作者本人が、新聞のコラムで触れていたので気になって読んでみた。後で別のコラムを読むと、震災は構想中に起こり、物語に組み込まざるをえなかったとのこと。震災後の日本と並走しながらの連載だったようだ。
興味があったのは、あの震災は、作家的想像力によってどう解釈されているのか、というところだった。
ディストピア小説というのだろう。描かれているのは、あまりにも救いがなく、誰もがもがけばもがくほど不幸になっていく世界だった。
書かれたのが震災の直後で被害の全容もわからない中、最悪の事態に向けて、作家の想像力は、ネガティブな方向に走り続ける。
今読めば、そこまでにはならなかった、そこまではさすがになかった、とも思えるが、震災を期に東京から、遠い南方の島に移住した人もいるので、当時はそれがリアルな恐怖だったのだ。
とはいえ、小説に書かれたような陰謀がゼロだったのか、政治は純粋に、そして真摯に人々の暮らしの復興に尽くしたのか、と問われれば真実は知るよしもなく、当時の国会議員のおバカな発言や態度、行動がワイドショーのネタに重宝されていたことだけが思い出される。結局は似た方向のことは無くはなかったんだろう、と思わせてくれる。
いずれにしても、震災が、この作品の骨子を変えてしまい、作家は想像を絶する現実の中で、必死に作家的想像力を振り絞ったのではないか。
小説は、一応完結はしているが、書きかけた物語は、終わるはずがない物語である。
まもなく震災から10年。予定されていた五輪について、物語の中で作者はある想像をしているが、ウィルスという新しい、かつ地球規模の脅威によって延期になるところまでは想像は出来なかった。このウィルスと共存することになった現在を、作家はどう見るのか。今を20歳前後の、まだ若い大人として生きているバラカは、何を感じどう行動するのか。
見てみたい気もする。
この小説に描かれた現象のいくつかは幸い絵空事ですんだが、少なくとも政治が真実を話さない、ということは、今の我々にとって、当時よりもかなりリアルな現実になっている。