時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

 回想法6 深作欣二と原田美枝子と大部屋の哀歌

  かれこれ35年も前のことだ。いよいよ残り少なくなってきた京都での学生生活をどんな風に過ごそうかと考えつつ、卒業旅行の資金もためなければ、ということで、「記憶に残る珍しいバイトをして小遣い稼ぎもしよう」と欲張った計画を立てた。

 当時は、ネットもスマホもない。アルバイト情報誌を書店で買って仕事を探すのが当たり前の時代だった。

 

 当時は、東映京都撮影所のエキストラは立派な単発バイトだった。時給ではなく1本換算で、5000円くらいはあったのではないか。競争率も高くてなかなか当たらないのだが、当時住んでいた下宿に、東映の撮影所内の仕出し屋さんに登録している先輩が居て、急に欠員が出たときなどに「明日の早朝」みたいなタイミングで声をかけてくれた。

 仕出し屋さんというのは、当時撮影所でエキストラの手配をしている業者さんのことで、東映の撮影所内の部門だったのか、委託された外部業者だったのかはわからない。

 当時は撮影所も、俳優部、俗に大部屋といわれる専属の俳優さんを抱えていたと思うので、一般人のエキストラを動員する機会は、そう多くなかったのではないだろうか。

 その時も、どういういきさつでそのエキストラに参加することになったのか覚えていない。たぶんその先輩の都合が悪くなって、代わりにいってくれ、といわれた、というような流れだったのかもしれない。何の予備知識もなく撮影所に行った。

 下宿からぶらぶらと徒歩で撮影所に行き、俳優会館だったかと思うが、行ったら背広とネクタイに着替えさせられ、革靴を履かされた。痩せて小柄な僕にとって背広もぶかぶかだったが、靴もでかすぎて、パカパカで歩きにくい。そのまましばらく待つようにいわれて、建物の玄関先で似たような服装をさせられた人たちと待っていたら、急にその人たちが直立不動になり90度のお辞儀をして「先生!おはようございます!」と叫ぶので見たら里見浩太朗さんが入ってきた。顔も身体も四角い人だな、という印象を受けた。へぇ、と思っていたら、また周りの人たちが叫んでお辞儀をするので見たら、今度は伊吹五郎さんだった。この人も四角くてずんぐりしていた。里見さんも伊吹さんも、身長の高さは感じなかったが、顔が四角くて大きくて、その中にぐりぐりと良く光る目があった。

 本職の、大部屋の俳優さんたちにとっては神様みたいな存在なんだろうし、目にかけてもらえば大きなチャンスを得られるのだろう。必死であいさつをしていた。またその挨拶を当然のことのように受け流しながら歩み去っていくスターさんの存在感は格別で、この世界にある、役者さんたちそれぞれの価値の差異を目の当たりにした。

 

 僕が参加する撮影はテレビ番組ではなく映画だった。緒形拳さんが主演である。監督は、あの深作欣二。が、そんなことは何も知らない。係の人に呼ばれて、似たような恰好をさせられた人たち7~8人が、スタジオに連れていかれた。

 スタジオには、助監督とかそういう役目であろう人がいて、場面の説明をしてくれた。場所はとあるパーティー会場で、主人公の緒形拳扮する作家がいるのだが、何かの文学賞を受賞したので、新聞記者たちが取材のために会場に押しかけてくる。それを見て逃げ出す作家。追いかける新聞記者たち、記者たちが走り去った画面には、受賞を喜ぶ原田美枝子の姿が…、というシーンらしい。追いかける記者たち、というのが我々の役どころだ。まずは本職が最前列に陣取り、右に左に、ジグザグに動く。これによって、実際は数名の人数なのに、画面では何十人の大量の記者が押し掛けたように見えるのだそうだ。複雑な動きは前列の本職たちが担い、エキストラはその後ろをついて走る。前列の本職たちはカメラを持ってフラッシュを光らせながら走る。エキストラは記者なので、左手に手帳、右手にペンを持って走る。何度か前列の動きを確認すべくテストが繰り返された。

