時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

祖父と行った、らしい、西国三十三か所巡り

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 祖父は明治39年生まれかな。平成7年に89歳で亡くなっている。満かかぞえかわからない。痩せて小さくて、無口でおとなしいお爺さんだったが、お酒が好きだったそうで、仲間との旅行の写真では一升瓶を抱えて映っている。お盆や正月に親戚が集まって花札に興じていても、「酔っぱらってて手元が危うく、札が全部見えてしまっているから、カモにされてお金取られてばっかり」と同居していた叔母が言っていた。遊び程度の小銭だそうだが、親戚内でも勝負事となると容赦ないのか。それでも好きでよく遊んでいたという。

 父方の祖父母は早くに亡くなり、母方の祖母は、事情は知らないが離婚したそうでめったに会うことがなかったため、私にとっては、祖父母といえば、この祖父しかいなかった。

 それだけに、記憶には残っている。冬休みだったのだろう、祖父の家に泊まりに行っていたとき、近所の広大な広っぱで凧揚げをした。祖父はなぜか凧のことを「いか」といっていたが、本当にそう呼んでいたのか、ギャグのつもりだったのかは定かではない。脚をつけてバランスをとるために長さを調節したりして、なかなかの凧揚げ上手だった。今風のビニル製のカイトではなく、紙と竹でできた四角い凧だ。冬の強風にあおられ、怖くなるくらい高くあがった凧の糸に、紙をドーナツ状にちぎったものをひっかけると、糸を伝ってみるみる上空の凧の方に上がっていく。ドーナツは完全な輪っかではなく一か所切れ目をいれてあり、そこから糸にひっかける。祖父はそんな紙のドーナツをたくさん作って持ってきていて、糸に引っ掛けてどんどんと飛ばしていく。

 普段暮らしている街ではこんな凧揚げはできない。いまだに記憶に残る凧揚げだ。

 

 そんな祖父との記憶の中で、ひとつ心残りなことがある。小学校高学年になって、祖父の西国三十三か所巡りに誘われるようになったのだ。もう5年生だから、電車を使った小旅行に連れて行っても大丈夫だということだろう。なんでそうなったのかわからないのだが、祖父が一人ではつまらないから孫を、と思ったのか、孫と小旅行をしたかったのか。

 後で、叔母から聞いたと母から言われたのだが、祖父はこの小旅行に私を連れて行って、よく文句をいうやつだと辟易していたらしいのだ。でもね。小学校5年ですよ。お寺巡りにはまだ早いですよ。鉄オタでもないから電車に乗ること自体も楽しめないし、無口な祖父とお寺をめぐって朱印をもらうだけの旅は退屈ですよ。お寺の由来とかにも興味ないですよ。だからぶつぶつ言ったんでしょうね。凧揚げは覚えていても、お寺の記憶がまったくないのです。

 祖父も気を使ったようで、機嫌直しに、帰りに映画を観ようということになったんですが「ドラゴンとかいうから怪獣の映画かと思ったら、空手の映画やった」といってたそうです。これ、覚えてます。「ドラゴン危機一髪」です。ブルース・リーです。当時は「ブルー・スリー」だと思ってましたけど、当時の小中学生のあこがれの的です。ぼちぼち仮面ライダーを卒業する時期に現れた変身しない等身大のヒーローです。今見たら、悪い奴に騙されて、色っぽい店で酔っぱらってるようなシーンもあったので祖父は驚いたんでしょうけど、そんなシーンには関心なく、ひたすらアクションシーンに酔いしれていたんだと思います。ヌンチャクのおもちゃも買ってもらいました。おじいちゃん、その節は、せっかくの西国三十三か所めぐりを、楽しく過ごさせてあげられなくてごめん。

 今日、墓参りをして線香をあげてきた。