時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

おばぁはん 84歳。ついに登場す。

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 おばぁはん84歳。私の母であるが、ここは私の娘の視点で、おばぁはんと呼ばせていただこう。

 近親者の行動で、あきれたり、笑ったり、困ったりするキャラは、だいたい、マルかおばぁはんである。

 おばぁはんはいつも、物を無くす。家の中で物をなくして探し回っている。どうもそれが日常のようで、探すものがないと退屈してしまうから、何か探している方がいいらしいのだが。

 物を無くす状況は決まっている。

 「大事な」あるいは「ようわからんけど大事そうな」物を、「無くしたらいけないから見えるところに置いておこう」と思って「見えるところに置いた」ことは覚えているのだが、家の中に「見えるところ」が複数あるので、その時にどこが「見えるところ」だったのかがわからなくなるのである。とはいえそんな大きな家でもなく、たいていはリビングのガラスの扉のついた戸棚で、そこはたしかに、かなり「見えるところ」なのだが、なぜかそこにない。おかしい。ここに置いたはずなのに。どこへやってしまったのか…。というところから「探しものの旅」がはじまる。

 

 さて、どこに置いてしまったのか。ここにもパターンがあって、たいていの場合「見えるところに置いておこうと思って、手に持って「見えるところ」まで行こうとしたが、そこで何か予期せぬことが起こって、「見えるところ」にたどり着かなかった」というシチュエーションになるようだ。要するに「作業中断」で、これは多くのうっかりエラーの原因となる危険因子である。

 ただ、おばぁはんの場合、作業中断の原因が、「電話が鳴った」「ドアのピンポンが鳴った」などの外的要因だけではなく「持っていこうと思って立ち上がったら、何か他のものが目に入って、それが気になって、そっちを先にしたため」というご自身の要因が多いのだ。そして作業中断の際にたびたび起こるのが、「気になったことを先にやろうとしたときに、手にしていた先の作業を中断するにあたり、手にしていた物をひとまずテーブルに置くのだが「大事なものだからとられてはいけない」と思い、そばにある紙や布などを、とりあえず、上にかけて隠す」という行動なのだ。

 文字にするとまどろっこしいが、なぜかとっさに隠してしまうのである。机にぽっと置いたものを、誰が盗るねん、そもそも一人暮らしやないか、と思うのだが、これはもう習性なのだろう。

 で、自分で隠したことを忘れ、作業中断の前の「見えるところに置いておこうと思った」ことを思い出し、「見えるところ」を探してみるのだが当然ないわけで「そんなわけない」「これはよほどわかりにくいところに置いてしまったに違いない」と、とんでもない遠方から探し始めるのである。たとえば台所の食器棚のめったに開けない天袋のようなところ。

「そんなとこに置くわけないやろ。第一、手が届かんやろ。そんなところに置くために椅子持ってきて乗ったりしたんやったら、そのことは覚えてるやろ」とこちらはどんどんとヒートアップして声も大きくとがってくる。

 で、探し物手伝いに同行していた孫娘さんが、これがまた単なるキャラなのだがのんびりと穏やかに対応しながら探し物を手伝って、それこそ、もともとあったテーブルの上に積んだ新聞紙の下、みたいな「さんざん探してここかよ」みたいなところから見つけるのである。今回は、自分が座っているところの敷物の下に探し物はあった。そこもめくって探した、といってはいたのだが。」

 とっさに物を上に乗せて隠してしまう、という習性は知っていたが、敷物の下に隠す、という技もあるのだと知った。次回は敷物の下や座椅子の裏なども探さないといけない。

 これって認知症の初期症状かいうと、まぁ、年齢からしてそうであってもおかしくないのだけど、けどこのおばぁはんは、まだ若くておばちゃんだったことからこうなのだ。子供の頃、同じようによく物をなくして、探し物をしては父親からこっぴどく叱られていたのを何度も目撃して覚えているのだ。おねえちゃんの頃のことははさすがに私は知らないが、少なくともまだ若いおばちゃんだったころからそうなのだ。

 だから「歳のせいだと思って落ち込むな。これは歳のせいではなく、昔からの傾向だ」と、叱っているんだか、励ましているんだか、私としては励ましているのだが、言ってみてもへらへらと笑っている。

 このおばぁはんのすごいのは、どんな失敗をしても、常に全開で笑っていることだ。孫娘は最初は感心して、おばぁちゃんはスーパーポジティブ老婆、とかいってリスペクトしていたのだが、最近はややあきれ気味だ。

 ただ、神経質で、晩年ちょっと失敗すると「もう俺はダメになった」「こんなこともできなくなった」とうっとうしいくらい激しく落ち込んで、「いかに死ぬべきか」みたいな本ばかり読んでいた父親の方は、やはりというか、なんというか先に亡くなった。とはいえ、平均寿命は超えていたし、要介護状態で長患いすることもなく、入院して半年で亡くなったので、介護保険適用の介護サービスは生涯何も使わなかった。そういう意味では、十分にぴんぴんころりだったといえる。と思っている。

ちなみに父親の血液型ははA型、母親はB型だ。ついでにいうと息子の私はAB型で弟はO型である。