせて接するようにするのだが、それはそれで面倒くさい。が、あこがれて真似るだけあって、見てくれだけは強面の中村君が、革ジャンを着て孤独に無言ですごんでいると、知らない人にはややこしい人に見えなくもない。

 その日の終わりのホームルームで、担任が来て事務連絡をして、さあ、挨拶をして帰りましょうというときに、担任が「中村、知らなかったかもしれないが、革ジャンは校則違反だから」と言ったのだ。予想外の展開に、中村君の全身から、それまでまとっていた、渡哲也の、松田優作の気配が剥がれ落ちていくのが我々の目にも見えたくらいだった。

 何もみんなの前で言わんでもあとでこっそり本人に言えばいいのに、と中村君に激しく同情したその時、友人の鈴木君が手を挙げて「先生、中村が着てるの、これ、ビニールです」といったのだ。そしたら担任が「ビニールか。じゃあ、いいわ」と答えたのである。ええんかい、校則で規定されているのは、素材やったんかい、革ジャンは「不良」のアイコンやからあかんのと違うんかい。クラス中が大爆笑になった。

 

 気の毒なのは中村君である。さらの革ジャンを着てきて、丸一日かけてまとっていた気配は、すべてこの「ビニールです」というオチのための前振りになってしまったのだ。

 で、その冬の間中、中村君はクラスメイトから「中村、ビニジャン着てこないのか?」「ビニジャンやったら違反にならへんねんで」などとからかわれることとなったのである。

 

 蛇足だが、この時代、「ビニ本」なるものが新宿あたりで売られているのがニュースになり、我々地方の純朴な男子高校生の妄想のタネになっていたのだ。なので、「ビニール」という単語は、クラスの男子には本来とは別の淫靡なニュアンスをまとっていたのである。それゆえに、よけいに「ビニール」がウケたのだった。