時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

回想法5 忠臣蔵と、どこかのお城と、馬の尻尾のワルツ

  かれこれ35年も前のことだ。いよいよ残り少なくなってきた京都での学生生活をどんな風に過ごそうかと考えつつ、卒業旅行の資金もためなければ、ということで、「記憶に残る珍しいバイトをして小遣い稼ぎもしよう」と欲張った計画を立てた。

 当時は、ネットもスマホもない。アルバイト情報誌を書店で買って仕事を探すのが当たり前の時代だった。

 

 下宿で寝ていたら仕出し屋のおばちゃんに早朝に起こされて撮影所に連れていかれた。ロケだから6000円とかもらえるという話だ。撮影所は早朝から大勢の人でごった返している。喧噪の中で髪結いで頭にちょんまげのかつらを乗せられ、次に衣裳部屋に行き、裃を付けた着物と袴を着せてもらった。支度が出来たらバスに詰め込まれ、どこだかわからないのだが、お城まで連れていかれた。その道中については、なんで覚えてないのかというほど覚えていない。ひたすら眠かったからかもしれない。

 

 後でわかるのだが、年末時代劇という特番の忠臣蔵の1シーンだった。お城の設定は赤穂城江戸城松の廊下での殿ご乱心の報を受け、慌てて登城する赤穂の武士たち、というシーンだ。裃をつけて、天守閣に向かう緩やかな坂道を何度か走る。なんせ大人数なので、撮影陣は、お城の上の方やら、下の方やら、道端やらに散らばって、それぞれ無線でワーワーいいながら段取りをしている。例によって撮影は遅々として進まない。カメラを置いてから、あそこのマンホールが映る、となれば砂をもったスタッフがマンホールに砂をかける、お堀の水に街の風景が映る、となれば長い竹竿を持ったスタッフが水面をばしゃばしゃと叩く。そんなことをしながらようやく撮影になり、お侍たちが走る。殿ご乱心で、藩がお取りつぶしになるかもしれないいう大ピンチ。へらへら笑っているわけにはいかない。必死の形相で走るのだ。

 前を走るのは本職の人たちで、我々エキストラはその後ろをわらわら走る。

スタンバイしている時に、腕時計を着けていたバイトは没収され、着物の襟元から丸首のシャツの襟が見えていたバイトは鋏を持ってきたスタッフにざっくりと切り取られていた。そんなもん絶対に映らんやろ、と思うのだが、彼らも真剣だ。

 そうこうしていたら、観光客だか、街の人だかがやってきて、写真を撮らせてほしいという。「僕らただの学生バイトなんで」といって断ったが、「お侍さんと写真を撮りたい」のだという。あちこちでにわかの撮影大会が始まっていた。当時は「写ルンです」はあったと思うが、デジカメやスマホはない。自分自身はカメラも持っていなかったし、残念なことに手元にその時のちょんまげ姿の写真は残っていない。

 

 緊急登城のそのシーンも列の前の方には主役級の俳優が何人もいたはずだが、我々がいた最後列からはまったく見えなかった。後列は、大勢の侍が急ぎ登城する遠景と走る足元が撮影された。その集団の中のひとりやふたりの腕時計も首元も映るわけがない。

 この撮影が終わると、今度は裃から足軽の衣装に着替えて、お取りつぶしになった後、別の大名とその家来たちが、赤穂城に乗り込んでくる行列を撮る。我々バイトは、道端で裃と袴を脱いで、足軽に着替える。裃袴から足軽になるので、見た目も随分と格落ち感がある。足軽になってからは、観光客に写真をねだられることもなかった。

 バイトが道端で着替えている先に、当時売り出し中の若手の男優さんが椅子に座っていて、「あ、あれ、〇〇や」と足軽のバイトたちから無遠慮な視線を向けられていた。あの男優さんも、テレビではすっかり見かけなくなったが、検索したらホームページがヒットした。まだ芸能活動は続けておられるようだ。

 このシーンでは馬が連れてこられていて、偉い人が乗っている。馬の後ろは足軽だ。スタンバイしていると、城の上の方から助監督が拡声器で「馬の後ろ、行列が切れて見えるから詰めて!」という。詰めたら今度は馬の係の人が近づいてきて、「そんなに詰めて、蹴られたら死ぬよ」という。あわあわと後退すると、また助監督が拡声器で「もっと詰めて!」という。すると馬の係の人が「蹴られて死ぬよ」という。それを馬の後ろで足軽の恰好をした役者に言ってもしょうがないんで、撮影陣で話し合ってくれ、と思うのだが、馬の係の人は制作陣のオーダーを受けて馬を連れてきているので、直接は言いにくいのかもしれない。そんなことでまた時間が費やされていく。

 結局その日は、ロケ隊を組んで、大勢のエキストラをバスで移動させ、馬を何頭か手配して、一日かけて、慌てて登城する赤穂の武士と、しずしずと登城する大名行列の2シーンをとって終了となった。それぞれのシーンを合わせても実際に画面に映った時間は1分もないだろう。それでも、この絵がなければ映画にならないのかもしれない、よくわからない。帰りのバスは爆睡だった。爆睡しすぎて、衣装に着替えてからもそれだけは手に持っていた財布がなくなった。バスを探してもらったがないので、盗られたのかもしれない。まぁ、その日のギャラは貰う前だったし、下宿生の財布などいくらも入っていないので、さほどの被害はなかったのだが。

 この時、行列に並んでギャラをもらった後、仕出し屋さんに誘われてエキストラ登録をした。なので、卒業してかろうじて社会人になってからも、何度かテレビドラマのエキストラに駆り出された。制作側から「若いサラリーマン風」というオーダーがあった時に、声がかかったようだ。「紺色の背広持ってるか?髪の長さは?色は?」なんてことを毎回聞かれた。つまり衣装は自前である。行った現場の設定は、社員食堂とかとオフィスとかだった。役はもちろん会社員だ。その頃もまだエキストラには交通費程度のギャラは出ていたと思う。時代劇の話は来なかった。

 その後、いつからそうなったのかはしらないが、東映のエキストラは、ボランティアエキストラと名を替えて、交通費どころか、タオルとか映画村で売ってる土産物とかの記念品がもらえるのみという、ほんとうのボランティアになった。それでもやりたい人が多くいるので成り立っているようだが、ボランティアの人材も高齢化がすすみ、若い人の募集には苦労していると聞く。今の若い人にとっては魅力がないらしい。