時速20キロの風

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読書メモ 萩原健一とは「ショーケン 天才と狂気」青志社 2021年5月 大下英治

 マカロニ刑事の殉職シーンに衝撃を受けて以来、ドラマ、映画、音楽をずっと追いかけていた。ファンとか憧れとかいうより、見続けなければならない課題のように感じていた。ショーケンの映画やステージを楽しめないような奴にはなりたくない、と思っていたように思う。たぶん。絶対に真似できないから。

 ショーケンは、実生活でも薬物やら恐喝やらで何度も有罪になっていて、今の時代なら芸能界に復帰などできなかっただろうが、何度も戻ってこれたのは、やはり芸能の世界ではどうしても必要な人なのだろう。

 過去に何冊か出た、著者が萩原健一となっている本は、それなりにいろいろ書かれてはいたが、やはりタレント本の域は出ていなかった。本書はルポルタージュとして、共演者や制作者に取材を重ねて書かれている。想像通り、すごい迷惑をかけられたり、わがままや無理難題を押し付けられたりしていたらしい。やや遠慮がちではあるけど、そのあたりがけっこう暴露されている。これでは、一緒に仕事をした人の中にはショーケンを嫌いな人も、恨んでいる人も、憎んでいる人も、たくさんいるはずだ。芝居や歌のセンスは天才的なのだろうが、世間に生きる人としては全然だめな、すごくやっかいな人だったようだ。たとえば、中小企業の創業経営者で、お山の大将、オレ様タイプというか、自己愛型人格障害っぽい人なら山盛りいるが、そういうのを桁違いにした感じだろうか。

 

 実は、その片鱗を目の前で見たことがある。萩原健一さんのドラマにエキストラで参加したのだ。萩原さんは料理人の役で、テストでセットに入ったときに本物の食材が置いていないといって激怒してセットを出て行ってしまった。「俺は本物でやりたいんだよ」と。セットの外で待っていた我々は息をのんで見つめていたのだが、その目の前をピリピリしながら通って、楽屋に戻ってしまった。まさかの、すごく近くをショーケンが通るので、瞬きもせずガン見していたら、じろっと睨まれてしまった。「何見てやがる」と睨まれたたわけで、スタッフさんが見ていたら、エキストラ風情が、余計なことして機嫌を損ねたらどうすると、こっぴどく怒られたはずだが、こちらはあのショーケンと目が合ったのだ。静かに興奮しまくっていた。

 

 ただ、撮影スタッフは「やれやれ」という感じでさほど動揺している様子はなかった。共演のベテランの大女優も苦笑いで一旦楽屋に引き上げた。

 その後スタッフが、もともとあったのか、調達したのかわからないが、食材をいくつか持ってきて、撮影再開。

 すごいなぁ、と思ったのは、役者さんたちが楽屋に引き上げた間に、撮影スタッフは、脇役さんとエキストラをセットに座らせて、カメラのアングルを調整したり、スタッフさんが役者さんの代わりにセリフを言って、脇役さんやエキストラの動きを確認したりといろいろとやっていたのだが、そこいらを全然見ていないはずの役者さんは、セットに戻ってきて、ほんのちょっと、スタッフから状況を耳打ちされただけで、うなづいて自分の位置に戻り、監督の声がかかると、セリフも動きも完全にできてしまうのだ。本当は楽屋に引き上げたのではなく、セットの近くに隠れて、スタッフのセッティングを見ていたのではないか、と思うほどだ。しかし、主役を張るとはそういうことなのだろう。だったら、何も載ってないまな板の上で空気を切って料理をするふりをするよりも、魚でもやさいでも、何か置いておいて、それを実際に切ってる方が、腕や肩の動きなんかにリアリティがでる、と考えるのかもしれない。まな板や食材が絶対映らない位置にカメラはあったのだが、それゆえに、余計にリアルな動きを表現したかったのかもしれない。であるなら、こんにゃくでもきゅうりでもいいから置いておいてあげればいいのに、と思ってしまう。この時期、抗がん剤を服用しながらの撮影だったようで、なおさら特別な思いもあったのかもしれない。

 私事だが、エキストラ参加はこれが最後になった。なんだかお腹がいっぱいになって、満足してしまった。

 

 この本を読んでみて、本当にドラマも映画も、ほとんど見ているということがわかった。CDもほとんど持っている。時代的にも、コンプライアンス的にも、こういう人は二度と出てこないだろう。

 

 それにしてもこの本、てにをは、やら、文章上のエラーが散見する。追悼本も多く出る中、発行時期を早めたくて、推敲する暇もなく刊行されたのだろうか。