時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

太陽にほえろ! 13日金曜日 ボン最期の日

 俳優の宮内淳さんの訃報を知った。宮内淳さんといえば、僕にとっては、太陽にほえろ!のボンだ。

マカロニ、ジーパンという不良っぽい新人刑事が、型破りな捜査と壮絶な殉職で強烈な印象を残したことで、人気を不動のものとした「太陽にほえろ!」は、ジーパン殉職の後、不良っぽさのかけらもない純朴な柔道青年を新人刑事にキャスティングする。勝野洋演じるテキサス刑事だ。このテキサスの人気もうなぎ上りで、マカロニやジーパンが殉職した1年目が近づくにつれ、ファンから助命嘆願書がテレビ局に届けられたのだという。そのおかげか、テキサスは延命して2年目に入り、ボンがメンバーに追加されたのである。登場回のタイトルは「ぼんぼん刑事登場」。大阪出身で、心配性の祖母の役でミヤコ蝶々さんが出演。ミヤコ蝶々さんが、宮内淳さん扮する田口良刑事に対して「ぼん」と大阪弁で話しかけたので、あだ名がボン。

 宮内淳さん自身も大阪市内の阿倍野高校出身ということで、大阪弁の新人刑事かと期待したが、大阪弁でセリフをいう機会はほとんどなかったかなぁ。

 ボンが入って1年後、2年目を全うしたテキサスがついに殉職。翌週から沖雅也扮するスコッチ刑事が登場する。スコッチは、テキサスのさわやか体育会路線に一石を投じるクールな一匹狼で、番組の定番になっていた「ボスが、事件は解決したものの、悩みを抱えてしまった刑事にさりげなく寄り添う」というシーンで、ボスが自ら運転する車に、「乗るか?」と声をかけてもそれを断る、という当時の七曲署の空気ではありえない行動をとる。スコッチの存在は、時として馴れ合いになりがちだった一係に緊張感をもたらした。そのスコッチは、半年ほどで七曲署を転勤という形で去り、しばらく若手刑事がボンだけ、という時期が続き、ロッキー刑事の登場となる。ボンも先輩となり、下ろしていた前髪を上げて、タフな先輩を演じていた。ロッキーが入ってきたことで、ボンは、山さんやゴリさんと同様、殉職枠から外れたのだと思っていた。僕はそれを歓迎していた。そのくらい、ボンは七曲署になくてはならないメンバーになっていたのだ。しかし、その時はやってきた。マカロニに次ぐ13日金曜日の殉職劇は、名残惜しさを体現したかのように長い時間をかけて「その瞬間」を引き延ばしたが、ついに電話を通じてボスの声を聴きながら最期の瞬間を迎えたのである。銃弾を受け、血を流しながら、遠くの電話ボックスまで歩く間に、「俺の血、こんなに出て、あそこにつくまで、残ってるんかなぁ」と大阪弁でつぶやいた、という記憶がある。

 なんてことを、ほとんどそらでいえてしまうくらい、実は「太陽にほえろ!」フリークだった。今のようにDVDなどない時代、自らの記憶と、写真集くらいしか、あこがれの刑事たちを再現する術がなかった。

 宮内淳さんで覚えているのは、学園ドラマの続編の主役が決まったときだろうか、前作の主役だった中村雅俊さんとの対談を雑誌でみたことだ。その際に中村雅俊さんから送られた言葉として「いつまでも、あると思うな人気とお金」というのを色紙に書いてネタにしていたのを覚えている。

 ボンのセリフでは、新人のロッキーが「ボンさん」と呼ぶのを「その、ボンさんっていうのやめろよ、先輩でいいよ、先輩で」というのや、オーストラリアのロケで、日本食を恋しがって、「あつあつのごはんに海苔の佃煮かなんかベターっとかけて」とふっておいて、ロッキーがそれに同調したらキレる、という2つが、なぜかわからないけど、記憶に染みついている。たとえば、今でも海苔の佃煮のビンを見ると、そのセリフがふと浮かんでくるのである。もっと肝心なことでもたくさん忘れているのだから、何かの拍子でそんなことになったんだろう。幼少の頃の出来事でも2~3、鮮明に思い出すシーンがある。覚えていてどうなるわけでもないし、印象として強いエピソードでもないのだが。脳の不思議とでもいうしかない。

 脇道にそれたが、宮内淳さんは、その後は早々に俳優をやめて、児童劇団や地球環境を考える活動をしていたそうだ。

 意識的に俳優をやめて、高い志で取り組んでおられたのだと思う。けど生活費はどうだったんだろう、とか、下世話なことを考えてしまう。

 七曲署の刑事を演じた俳優さんも鬼籍に入られた方が多くなってきた。番組の開始から、もう50年近くになるのである。それでもテーマ曲は、今でも心のアクセルを踏み込むときに欠かせないBGMとして、スマホの中の音楽ファイルでも1・2を争う再生数になっている。

 各刑事のテーマ曲の中でも、「ぼんぼん刑事のテーマ」は、ナイーブな曲調で、名曲だ。