コートがいらなくなった直後の春先に着るテーラードジャケットが1枚欲しいな、と前から思っていたのだが、先日、若い人向けのカジュアル衣料のチェーン店で見つけたジャケットは、値札に何枚もシールが貼られていた。順番に追っていくと、元が14800円、次に6900円、次に2990円、そして現在の価格が990円とある。
定価14800円が990円。その差は13810円。1万3千8百10円である。
見るとサイズがSばかりである。売れ残ったSサイズを処分するための990円のようだ。捨てるよりはまし、ということだろうか。
とりあえずそでを通してみた。肌寒い日だったので、かさばるトレーナーを着ていたため、窮屈だ。でも袖の長さは間に合っている。が腹周りがきつい。前のボタンを留めたらパツンパツンだが、トレーナーではなくシャツ1枚なら窮屈感は緩和されるだろう。
で、13810円である。この「差額」の解釈の仕方が「安物買いの銭失い」を生む。
そうなのだ。我が貧乏性は、この差額を「儲け」と感じてしまうのである。
「これを990円で買えば、13810円儲かるやん!」
待て待て。儲からん。現実は、990円を出費するだけや。しかもサイズ感が微妙なジャケットに、990円出資することになる。990円といえば王将で餃子4人前食えるで。
頭ではわかっていても、差額13810円の魅力に抗しきれないのが貧乏性の所以である。
というわけで、この春は、肩をすぼめて、腹を引っ込めて、990円の、いやいや、元14800円のジャケットをはおってさっそうと通勤しているのである。
私は、買い物が下手だ。