時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

春なのに…

 通勤用のママチャリだが、ゆーっくりと空気が抜けていく。虫ゴムが痛んでいるのかと思ったがそうではない。スローパンクというやつだ。チューブに極小さい穴が開いているのか、もう劣化がひどくてどうしてもだめなのか。パンク修理しまくったチューブなんでそろそろ変え時かもな。そう思って、自分で変えられるようにO型ではなくI型のチューブを買ってある。これだと後輪を外さなくてもチューブ交換ができる。

 でパンク修理の手順でチューブを外してみたら、なるほど、小さい小さい穴というか亀裂があって、水につけると小さい泡がポツンポツンと遠慮がちに出てくる。これかぁ、と思ってタイヤの方を見たら、小さい金属片が刺さっていた。これだ。

 久しぶりで、かなりもたついたが、約1時間で修理完了。その後、要介護犬の入浴介助。

 午前中に一度に用事を済ませたが、そういう気分になったのも、今日が最高気温19度の暖かさだからだ。いきなり春が近づいてきた。

 なのに。プーチンだ。あの顔をテレビで見るだけでむかついてくる。たとえ戦争をするにしても、せめて納得のいく理由を述べろ。その程度の気遣いはしろ、頭を使え。あのでたらめな嘘はなんだ。一国の長がいうこととは思えない。やくざみたいだといったらやくざに失礼だろう。なんだかご近所迷惑な騒音おばさんとかゴミ屋敷じいさんの言い分みたいな、屁理屈と自己都合にまみれて、憐れを感じる。それで世間に通用すると思ってるのか?昔、オーム真理教が怪しいとマスコミが連日のように広報の幹部をスタジオに呼んで、あーだこーだやっていたが、オーム側の広報の詭弁に辟易して、彼の姓をもじって、ああいえば上祐なんて戯言も流行ったが、なるほど、オームもそういえばロシアに軍事訓練に行ったりしていたような。で、自己都合にまみれたでたらめな屁理屈は、やはり全部嘘だった。テレビを見ていた普通の人たちが感じたことが、やはり正しかったのだ。

 今回もそうなのだろう。テレビニュースを見ているだけの一般人と違い、欧米諸国は、独自の諜報システムを使って、正確な情報を得ているはずだ。だから喧嘩両成敗のような反応にならず、世界中がロシアに制裁を加えている。金融や流通をストップさせる。いわば兵糧攻めだ。

 この先、どういう展開になるのかはわからないが、自国の利を求める手段として暴力を選択したロシアの政治は、相応の報いを受けなければならないだろう。

 などと政治を語るつもりではなく、言いたかったのは、暖かい春の日よりなのに、コロナだけでも鬱陶しかったのに、ロシアの戦争でさらに気分が鬱々になってしまっている、ということだ。春なのに…。パンク修理して、犬の入浴介助して、さぁ、快晴で暖かい春の午後、何しようかなと、気分いいはずなのに。海の向こうの頭の頭が狂った政治家のせいで気分がいちいち鬱陶しいのだ。

 この先は、たぶん気分が鬱陶しいだけではすまず、輸出入のバランスの乱れはそのうちこちらの生活にも影響を及ぼすのだろう。

 

 ちなみにハリウッド映画って、こういう時にカウボーイのような、わりと単純に勧善懲悪なヒーローが現れてスカッとさせてなんぼ、やったと思うけど。

 現実は、映画のようにはいかないか。かといって、時代劇のクソ悪みたいなのは、リアルに存在してのさばってるけど、長七郎や金さんや暴れる将軍や仕事人みたいな「ええもん」はいないのが現実、ってのも寂しいものだ。

回想法4 修学旅行の安宿と肉三昧ロックンロール

  かれこれ35年も前のことだ。いよいよ残り少なくなってきた京都での学生生活をどんな風に過ごそうかと考えつつ、卒業旅行の資金もためなければ、ということで、「記憶に残る珍しいバイトをして小遣い稼ぎもしよう」と欲張った計画を立てた。

 当時は、ネットもスマホもない。アルバイト情報誌を書店で買って仕事を探すのが当たり前の時代だった。

 

 その旅館は、修学旅行生専用らしく、一般のお客の受け入れはなさそうだった。

 僕らの仕事は、厨房と仲居さんのお手伝いだ。夕方に入って、夕食の準備を手伝い、配膳をし、学生が食事をしている間に各部屋の布団を敷いて、それが終わったら食事の後片付けをする。その後、仮眠をとって、朝食の手伝いと布団の片付けをして終わり。

