時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

薄毛には「刈り上げない程度の、長めのソフトモヒカン」

 髪形などを気にするようになった頃、テレビで見るあこがれのかっこいいお兄さんたちは、みんなそろって長髪だった。それが当たり前で、耳が出ているなんてのは恥ずかしいくらいかっこ悪いことだった。

 私の場合は特に、ちょっとしたことで耳が真っ赤になる赤面体質だったので、自分としてはそれをごまかしたい意図もあって、なおさら耳は髪で隠したかった。

 そんなわけで、ロン毛ってほどではないが、生涯髪は耳が隠れる程度の長めで過ごしてきた。

 しかし、いつの頃からか、髪形がまとまらなくなってきて、整髪料を使ってみたり、分け目を替えてみたり、といろいろあがいたのだが、どうも、原因はそんなところではなく、髪質と量の変化の問題だと気付くにいたった。特に量だ。横と後ろは往年の量があるのだが前と頭頂の量が激しく減少しているようなのだ。なので、前髪の長さは一時よりさらに長くなった。スタート地点が後退したので、その分長さが長くなる。少ない量を長さでカバーしようとしたのだ。だがこれは間違いだったらしい。意識して鏡を見ているときは、何とかなっていると思えるのだが、乗り込んだエレベーターの中に鏡があったりして、無意識下でそこに映った自分が眼に入った時の衝撃は大きい。「げっ」と思う。昨今は、リモート会議で、画面に映る自分自身を見て「げっ」と思う中高年が増えているようだ。私の同僚は「ノートパソコンだと下からあおるようにして映るからね」といいわけしていたが、なるほど、なにかにつけ自分を客観視するのは難しいものなのだろう。人というものは、自分のことを誰よりも知らない、というのは本当のようだ。

 

 あるとき、たまたま通りすがりにみつけた会社の近所の1000円カットに行くと、明るく迎え入れてくれたきさくな感じの中年女性の技術者が鏡越しにじっとこちらを見て、やや言いにくそうに「切らせてくれないか」という。「美容室で髪切らんでどうすんねん」という話ではないことはわかったので「薄くなると長いのはダメですかね」と極力明るくいったつもりだが「あ、そういうわけでは…」と。「長目がお好きですか」と聞かれたので「まぁ、若いころからずっと長くしてきたので」というと「じゃあ、あまり極端に印象変わらない方がいいですね」といって、「切っていいですか」と再度聞かれたので、「どうぞ!」とこれもことさら明るく言ってみた。そのやりとりを見ていたもうひとりの技術者も、鏡の中で大いにうなづいていて、「なんか妙なことになったな」と思いながら眼を閉じた。

 もともと散髪の間は目を閉じていて、そのまま居眠りしてることが多い。あまり技術者とだべったりはしない。なので今回も黙々と切られて、仕上がって、眼を開けたら、えらくさっぱりした印象に仕上がっていた。これもありかな、と思った。かなり切ったけど、デザイン的にはそんなに変わっては見えないと思う。と施術者がいったが、もうひとりの技術者は、なんか別人になりましたね、という。

 自分的には、えらく短くなったな、という感じだったが、「別人になった」といわれて、まぁ、この歳で別人になってみるのも面白いかな、と思った。

 「やはり短くする方がよさそうですね」というと、「このくらいの長さに抵抗なくなれば、次は、”刈り上げない程度の長めのソフトモヒカン”ってオーダーしてみてください。美容師はそれでわかります。それで自分が長さに慣れたら、少しづつアレンジしていくといいかも」とのことだった。

 別人になった、といったもう一人の技術者は「うちの旦那もそれにして、もうやめられへんっていってましたよ」と勧めてくる。「モヒカン」ということばにそもそも抵抗があるし、ソフトモヒカンというと、頭のてっぺんだけキューピー人形みたいになってる人のイメージがあるし、なんだかなぁ、と思ったが、次に行った際には言われたとおりにオーダーしてみた。

 で、結果は、扱いやすいので割と気に入っているのである。キューピーさんみたいになるかどうかは、頭頂の毛をワックスなどを使って立たせるかどうか、なので、そのままにしておけばキューピーにはならない。簡単に言えば、短髪なのだが、坊主でも角刈りでもスポーツ刈りでもなく、おしゃれっぽくなる、ようなのだ。おしゃれっぽいかどうかには、土台になる顔や頭の形、薄毛具合などで個人差はでるんだろうけど。

 

 カットにはバリカンを使うのだが、バリカンには12㎜、9㎜、6㎜という既定の長さがあるらしく、長目だと12㎜になるようだ。わりとすぐにぼわっとしてくるのでサイドは9㎜でいいかもしれない。6㎜とかにするとほんとのモヒカンみたいになる、ということだ。

 おっさんの髪形なんか、気にしているのは本人だけだということは重々承知しておりますが、定期的に世話になる割には、ほとんど知らなかった理美容業界の技術や知識に触れることができて新鮮な体験だった。