時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

理学療法士を目指したF君の話

お題「#この1年の変化

 2020年の就活をコロナで台無しにされた大学4年生も多いのではないか。たとえば公務員志望で、大学内で予備校講師を招いて行われる公務員試験対策用のけっこう高額な有料講座を受講していた学生も多いと思うが、講座の開催そのものもコロナの影響で中途半端になり、かつ公務員採用試験が、本来の公務員採用のための問題ではなく一般企業が行う一般常識の問題に変更されたという。その方が試験の時間が短くて済む、とか、同じく苦境にあえぐ民間企業希望者にも門戸を開くため、とかいう理由も耳にしたが、いやいや行政職を目指して勉強してきた学生はどうなんねん、という話である。

 本当に多くの人がコロナによってダメージを被った。まさかの1年以上にわたって。それでも暴動も何も起こらず文句言いながらも政治家の指図にしたがう国民性は…、というか、どっちかというと政府というより鴻上尚史さんのいう「世間様」に従っている結果なのかもしれないが、いずれにしてもやけっぱちになってあちこちで暴動がおこったり、ということもなくなんとか耐えている。

 

 そんな中、就活で割り食った学生の話を聞いていて、ふと思い出したのが、高校3年の時に同じクラスだったF君のことだ。当時は共通一次試験なるものが導入され、学生は自身の偏差値の増減に一喜一憂し、我々のような、さほど成績優秀でもない中くらいのランクの高校生であっても、少しでも名のある、偏差値の高い大学に進学することが当然の目標だった。学部なんてなんだってよかった。世間的にいわれる大学の順位の中で、少しでも上の大学に入れればそれでよかった。

 大学の順位は予備校あたりがご丁寧に順位表を作ってくれており、たとえば偏差値がいくつだと、〇〇大学の法学部は無理だが、社会学部なら引っ掛かりそうなので社会学部も受けておく、みたいにして受験する大学や学部を決めていた。大学に入ることが目標なので、入って何をするかなんて考えていない。名のある大学に入れば、名のある会社に入れて、終身雇用と年功序列で生涯安泰が保障されると誰もが思っていた。学部ですらどこでもいいと思っているんだから、どういう会社に入ってどういう仕事をしたい、などというビジョンも当然ない。

 そんな状況が当たり前で違和感すら覚えなかった高校3年のとき、私よりもクラスで成績が上だったF君が大学を受験せず専門学校に行くという。聞けば、理学療法士の資格を取るのだそうだ。我々はリガクリョーホーって何?と戸惑って、F君に、そんなことをいってないで、大学を受験しろと説得しようとしたりした。F君はお母さんが病気かケガで長く入院していて、リハビリの先生にとても世話になったので、自分もその道を目指すのだといった。そういわれるともはや何も言えない。もったいないことだと思った。そう。この話を聞いて「そのために大学進学をあきらめるとはもったいないこと」と我々は素直にそう思ったのである。

 

 そのことが、しょーもない思い込みだったことは、もぐりこんだ大学を卒業して、もぐりこめた会社に就職してすぐに思い知らされた。目的もわからないまま課せられるノルマを果たそうとあがくだけの日々を過ごしながら、医療の専門職になったF君は、今頃どういう日々を過ごしているんだろうかと考えた。もちろん、理学療法士として組織に所属して給料をもらう以上サラリーマンであることは同じなので、上司や部下や同僚との関係や多職種との関係など、意に沿わないことや苦労も不満もあるとは思うが、少なくとも「自分の仕事はリハビリテーションで、患者の不自由になった日常行動を取り戻す手助けをする」という一点に関しては揺るがないだろうし、スキルを身につけることで、よりスキルが行かせる施設に変わったり、新たな手法の開発や研究をしたり、同じく理学療法士を目指す人たちを教員として指導したり、という多様な選択肢も得ることができる。

 

 可能性しかなかったような18歳の頃に、深く考えもせず、偏差値上位の大学に入りさえすればそこがゴールだ、と思い込み、それ以外の選択肢があることにすら気づかず、気づいていないのだから探しもせず、気づく縁もなかった私の方こそ「もったいないこと」だったのではないかと今なら思う。

 残念ながらか、幸いに、かわからないが、大学を卒業しても結局生涯安泰な会社などには縁がなく、世の中をうろうろしながらなんとか生きてる現状に後悔はないのだが、選択肢を知る、あるいは選択肢を見出す、ということは、いくつになっても大事なことなのだと思う次第である。