 

 配膳だが、仲居さんは、足のついたお膳を何台も縦に積んで運んでいく。とてもじゃないけど真似できない。せいぜい3つ積んで運ぶのが精いっぱいで、それでも足元はふらついて、廊下で転んだりしようものなら旅館にも学生にも大変な迷惑をかけてしまうので、配膳よりも布団敷きの方を主にやっていた。

 ある高校では、布団を敷こうと押入れをあけたら女子高生が2人転がり出てきた。どうも押入れに隠れていたらしい。

「もう食事が始まるよ」というと、笑いながら走り去ったが、先生もたいへんだ。

 夕食にも学校によってランクがあった。厨房のおっちゃんが「葉っぱとあぶらつけてくれ」というと我々はお皿にレタスを敷いて、その上に揚げ物を置いていく。これをバイトのメンバーで流れ作業的にやっていく。揚げ物は、旅館で揚げるのではなく、揚げたものを業者さんが持ってくる。その時々で、から揚げだったり、ミンチかつだったり、とんかつだったりするのだが、学生に出す食事は、そのまま我々バイトや厨房のおっちゃんたちの賄い食にもなるから、業者から届く「あぶら」が何か、はバイトの面々の最大の関心事である。

 食事の後片付けが終わってから、ようやく我々の遅めの夕食になるのだが、後片付けの最中に、手が付けられてなさそうな料理があったら「もったいないなぁ」とかいいながら取り分けて「スタッフでおいしく」いただいていた。

 

 ある高校では、たしか横浜あたりの私学と聞いた気がするが、なんと夕食がすき焼きで、しかも、鍋に入れなかった生肉が大量に戻ってきたので、その夜は厨房のおっちゃんも盛り上がって、急遽賄い食がすき焼きになった。が、それでも食べきれないので、おっちゃんが肉をフライパンで炒めてくれて、牛肉炒めをおかずにすき焼きを食べるという、牛肉三昧の夜を過ごした。夜勤のバイトに来るような学生はみな下宿生なので、とにかくこの機に肉を食うぞ、ということで猛烈に食った。

 この横浜あたりの私学の学生さんたちは、とてもお行儀が良くて、礼儀正しく、羽目も外さず、押入れに隠れるどころか、朝、部屋にいったら布団が全部押入れにしまわれていて、感心したのを覚えている。布団はシーツごと畳まれていたので、結局は全部押入れから出してシーツを外して入れなおさなければならず二度手間になるのだが、こんなことをする学校は、僕がバイトしている期間ではここだけだった。

 

 さて、賄いが終わると、我々の入浴である。大浴場、といっても温泉旅館のようにはいかず、5~6名が一度に入れる程度の中浴場なのだが、もう学生は就寝時間だし、風呂場を使うのは我々が最後なので、比較的きれいに使われている、という理由で

女湯を使うのだが、アホな大学生男子には禁断の湯に思えて、興奮しながら入っていた。

 

 入浴が終われば、今度は旅館から徒歩ですぐのところにあるマンションに向かう。そこが従業員の仮眠所として使われている。万年床が敷き詰められた部屋で、それぞれ好きなところに転がって仮眠をとる。早朝5時頃に叩き起こされて、旅館に戻り、厨房のおっちゃんたちは朝食の準備。我々はその手伝いと布団の片付けをして仕事が終わる。

 このバイトで印象に残っているのは「先生のお膳」である。仲居頭さんが厨房に来て「センセー(カタカナに聞こえる)のお膳」と言ってまるで貴重品かのように捧げ持つようにして教員の部屋にいそいそと運んでいく。先生らは、食事自体は学生と一緒に食べているので、一仕事終えた後の、デザートや夜食みたいなものだったと思う。ビールもあったのではないか。どうも、これは宿側のサービスで、旅館の経営者が教員たちを接待するためのお膳らしい。旅館の経営者は、まだ若い兄ちゃんで、2代目かなにかだったのかもしれない。ひとりだけ常に背広にネクタイ姿で、たまに我々バイトがたむろしているところに来て、きらきらした眼で兄貴風を吹かせるので、うっとうしかった。我々に対して、肉体労働で汚れ仕事であることを労った後で、こういう仕事だから汚れてもいいジーパンでやってもらってもいいんだが、あえてスラックスにしてもらって申し訳ない。でも僕にはジーパンは、働くための服装とは思えないんだ、と何やら「仕事とは」みたいな薄っぺらい話を得意げにしていたのを覚えている。そうか。やはりあなたが理想とする仕事とは、スーツを着て、メロンの切り身と瓶ビールを手に、教員たちに「次年度もぜひご利用ください」と媚び笑いをすることなのだね、と思った。まぁ、今思えば、当たり前で重要で必須のトップセールスなんだけど。

