時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

まる逝去 享年18歳

 トリミングサロンに散髪に行って大暴れして出禁になったり、獣医さんをビビらせたり、飼い主には一通り噛みついたり、と小さい体に有り余る闘志を漲らせていたパピヨンのまるがついに旅立った。18歳だった。年齢的には、この手の小型犬では長寿で大往生である。
 かつて2回ほど、歩けなく、かつ、飯も食えなくなり、獣医さんからも。無理な延命治療はしない、と見放され、いよいよかと覚悟を決めて、最期にと、ちょっと高級な食べ物を与えたら、それを機に復活して、その後は「ちょっと高級な食べ物」しか食べなくなり、「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれていたので、3度目も、と願ったが、さすがに今回はかなわなかった。自力で歩けなくなり、食べ物を口元に持って行っても齧りはしても呑み込めなくなり、どうしたものかと思っていたら、あっという間に亡くなった。

 亡くなって後、うちで手作りの質素なお通夜を行った。動かなくなったまるを抱っこして、泣きながら家族で写真を撮った。そもそも元気な頃は、暴れ散らかすので、こんな風に抱っこできなかったのである。犬として期待される行動は一切取らず、猫のように気ままだが、猫みたいだといえば猫に怒られそうな、そんなやつだった。

 お通夜も明けて、さてどうするか。ネットでペットの葬儀社をいくつか当たったが、結局、近くにある火葬施設を併設した葬儀屋にお願いすることにした。お葬式や骨上げもできるプランにした。

 これが案外よかった。
 葬儀や、死後の一連の儀式は、遺族のグリーフケアが目的だと思われるが、ペットであってもそれは同じことである。線香を立てて焼香をして、般若心経とアメージング・グレイスのどちらを選ぶか聞かれて、アメージング・グレイスを選び、CDから流れる哀しみの曲をしみじみと聞き、最期のお別れにと固く小さくなった身体をさすり、もう一回さめざめ泣いて見送った。
 待合室もないので、一旦帰宅して、小一時間後に再訪すると、すっかり白い骨になっていた。人間と同じように、喉仏の骨をよけて、足の方から順番に頭まで骨壺に入れる。
 最後に喉仏を入れてふたをして、人間と同じような骨袋に入れられて、家に連れて帰った。まるのいない部屋は妙にがらんとしていて、その存在感の大きさに改めて気づく。
 ぬいぐるみのエルモに移動してもらい、骨袋を安置する場所を作って、またみんなでちょっと泣いた。

 葬儀屋さんから49日の法要の案内をもらった。49日にあたる日は、まるがうちにやってきた記念日だった。で、その日は我々夫婦の結婚記念日でもある。やってくれるやないか、最後の最後に。それまで彼はまだこの世にいるんだそうだ。それなら、身体はなくなったが、ゆっくりしていってくれよ。うちはかまわんから。
 
 ちなみに、今回の「人間の葬式のミニチュア版というか真似事」を体験して、グリーフケアとしての葬式ってこれでいいんじゃないのかと思った。というより、こういう方がいいんじゃないのかと本気で思った。興味のない仏教の様式やしきたりに振り回されたり、見栄や世間体に百万単位の金をかけるより、本当に哀しんでくれる数人に、負担をかけずに見送ってもらう。この方が絶対にいい。自分が死んだらこんなんにしてほしい、と真剣に思った。