時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

常夏って、死語? 常春って、どこ?

今週のお題「住みたい場所」

 若いころはストイックさを身につけたくて、激寒の北海道をひとりで旅していた。モデルは高倉健。若さってすばらしい。類似点などどこにもなくても気にならない。けど、それを知らしめてくれるのが「他者」だ。それこそが他者と交流することで得られる貴重な体験なのかもしれないが、同じ場所を数人で旅したとたんに、似ても似つかないことを知る羽目になった。

 それからはジャマイカにあこがれた。レゲエのリズムがあってる気がした。たまたま近所にレゲエだけがかかるジャマイカという喫茶店があったので入り浸ったが、ジャマイカ自体は遠すぎて、いまいちイメージがわかなかった。

 常夏のハワイはどうだろう。昔から日本人のあこがれだ。けど、割と誰でも行くようになってあこがれというほど遠い場所でもなくなった。「とこなつ」。昔はハワイの枕詞のようにセットで使われていた気がする。とこなつ、って夏っぽい。けど最近は聞かない気がする。死語になったのか?それとも夏が熱くなりすぎて、もはや売りにならないのか?

 そんなことを思っているうちにこちらも歳をとる。もはや常夏も激寒も耐えられない。で、ふと思う。常春ってあるんだろうか。とこはる。あるんなら、そこがいい。常に春なのだ。早春の桜、薫風が揺らす新緑、五月雨、五月晴れ。この繰り返し。けど聞かないなぁ。春があるってことは、冬がなきゃいけないのか。セットなのか。

 リアルに考えれば、当方からだと南紀の白浜あたりなら、気候は温暖で、温泉もあるし、海がある。豪快な黒潮の海だ。家は立派でなくていい。寝起きができれば、小さくていい。小さくていいが、窓からは海が見えた方がいい。いや、窓から見えなくても、ちょっと歩けば海が見える海岸か崖に行ける、というあたりがいい。波が高いときにはその音が遠くに聞こえればいい。

 

 そんなことを考えていたら、昔、原田芳雄が歌っていた。「ドン・キホーテ世界一周」という曲を思い出した。日本からニューヨーク、メキシコ、ジャマイカ、それぞれの土地でうまくいかず、夢を求めて次の土地へとさすらっていく歌だ。気だるいブルースに乗って、バーボンでも舐めながら、よろよろと漂っていくのもいいかもしれない。

 あ、住みたい場所、だった。常春がないのなら、南紀のどこか。黒潮の海以外には、梅干しと干物くらいしかないけどね。