 

ある居合道家の煩悶

 私の知人は、某連盟所属道場で10数年稽古に励み、練士に昇段された。現在は、勤めを定年され、連盟の道場を卒業し、フリーの立場で同志と共に稽古に励んでおられる。ここ数年は、家に居ることが多くなり、暇に任せてネットを検索していろいろな居合を見分されたとのこと。

 そこで、彼は気づいてしまったのだった。

 

「連盟で習った居合は間違っていた」

 

 まぁ、某連盟に所属していると、そのあたりをうすうす感じる人は少なくないようなのだが。

 

 疑問の発端は割と単純で、自信があった抜き付けで、試し斬りの藁を斬れなかったことだそうだ。学んだとおりの抜き付けで、刃筋が通っている証拠に鋭い刃音も鳴っている。

 なのになぜ直径10センチ程度の藁ごときが斬れないのか。

 何かが間違っていたのだろうか。だとしたら何が?

 

 そのヒントがyoutubeの海の中にあったのだそうだ。

 

  youtubeを検索しまくって、いくつもの居合道家の動画を見る中で、自分なりに納得できる解説をしている動画を見つけ、そのやり方を参考に、試し斬りに挑んだところ、抜き付けの一刀で横一文字に巻き藁を切断できたのだという。

 

 聞くと、その動画をアップしていた居合道家は、私が師事している方だった。

その居合道家も、元は連盟の道場にいたが、連盟の道場を辞し、自ら様々な研究を重ねておられる。その視点のひとつは、居合の型の中に、身体操法としての意味を求める、ということだ。

 たとえば、初心者の頃、正座からの斬り下ろしの場合、切っ先は床から15センチくらいのところに来るように、というような指導をされる場合があるが、切っ先を床から15センチのところで止めることに専念するより、正座からの斬り下ろしという動作の中で身体の各部が精密に連動することで、腕力に拠らず強い斬撃が出来た場合、切っ先は床から15センチあたりで止まるのだ。もちろん15センチ、というのも、刀の長さや腕の長さ、体格などで差は出て当然なので目安なので、そこを目指すのではなく、武術としての精密な身体操法を習得することを目的にする。

 

「居合の動作としてどれが正しいとか、あれが間違っているとかではない。ただ自分は刀という道具を用いた武術として、武術的な身体操法のヒントを型の中から見つけ出そうとしている」

 

 思えば江戸の昔より長い年月、多くの人がこの型で鍛錬をしてきたのであるから、やはりそこには刀を伴う身体操法の秘訣が書き込まれているのではないか、と思う。

 

 「居合道」には「道」として学び、守るべき点は大いにあり、「居合術」という場合には「術」として探求し、身につけることは多くある。人を斬る「術」として生まれ、「道」として人を導く。

 そう思うと、なかなかに深く難しいものなのである。

 

 先日、知人を伴って、その居合道家が主宰する稽古会に参加してきた。

 「Youtubeとおんなじこというてはったわ」って当たり前やん本人なんやから…。

 

17歳 パピヨンのマル、豆腐と牛乳で再び生還す

 飲み食いできなくなって主治医にも「延命治療はいたしません」と見離されながら、おばぁはんの誕生日の鯛をおすそ分けしてもらって食べてからみるみる回復して3年弱。一命はとりとめたものの、頭も体も時とともに弱り、今や食べて寝て、起きたらトイレの粗相をして、というだけの「ところかまわず排泄するぬいぐるみ」状態になっている老犬マルなのだが、年が明けて松が取れた頃から、まったく食べられなくなった。

 

 水だけは飲みたがるが、飲んでもすぐに吐いてしまう。好きだったおやつも鼻先まで持っていっても反応しない。食べないのにひたすら歩き回る。まさに「徘徊」である。眼の焦点があってない。よたよたと揺れながらひたすら歩く。食べてないのだからじっと寝てたらいいのに、と思うのだが、憑かれたようによたよたと同じコースを徘徊している。身体を触ると、いきなり骨だ。毛量が多いから見た目ではわからなかったが、すっかり痩せてしまっている。

