時速20キロの風

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読書メモ 『生かさず、殺さず』 久坂部羊 朝日新聞出版 2020年

 これは小説のふりをしたノンフィクションですね(笑)著者は現役の医師です。上質なエンターテイメントの書き手であり、現代の医療に関するリアルで、かつ、重要な問題提起が含まれた作品が魅力です。

 

 今、病院に入院している患者さんは高齢者がほとんど。そしてその高齢者の多くが、多かれ少なかれ、認知症を患っている。

 消化器病棟であれば、循環器病等であれば、整形外科病棟であれば、医療スタッフは主たる疾患の知識や治療、看護の方法は熟知しているだろう。しかし、学んできた方法は、認知症を想定してはいない。しかし、入院中の患者は認知症を患っているのだから認知症に対するケアの知識がなければ太刀打ちができない。特に、入院中の療養上の世話を専門領域とする看護師は、改めて認知症ケアの勉強を一から始めなければならないほどだ。

 本書も、治療中のさまざまな疾患を持つ認知症患者を集めた通称にんにん病棟が舞台となっている。さすがにこういう病棟は実際にはないだろうが、ここで繰り広げられる認知症患者と家族、そして医療者たちとのエピソードは、ほぼ実話だろう。いや、どちらかというと、実話よりは軽妙に演出がされているのではないか。現実はもっと重くて暗いのではないか。

 一応小説なので、小説らしくするために、主人公の過去を知る「売れそこなった小説家くずれの元医師」なる人物が現れ、ドラマつくりのセオリーにのっとり主人公を追い詰めたりもするのだが、申し訳ないけど読むところはそんなところではなく、全編に書き込まれた、「にんにん病棟の日常」だ。

 ほとんど作り話ではない。どころか本当は、きっと、もっとひどい。

 

 幸いにして、ご本人もご家族も、健康に恵まれ、病院に縁が薄かったという方はぜひこの、ほぼノンフィクションな物語をご一読ください。

 子どもの頃からよく知る私の親戚のおばあさんも、認知症を患い、近隣を歩き回り、転倒して、大腿骨頸部を骨折して、手術して、入院するという、あるいみ、典型的まっしぐらなストーリーを驀進しています。しかもコロナ禍で家族は見舞いに行っても着替えを詰め所で看護師に手渡すくらいで会うことも許されない。驀進が激しく加速しているだろうことは、想像に難くない。88年生きてきたラストシーンとしてはあまりにも寂しい限りだが、これが現実なのだ。