時速20キロの風

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読書メモ 真実-新聞が警察に跪いた日 高田昌幸 2014年4月25日 角川文庫

 新聞の書評か何かで見て興味を持って手に入れた本。文庫で2014年が初版。けっこう古い。何気なく読みだしたのだが、清水潔氏の「殺人犯はそこにいる」(新潮文庫)に匹敵する衝撃的なノンフィクションだった。

 北海道警察の裏金工作を暴いた北海道新聞が、道警から嫌がらせを受けるのだが、情報を得るために警察とは持ちつ持たれつの関係を構築している新聞社にとって、警察からの情報が得られないと事件の報道に支障が出る。警察だけでなく新聞社内からも記者に対するクレームの声が出るようになる。その最中、北海道警察の新たなスキャンダルが報道される。「泳がせ捜査」に失敗して覚せい剤130キロ、大麻2トンという大量の違法薬物が道内に流入したというのである。これに対して北海道警が捏造記事だとクレームをつけ、北海道新聞はそれを受けてお詫び社告を掲載するに至る。だが真相は。

 本書で著者も書いているが、一人ひとりは根っからの悪人ではなく、常識的な市民なのだろう。しかし、その人たちが組織に属し、組織に属することから得られる個人としての利権を守ろうとすれば、一般的な正義などはあまりにも脆く崩れ去るということが、本書ではノンフィクションとして明らかにされていく。警察も新聞も、いわゆる「えらい人」たちはみんな保身第一で薄汚いのだ。こういう人たちは、ちょっと古いテレビ時代劇を観れば、たいていは、印籠の前にひれ伏したり、庶民に扮した将軍に成敗されたり、首筋に簪を突き立てられたり、三味線の糸で吊られたりしているし、刑事ドラマを観れば、角刈りでサングラスの団長にショットガンで撃たれたり、イケメンの若い刑事にどつきまわされたりしているはずだ。彼らに、どれかの役を選んでいいよといえば、三味線の糸で鴨居から吊られて白目剥いてピクピク痙攣する役よりも、殺陣をかっこよく決めて悪を成敗する役を選ぶはずだ。何より、そういうかっこいい正義を夢想して、警察や新聞社の門を叩いたのではなかったか。

 そう思えば、さて、人は何を目指して生きているのだろう。仮に最後は印籠の前にひれ伏す羽目になろうとも、やはりカネと権力を手にしたいのか。現実は、カネと権力を手にすれば、時代劇や刑事ドラマが描く絵空事は起こりようもなく、成敗されることもないということか。

 

 で、本書を読んだ中で一番驚いたのは、捏造だ、と裁判まで起こした「泳がせ捜査の失敗」は、実は「泳がせ捜査の失敗」ではなく、やくざと警察が組んだ「膨大な量の覚せい剤の密輸」だったということだ。そういう意味では、まさに、新聞社としては恥じ入るべき大誤報だったのである。「稲葉事件」と呼ばれているようだが、道警の拳銃摘発の成績をあげるために、やくざから拳銃100丁をもらい受ける代わりに莫大な量の覚せい剤の密輸を、そうと知りながら見逃した、という事件だったのである。その件については、当事者である稲葉圭昭氏の著書などノンフィクションが刊行されており、2016年にはそれらを原作に「日本で一番悪い奴ら」というタイトルで綾野剛が主演し映画にもなっている。

 ただ一人、この騒動の中で、裏金を知っていたといえば組織を裏切ることになる、知らなかったといえば道民と自身の良心に嘘をつくことになる、その葛藤の中、自殺を選んだ警察署長がいたそうだ。真面目を絵にかいたような人物だったという。

 組織の中における正義とは、こういう形でしか表現されないものなのか。