 おばぁはんの誕生日は3月。こちらは幸いにもいたって元気で、楽しく誕生日を迎えられそうなのだが、マルは、もう、いよいよやね。おばぁはんの誕生日までは無理かも。けど、あれからがんばったね。と皆で覚悟を決めていた。

 

 しかし、何も食べないで、歩いて歩いて歩いて、で、ぽとっと倒れて旅立つつもりなのか。それが獣の死にざまなのか。そうやって自分で自分の段取りをしているのか…。えらいなぁ。しみじみ思う。

 

 何か食べられるものはないか、と、老犬用のミキサー食みたいな高級っぽい缶詰とか、あれこれ買ってみたがどれも反応を示さない、匂いをかぐこともしない。えー、うまそうやで、食ってみ。

 

 という状態の中、飲めなくなってはいたが大好きだった牛乳に、絹ごし豆腐を裏ごししてペースト状にしたものを混ぜてあげてみた。そしたら反応してぺちゃぺちゃと舐めるので、しばらく豆腐と牛乳をあげていたら、わりとしっかり食べるようになり、そうこうしているうちに、豆腐と牛乳以外に、前から食べていたドッグフードも少し食べるようになってきた。

 今や主食は「豆腐と牛乳のミックスジュース」。気分のいいときはサイドメニューのドッグフードもいただきます、という感じ。身体を触るとまだ痩せてはいるが、骨と皮の間にうっすらと肉だか脂肪だかを感じるようになってきた。今では好きなおやつをせがむようになり、徘徊もやめて、食って、寝て、トイレの粗相をする「ぬいぐるみ」状態にまでは戻っている。とはいえ、体調は万全ではないだろうし、なんせ高齢だし、明日のことはわからないのだが、今回に関しては、理由はわからないが、豆腐と牛乳で持ち直した。

 鯛もさすがだったが、豆腐はさらに偉大だ。豆腐を食べよう。

 

 

クライ・マッチョ/クリント・イーストウッド

 クリント・イーストウッドが監督で主演の映画である。91歳だそうだ。声の出し方とか歩き方、背中の曲がりぐあいなど、演技なのか、そのままなのかわからないが、見た目普通に老人だった。かなりの老人だった。もちろん老人の役をしているのだが、このドラマの主人公は、70代くらいが妥当かなぁ、と思いながら見ていた。

 が、とても素敵な映画だった。派手さはなく小品という感じの静かな映画だ。老いた元ヒーローの哀愁や矜持がじわじわと沁みてくる。全編に流れるカントリーミュージックもいい。

 

 クリント・イーストウッドというと、また古い話で恐縮だが、1983年のことである。ダーティーハリー4が封切られていた。その時知り合った女の子とはじめてデートをすることになり、映画を観に行くことになったのだが、何を観るかという段になって、相手がこちらに合わせるというので、素直に観たかったダーティーハリーを選んで、こちらは楽しんだのだが、彼女はいまいちだったのかもしれず、なぜか後々まで、そう、つい最近まで、突然思い出しては「なんでダーティハリーにしたんやー」と悔やむ、ということを繰り返しているのである。

 

 思えば、別にその子がつまらなそうにしていたわけでもなく、気まずい思いをしたわけでもなく、面白かったといってくれたはずなのだが。ようするに、そういう場面で、たとえ相手がそうしてくれといったとはいえ、真正直に自分が見たい映画を選ぶのではなく、相手に好みを聞いたりしながら、一緒に観る映画を相談するというような関りができなかったその時の自分を「アホやなぁ」と思っているのである。40年近く経って、その子の顔や名前すら思い出せないのにも関わらず、後悔だけが残っているのだ。

 たぶん、その時と同じ「そういうところ」がつい最近でも自分の行動にあるということを何かで認識してこうなってるんだと思うのだが。

 

回想法3 探偵事務所と黒猫のブルース

  かれこれ35年も前のことだ。いよいよ残り少なくなってきた京都での学生生活をどんな風に過ごそうかと考えつつ、卒業旅行の資金もためなければ、ということで、「記憶に残る珍しいバイトをして小遣い稼ぎもしよう」と欲張った計画を立てた。

 当時は、ネットもスマホもない。アルバイト情報誌を書店で買って仕事を探すのが当たり前の時代だった。

 

 見つけた!と思わず興奮してしまった。あった。探偵事務所のアルバイト募集。ベーカー街を皮切りに、さまざまな探偵の冒険譚を耽読していた私にとって、憧れの響き「探偵」。ついに、その探偵になれるかもしれないのだ。もちろんすぐに電話して、めでたく面接に行くことになった。

