時速20キロの風

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読書メモ 本のエンドロール 安藤祐介 講談社文庫 2021年4月

 作家や編集者が題材になったお仕事ドラマはよくあるが、本書はさらに裏方の印刷・製本に携わる人たちが主人公の物語である。印刷・製本というと、出版のプロセスでいうと最終局面で、締め切りぎりぎりになってようやく入稿した原稿を、無理を言って深夜まで待たせていた印刷所に持ち込み、危機一髪、間に合わせる、というような場面で登場することが多い。往々にしてドラマはそこで終わる。次のシーンでは無事に刊行された書籍だか雑誌だかを主人公が満足そうに眺めている、という大団円につながっていく。

 

 この小説では、ふつう描かれることのない印刷会社が舞台になっている。冒頭、主人公は、「印刷会社は本造りのメーカーだと思っている」と夢を語り、先輩社員に「メーカーではない。作業工程のプロに徹すべきだ」と諫められる。

 同じ仕事に対して、相反する二人の姿勢がドラマの主軸になっていく。

 ただ、本書では、地味な裏方であっても視点の置き方や気の持ちようで、やりがいや感動は得られるのだ的なロマンチシズムはさほど語られない。

 地味な工程に起こりうる、割とリアルな出来事を連ねながら、本造りの裏方の仕事を紹介していく。渦中、ドラマを転がしていくための出来事も多々起こるが、決してドラマをドラマチックにするために作られたエピソードではなく、大なり小なり、日常に起こっている「ある、ある」だと思われる。

 また物語の中では、増えてきた電子書籍に対する印刷会社の煩悶も語られる。表紙の色作りなど、職人の感覚に頼っていた、いわゆる「職人芸」の部分も、ITに取って代わられようとする中で、印刷や製本の会社が生きる道は、そのまま、紙の本の将来に同化する。

 身の回りでは、たとえば一昔前なら、携帯電話やパソコンを購入したら大きな箱で届き、そこには本体の何倍もの嵩を取る「マニュアル本」が封入されていた。が、いまはそんなものは入っていない。初期対応のみに簡略された小さいものが入っているだけで、本格的なマニュアルは、メーカーのサイトからpdfファイルでダウンロードする仕様になっている。この世界では、早くから紙の本が消え、デジタルが主流になっている。音楽も映画も、CDやDVDはまだ存在するが、データ配信の比率も高まってきている。

 本書で扱われている文芸書はどうだろう。基本的に文字だけなので、それをデータ化するのは簡単だ。であるなら、もはや紙の本か電子書籍かは、その人の「好みの問題」になってしまう。最終的には、本を「物」として所有し、書棚に並べたい、という人だけが紙の本を求め、本に書かれている内容を楽しみたいだけの人にとっては、電子書籍で十分だ、ということになっていくのではないだろうか。

 

 マンガはすでにスマホで読むもの、になっていきつつある気がする。

 ユーザー視点であれば、世代交代するにつれて、紙の本からデジタルブックへのシフトは加速すると思われるが、売る側の視点でいえば、たとえば文芸書なら文字データだけなら軽くて複製もたやすいものに、人々はいくら払ってくれるのか。

 WEBコンテンツを商品とする場合、物の売り買い、というビジネスモデルではなく、訪問者の数に応じた広告収入を得る、というビジネスモデルなのである。民放のテレビ番組と同じ構造だ。

 

 そのテレビ局のビジネスモデルも、youtubeなどに取って代わられている。実際、身近にいる大学生はテレビをまったく見ない。リビングで、皆が見ているテレビの前に座っていても、手には常にスマホを持っていて、耳にはイヤホンが刺さっている。そして、お気に入りのyoutubeやネット番組を見ている。彼らに物を売りたければ、テレビよりもネットに広告を出す方が確実だろう。それに彼らはそのyoutubeやネット番組を無料で楽しんでいる。そういうスタイルが定着していくなかで、コンテンツごとにお金を取るのはなかなか難しいのではないか。来年からテレビを見るなら番組ごとに課金される、となれば(NHKはすでに視聴料を、しかも強制的に取っているのだが)、視聴者も見る番組を吟味するだろうし、テレビ局単位でサブスクのように契約ができるとするなら、全部の局ではなく、いくつかの局を選ぶだろう。で、選ばなかった局で、見たいドラマが始まるのを知って悔しがったり、そのドラマの放映期間のみ、その局と契約したりするのかもしれない。

 そういう点では、スポンサーが制作費を支払う代わりにCMを流し、見る側は、間接的には商品価格に含まれる宣伝費を支払いはするが、直接的には無料で、いつでも好きなだけ見れるという今の仕組みは、なくなると面倒くさそうなので残ってほしいが、スポンサーの出資目的が自社製品の販促なのだから、いずれなくなっていくのだろう。