 そこに深作監督が原田美枝子さんを伴って登場。さっきからテストを仕切っていた助監督と何やら話したかと思うと、記者団に近づいてきて、最後列にいた私を最前列に、最前列にいた本職を最後列に移動するよう命じた。私が持っていた手帳と本職の持っていたカメラが交換された。

「じゃあ、テスト!」

 って待ってくれ、こちらは最後列にいて前列の動きは把握していない。なのにいきなりテストの声が飛び交い、よーいスタート!の声がかかる。動けない。とにかく前に走ったが、ジグザグの動きはまったくできない。監督が怒鳴る。「あいつ何やってんだ!」助監督が慌てて耳打ちする。「バイト?大学生?そんなん知らん!」

 その後、監督は原田美枝子さんと談笑しながら、ふたりしてスタジオを出て行ってしまった。助監督は大慌てで、僕に動きをつける。他の人は休憩。ここで右に走って「パッ」、左に走って「パッ」、また右に動いて左に走り去る。「パッ」というのはシャッターを切るタイミング。テストでは口でパッと言う。本当にシャッターを切るのは本番のみ。本番ではフラッシュが光るので、画面上、あちこちでフラッシュが光るように映すのだそうだ。助監督も必死だが、こちらも必死だ。ドタバタと走っていたらどんと照明の乗った櫓にぶつかってしまった。そしたら照明機材の位置がずれたらしく「お前のせいでまた余計な時間がかかる!」と櫓の上にいた照明係のおっちゃんに、それこそ頭の上から怒鳴られた。他のエキストラの視線も刺さる。見たら僕と交代した本職がセットの隅でうなだれている。深作監督に外されたから?いやいや、多分監督が僕を最前列にしたのは僕の背が小さかったからだ。背の小さい順に並ぶ方が人が多く見えるという単純な理由だと思う。僕は前に出たりしたくないし、画面に映りたくもないんで、ぜひどなたかに代わっていただきたい。こっちはただの学生バイトなんだから。

 

 そこから先のことは実はほとんど記憶にない。いわゆるパニック状態だったのだろう。しばらくして監督が来て、テストをして、パッパッとかいいながら走り回って本番になって。

 我々の出番が終わって後、原田さんと何人かの本職で、記者たちが走り去った後原田さんがアップになるシーンを撮っていたと思うが、定かではない。

 それでもこの日の撮影は順調だったらしく、ぞろぞろとセットを後にする時に、「早かったな」と言ってる人がいた。拘束時間は、2時間くらいだったと思う。それで5000円ほどもらえたので、時給に換算すれば、当時でいえば破格だった。

 映画はその後も撮影が続いていて、下宿の近くのアパートを使ったロケがあり、大学への行き帰りに立ち寄って見物をした。古いアパートなんだが、設定は主人公の作家の愛人が住んでいるアパート、ということだ。このアパートの廊下に、女ものの下着やタオルなど、洗濯ものが干してあるのだが、そのぶら下がってる洗濯物の位置を何度も変えたり、そうこうしているうちに天気が変わって天気待ちになったり、ずいぶんと無駄が多い仕事だなと思った。その間中、近くの民家の植え込みの陰にじっと座っているおっさんがいて、何をしているんだろう、わざわざ椅子まで持ってきて撮影見学か、と思って良く見たら、緒形拳さんだった。撮影所でお見かけした里見さんや伊吹さんと比べて、まったく目立たず、すごく地味なたたずまいだった。

 

 完成した映画は新京極の映画館で観たが、撮影した場面はほんの一瞬。まばたきしたら見逃すようなコンマ何秒。しかも記者たちにはピントは当たっていない。そりゃそうだ。ピントが当たっていたら、同じ人がジグザグ走ったりしていたらバレてしまう。

 それでもさすがに、自分には自分が画面に映ってしまったことが分かった。世界でこの画面から僕の顔を見つけられるのは絶対に僕だけだろう。それでも見つけた瞬間は背中に汗が噴き出して、耳が燃えるように熱くなったのを覚えている。