 事務所は、白い外観の小ぶりなマンションの一室だったと記憶している。ピンポンして、スピーカー越しに、どうぞ、と招き入れられ、玄関でスリッパに履き替えて奥の部屋へ。そこが事務所スペースになっている。入っていくと、籐のエマニエルチェアに座った長い髪の女性が膝に黒猫を抱いて出迎えてくれた。

「ごめんなさいね。この子がどいてくれないの」

 

 でた。これは…、ホームズでも金田一でも明智でもない、探偵事務所の最右翼、綾部探偵事務所じゃないか。椅子に座ったまま出迎えてくれた女性は真っ黒でまっすぐな髪が腰のあたりまであって、ちょっと太っていて、30代になったばかりくらいだろうか。

「みんな出払ってるんだけど」ということで、自分が所長だと名乗った。

「あなた原付持ってる?持ってたらその方がいいんだけど」

「いや、ないです。自転車なら」

「自転車かぁ」

「自転車といってもママチャリじゃないです。5段変速がついた…。やっぱり原付があった方がいいですか」

「そうねぇ。追いかけたりするときにはねぇ」

「追いかけるんですか」

「まぁ、相手が急にタクシーに乗ったりすることもあるしね」

タクシーに乗った相手を原付で軽率なエンジン音を響かせて追いかけるのか。

「浮気調査とか、多いからね」

「浮気調査ですか」

「そうよ。それが探偵。なに?殺人事件の犯人当てとかすると思った?」

そういって猫をなでながらふふふと笑う。

目をそらして壁をみたら、ホルスターに入った無線機が何台か並べて壁に吊るしてあった。

「あれ、無線機だけど、あれを持ってもらうの。あれで連絡を取り合いながら尾行とかしてもらう」

 原付があった方が助かる、というのと、できればいつでも連絡がつく環境で、連絡がついたらすぐに動けるようにしてほしい、ということだった。

 まだ授業が残っていてそれを落とすと卒業が危うい。携帯電話もない時代、下宿の玄関先のピンク電話に一日中張り付ているわけにもいかない。どうやらご期待に沿うのは難しいかもしれない、と断った。黒猫を抱いて、エマニエルチェアに座っている長い髪の女の人に気おくれしたのかもしれない。今思えば、チャリでも頑張れるから、とでもいって一度経験しておけばよかった。

 

これって小説のフリした暴露本?「女警」古野まほろ 角川文庫

 これはとんでもない小説に出会ってしまった。「ハコヅメ」を見て、交番勤務の婦警さんもたいへんだねー、と微笑んでいた笑顔が凍り付いてしまった。

 

 小説なのだ。警察小説だ。冒頭、驚くべき事件が起こる。しかし、単純に見える事件には謎がありそうだ。その謎を主人公が解き明かしていくのだが…。

 その過程には、推理ドラマにありがちな捜査のシーンや、追跡、アクション、そして物語に色を付けるための、主人公にまつわる蛇足のようなサイドストーリー、はなにもない。主人公の独白や関係者からの聴取目的の会話の中で、ノンフィクションのごとく語られる警察組織における女性警察官にまつわる問題。それも、古き日本のムラ社会の特性が煮しまったかのような警察という男社会の中での「女」に対する差別的で不当な扱い、その実態から目をそらした耳ざわりの良さだけのスローガン。そこで明かされる様々なエピソードや実際に女警として働いた人たちの呪詛に近い叫びは、たぶんフィクションではないのではないか。実際にキャリア警察官として内部にいた著者が見分したリアルが実に生々しく表出されていく。

 前半、警察組織の暴露が続き、ドラマがまったく動かなくてかなり動揺するが、後半に真相の一旦が読めてしまう場面があり、そこからは怒涛のように主人公の感情が加速していく。

 そもそも婦人警官、略して婦警さんという認識で、女警なる言葉はこの本ではじめて知った。パソコンでも「婦警」はすぐに変換で出てくるが「女警」は出てこない。その言葉を知らしめて、警察という濃厚な男社会で生きる「女」の警察官の悲痛な声を公開しただけでも、価値のある小説だと感じた。

 たまたまだったが、とても衝撃的な読書体験だった。

 

   

