時速20キロの風

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無双直伝英信流 居合兵法 業名「信夫」その2

 居合は後の先。敵の害意を察知して、斬られる前に斬る護身術。居合の極意は鞘の内、つまりは抜かずして敵を制する。殺人剣ではなく活人剣であり、現代に居合を学ぶ意義は精神修養である。武士道を重んじるストイックな侍の心を学ぶのだ。

 まったくその通りで、現代に居合を学ぶ目的として非常に重要な心構えである。

 

 で、先述した「信夫」だが、居合の型も奥伝に入るととたんに想定が「暗殺」めいてくるのである。敵はこちらが刀の先で地面を叩いた音に反応するのだから、敵が刀を抜いてこちらを斬ろうと迫ってきているわけではないだろう。道の端に身をよけても気づかないくらいの暗がりだ。護身だと解釈するより、待ち伏せしてたと解釈する方が理解はしやすい。ただし、居合は想定がすべてではない。想定はあくまでも型を覚えやすくするための「状況設定」であって、その「設定」に対してどのように身体を、剣を使えばいいか、を練るのが、型を修練する目的だと考える。「信夫」であれば、刀を残したまま身体だけ気配なく横に移動する身体操作だろう。これがスムースに、かつ相手に悟られずにできればどういう場面で有効か。たとえば、それこそ対面する敵がいきなり上段から斬りかかってきたとするならば、相手の視線でいえば、目の前にいたはずの敵の姿がふっと消え、次の瞬間には両脛を斬り裂かれてしまうのだ。なんせ敵の刀はまだ腰の鞘に入っている状態だ。逃げた、と視覚でとらえても、敵の体が横に移動した瞬間に、腰の刀が抜けて、自分の正面で刃がひらめくところまでは追えないのではないか。

 奥伝だけあって、なかなかに単純ではなさそうなのである。

 

 ※以上、筆者の個人的な空想です。