時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

居合道 脱藩浪人のつぶやき

 華道、茶道、書道、とかく道のつくものにはお金がかかるという。いやいや、どの道にかかわらず、大人の趣味にはお金がかかる、ものなのだそうだ。

 居合道はどうか。私が所属していた道場は、某居合道連盟に加入していた。

 

 さて、連盟である。道場に参加していて連盟とかかわる最大の行事は昇段審査である。入門当初は「段外(だんがい)」と呼ばれる。入門して最初に迎える3月に、はじめての昇段審査がある。ペーパーテストと既定の業を何本か抜く。それをクリアしたら初段。二年目には二段、三年目には三段。五段までは、連盟の支部で受講できる。近畿支部なら大阪だ。六段以上になると、五月に全国から加入道場の面々が京都に集まる全国大会の中で、昇段審査が行われる。五段まではロカール。六段になって、ようやく全国ネットになる。ここに大きな差がある。六段以上にはそれだけの価値があり名誉もある。そして連盟に対する責任も大きくなる。

 そうなのだ。責任が大きくなるのだ。そして大人が責任を果たすためには、やはりカネがかかるのである。

 年に何度か行われる宗家講習会。宗家が直々に指導してくださる会だ。有名な神社の武道場を借り切って行われる奉納演武会、そしてまるで政治家の集金パーティを模したかのような名刺交換会。

 

 曰く、連盟という組織が維持できなければ、君たちが努力の末に得た段位の允可状も紙切れになる。

 曰く、仕事を持ち、家族を養い、わずかな休日を居合の精進に当てている君たちの事情はわかる。仕事と連盟の行事が重なった際に、行事を優先しろとは言えぬ。しかし、行事への参加の仕方は、なにも会場に身体を運ぶことだけではない。参加の意思を示す方法は、他にもある。

 

 意味が分からず首をかしげていると、横にいた先輩が小声で「来なくていいから、参加料は払え、っていうことや」と教えてくれた。なるほど、そういうことか。

 

 連盟も五段あたりから、いろいろな行事が増えてくる。行事の前には、まず連盟から道場主に連絡が来るらしい。「お前のところには五段以上が4人おるな」と。つまりは会費5000円x4人で20000円が道場のノルマになるわけだ。とはいえ、実際に、参加を強要されたり、参加できない時には参加費用だけとられたり、はなかったが、諸事情でやむを得ず参加を断るときには、ずいぶん気を使ったものだった。

 

 そんなこんなで、連盟への義務を果たすことが、まずは小遣い的に厳しくなって、結局道場を辞めることにしたのだが、道場を辞めたというよりは、連盟を辞めたという方が正確だろう。道場にも居合の稽古にも不満はなく楽しんでいたのだが。とはいえ、道場には通うが連盟からは籍を抜く、段位もいらない、というのも、館長やメンバーに迷惑をかけるので、辞めることにしたのである。

 

 道場を、というか、連盟を辞めたら辞めたで、不思議なことになんやかやで連盟を辞めた居合道家と知り合ったりして、そういう人が主宰している練習会に参加したりした。そしてその主宰の知人である、やはり連盟の道場を辞めたフリーの居合道家が主宰する稽古会に参加したりしながら、それぞれの方が研究した居合の型の解釈や、失伝しかけている古流の業の再現など、連盟にはない刺激的な体験をした。

 そういうフリーの居合道家を私はひそかに脱藩浪人と呼んでいた。連盟に付属する権威勾配や段位や政治的なものから解放されて、自分が思う居合を自由に研究し追及している脱藩浪人の特徴は、他者の解釈や動きを否定しないことだ。後ろ盾がない者同士、自分の解釈も他者の解釈も、それぞれひとつの解釈として受け入れていかなければ、ひとりよがりになり、広がりがなくなってしまう。

 正解を知る人もおらず、勝ち負けで結論を出すこともできない居合の世界だが、それゆえに、脱藩浪人たちが探求するそれぞれの居合にはそれぞれの面白さや深みがある。

 言ってしまえば、刀を抜いて横と縦に振るだけなんだけど。不思議である。