時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

ニュータウンの桜に想う

 ニュータウンが街開きして50年余りがたつらしい。近隣で生まれ育った齢84の母親に言わせると「何もない、ただの山」だったところを造成し、公団を建て、宅地を売り出した。一から計画して作り出した街だけあって住宅街には緑の多い公園が準備され、遊歩道が縦横に走っている。公園のたくさんの桜は、きっとジオラマを作るように、配置を計算しながら丹念に植えられていったのだろう。その桜も成長し、枝ぶりもよくなって、ここ数年は桜の名所となっている。

 

 満開の時期には遊歩道を左右から覆うように花の枝が伸び、薄桃色の花びらで空を隠す。春風が吹くと目の前で花びらが渦を巻き、やがて地面をピンクに舗装する。眼に入るものすべてが桜色に染まる。

 そんな春が当たり前だったのだが、2018年の9月だったか、大きな台風が来て桜の幹を何本も叩き折ってしまった。密集していた桜の大木は歯抜け状態になり、天を覆っていた枝は折れ、2019年の桜の時期は何やら寂しい色になっていた。2020年はどうだったか。まばらになってしまった桜は、それでもしっかりと花をつけていたが、桜を愛でる人はいなくなった。桜の下にくつろぐ人も、弁当を広げる人もいなくなった。この年は花をつけた桜自身が寂しそうに見えた。

 

 まもなく桜の時期が来る。今年は、台風で傷つきながらも立っていた桜がけっこうな本数切り倒された。なんでもソメイヨシノの寿命が60年といわれていて、ぼちぼち引退しなきゃいけない古木がたくさんあるんだそうだ。造成して一斉に植えたんだから、一斉に歳を取る。台風を耐え忍んだ古木も、寄る年波には勝てず引退を勧告されたようだ。幹にそのような役所の文書が貼り付けられていて、しばらくしたら古木が切り倒され、まだ白い切り株の回りに、丸太になって積まれている。

 そのそばを通ると、とてもかぐわしい香りがする。桜の香りだ。生きている木からはこんな匂いはしない。花からもそんな匂いはしない。ただ切り口から生き物のような濃い匂いがしている。

 

 「この丸太、どうするんやろ。チップにして燻製屋に売ったらええのに」

 

 かぐわしい香りをかぎながら限りある生命の無常を感じつつ、真っ先に思ったのはそんなことで実に申し訳ない。

 今日見たら、切り株は掘り返され、土が入り、新しく、細い桜が植えられていた。花が咲くまでまだしばらくかかるであろう、街の未来を担う新人君だ。子どもたちが、小さい子供の手を引いて、いずれ、君を見上げる日が来るだろう。君の足元で弁当を広げるかもしれない。その時を、私も楽しみにしているから、君も楽しみにしていて欲しい。

 さて、2021年の桜は、 きっと例年通り当たり前に咲くのだと思うが、それを見上げる人間たちの心境はいかがなものなのだろう。

 やはり、散歩がてらに、遠慮がちに見上げる程度になるのだろうか。