もうじき亡くなった父親、つまりおばあはんにとっては亡父の命日。その前にお墓の花を替えておきたい、というので、花を持って墓参りにいった。帰りにスーパーに寄って食材を調達し、子どもたち、つまりは孫も合流して、にぎやかな晩御飯だった。のに。
のに。次の週になって、電話がかかってきた。次男が立ち寄ったので、しばらくお墓参りもしていないし、もうすぐ命日なので、花を替えておこうと思ってお墓に行ったら新しい花が供えられていた。誰か来てくれたのだろうが、誰だろう。親戚や友人に電話して聞いているのだが、誰も知らないというのだ、ということだ。我々が行った後に誰かがお参りしてくれたのだろうか。
とりあえず墓に行ってみると、供えられているのは、やはり先週、我々が供えた花だった。涼しい季節には花も長持ちするようで、まだ生き生きとしていた。だから数日前に供えられた、と勘違いしたのか。それにしても、である。墓参りの後、久しぶりに孫に囲まれて食事したことまできれいさっぱり忘れていたようで、これはちょっとまずいのではないか、と不安になった。が、本人は相変わらずへらへらしていて、いたって陽気に過ごしている。陽気で元気なぼけ老人、というのがどういうものなのか、いまいちわからないので不安はさらに増していく。
その数日後、定例になっている母の姉妹や従妹たちの「かなりの高齢者の集い」に参加して、そこでさんざんネタにされたようだ。もちろん定例会の参加者は全員「花供えてくれたか?」と電話されているのだから、皆さん当事者なのだ。
「お墓のお花、誰がお供えしてくれたんか、わかったん?」
「わかってん。私やってん」
「はぁ?」
みたいなことで、かなり盛り上がったらしい。
まぁ、ええけど。
その次の週はうちで鍋をするので招待した。いつも遠慮して来ないのだが、今回は半ば強引に連れてきていっしょに過ごした。その一週間後、母から小包が届いた。歳暮にするような進物品で、また何を送ってきたのかと電話をすると、届いたか、という。これは何?と聞くと、最近、近隣の年寄り仲間と共同で加入した生協で注文して送ったのだという。
「生協で進物もやってるっていうから、ちゃんと届くんか、あんたと弟のところに送ってん。ちゃんとついたんやな」とのことだった。
生協、信用されてへんのか…。
先週、うちで鍋したの覚えてる?と聞くと覚えてるで、と。その時、晩御飯に食べようとしていたスーパーの弁当の食べ残しを冷凍庫に入れて凍らせたのは、もう捨てたよね、と聞くと、食べたで、と。それ食べんでええから捨てや、というて、鍋にしたのに、お腹の具合悪くなってないのか、と聞くと、大丈夫や、鍛えてるから、と。
どうやって鍛えるのかわからんけど。
自宅でとはいえ、鍋囲んだりしたから、コロナの心配もしてたのだが、いたって元気に笑っている。やはり鍛え方が違うのか。さすが戦中派ということか。
まずは、何よりである。