時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

居合 無双直伝英信流 受流(うけながし)の手の内の妙技

 英信流には、初伝にも奥伝にも、太刀打ちの位にも、この受流という業がラインナップされている。同様に脛囲いという業も、名称は違えど複数ラインナップされているので、これらの業には居合術として、応用範囲が広い、貴重な技術が内包されているのではないか、と考える。

 さて、受流である。前方から斬り下ろしてくる敵の刀身を、水平やや切っ先下がりにした刀身で受ける。自分の刀身で頭頂と左肩をカバーしつつ体裁きを使って、相手の刀身を、自身の刀身の切っ先側に受け流す(右から左へ受け流す)。相手は、目標を失いたたらを踏んで態勢を崩す。というものだ。型では、そのまま無防備になった相手の首の後ろあたりに斬りつけて逆転勝利となる。

 

 水平やや切っ先下がりで、相手の刃は刀身の棟の部分で受ける。刃と刃がかち合ったら刃が欠けてしまうので。そのためには頭上に差し出した右手の手首が大事になる。パンチを突き出すような形ではなく、掌底打ちのように手首を上に曲げるのである。

 チャゲアスのYAH YAH YAH のサビの部分でこぶしを突き上げているが、あれを掌底打ちでやる感じ。実際に木刀でやってみると、柄をグーで握り締めて、YAH YAH YAHとやってみても、相手が木刀を押し込んでくると、片手では耐えられない。手首を曲げて掌底のようにしてみると、けっこう耐えられる。手首を曲げた方が、背中の方の筋肉も連動して働くせいではないか。同じことは脛囲いにも言えて、脛を斬ってくる相手の刀身を自身の刀で止める際には、やはり手首を同様に上側に曲げて刀を直線に使う方が、止める力が強くなる。受流の場合は、その名の通り、振り下ろされた刀を止めるのではなく、止めて則、体裁きを使って左側に受け流すのだが、脛囲いの場合は、受け流す、のではなく、斬ってくる相手の刃をバシッと止めなければならないので、その分強度が必要になる。もちろん、膝腰含めて全身が働かないと腕だけで止めに行っても弾かれてしまう。

 

 というわけで、受流や脛囲いの型では、掌底打ちのように手首を使って防御力を強める、という手の内による刀身操作と、腕だけでなく、全身(体裁き)を使って威力を発揮する、ということをトレーニングすることが目的だと考えるのが妥当ではないか。

 

 という、受流実証稽古というマニアックな講座に参加した。

 

 敵がどこにいて、どう斬ってくるから、こう受けて、というように、演劇での擬闘の手順のようにして型を教えられていたときには、じゃあ、こう斬ってきたらどうするんだ、とか、敵が四方にいる想定の業を四方斬りというけど、背中側にいる敵は、なんでこちらが向き合うまでじっと待ってくれるんだ?四方から一斉に突きで攻めれば対応できないだろうに、まるで昔のテレビ時代劇のチャンバラみたいやな、とか、生来のひねくれものはそんな風に感じていたので、こういう型の解釈は腑に落ちて長年の疑問が解消する思いである。

 もちろん、それが正しいかどうか、ではなく、あくまでも自分の腑に落ちた、ということである。各種連盟に所属されていたり、古流の継承を目的に稽古されている方からは、批判されることも多いと思うがご容赦いただきたい。