マンガアプリ「マガポケ」で「ハコヅメ~交番女子の逆襲~」を読む

 戸田恵梨香さんと永野芽郁さんがダブル主演をしたテレビドラマ「ハコヅメ~たたかう!交番女子」の原作である。テレビドラマの方は、ライトなコメディで、21年夏に楽しませてもらった。放映の最中、永野芽郁さんがコロナに感染してしまい撮影が中断。2回くらい総集編を放映していたと思う。

 ドラマは、キャストの面々がそれぞれすごくいい味を出していて、単にドラマを楽しむ、というだけではなく、登場人物それぞれに親しみを感じるような出来だった。

 その原作マンガが無料で読めるということで、マガポケをダウンロードして読んでみた。こういう場合、テレビや映画と原作がけっこう違っていたりして、がっかりすることも多いので多少不安はあったが、原作を見て驚いた。マンガの登場人物が、テレビのキャストとそっくりなのだ。逆か。テレビのキャストが、マンガのまんまなのである。キャラやセリフは当然のこと、そのそも人物の絵が。

 ドラマでは、原作にないキャラクターや設定ももちろんあるのだが、世界観というか、空気感はそのまま引き継がれている。年末に再放送していたし、ドラマのパート2が計画されてるのかもな、と期待していたら、今年の1月から深夜帯でアニメが放映されている。アマプラでも観れるようだ。

回想法2 祇園スナックゆうこの哀愁

  かれこれ35年も前のことだ。いよいよ残り少なくなってきた京都での学生生活をどんな風に過ごそうかと考えつつ、卒業旅行の資金もためなければ、ということで、「記憶に残る珍しいバイトをして小遣い稼ぎもしよう」と欲張った計画を立てた。

 当時は、ネットもスマホもない。アルバイト情報誌を書店で買って仕事を探すのが当たり前の時代だった。

 

 見つけたのは祇園のスナックだった。祇園といっても舞妓さんが歩いている通りとはかなり外れていた。夕方面接にいった。ママさんが面接をしてくれた。経験はあるのかと聞かれたので、ない、と答えた。実際になかった。白いワイシャツとネクタイ、黒いスラックスがあるか聞かれた。安物だが一応持っていたので、持ってるというと、明日から来てくれといわれた。

 翌日店に行った。

 スナックで大学生男子は何をするんだろう。ボトルを運んだり、氷を運んだり、雑用だろうとは思ったが、なんとなく映画で見たバーテンみたいに、カウンターの後ろで、アイスピックを操って寡黙に氷を割ったりするようになれたらかっこええな、と思っていた。

 最初にやらされたのは、おしぼり巻きだった。

 店には、男子大学生のバイトがもう一人いた。先輩だ。

 洗濯したおしぼりを二つ折りにして、テーブルの上で押し付けるようにしてしっかりと巻き、最後にキュッとひねって終わり。この最後のキュッがなんだかプロっぽい。

先輩にやり方を教わってやってみる。きつくきちっと形よく巻くことが、なかなかできない。

おしぼりを巻いていたら、ママさんが来て、チーママさんも来た。着物姿だったと思う。そうこうしているうちにお客さんが来た。今思えば30~40代の、若めのおっさん数人のグループだ。ママたちがテーブルについて接待を始める。にぎやかな話声が狭い店を埋めていく。こちらは何をしていいかわからない。ボーっとしていたら、チーママさんが席を離れてカウンターの方に歩いてくる。最初はにこやかに、そして次の瞬間に激しく顔をゆがめた。憎々し気な表情で、聞こえない声で何か言葉を吐き捨てた。そして次の瞬間には笑顔に戻る。そういう姿を何回か見た。

 そのうち先輩アルバイトがテーブルについた。チーママが私のところに来て、「テーブルについて。私が注ぐから、注がれたら、いただきます、といってお客さんと乾杯しなさい」といわれた。

 わけがわからないまま、テーブルについて、並々とウィスキーを注がれたグラスを客のグラスにカチカチ当てながら「ごちそうさまです」を繰り返した。舐めてみたがほとんど薄められてない。濃くて飲めない。

 それにしても、このスナックの客は男子大学生を相手に飲んで楽しいんだろうか。女子大生が相手ならわかるけど。

 そのうち、客たちが先輩をいじりはじめた。当時は「いじる」などという言葉はなかったが。

 客の誰かが先輩にどこの大学かを聞いた。先輩は、京大の2年だと答えた。私も同様にきかれたので、普通に答えた。こちらはしょぼい私大なので、おーそうかそうか、という反応だった。お客たちの矛先が先輩に集中する。

「京大出たら人生楽勝と思ってるのか」「社会に出てしまったら学歴は関係ない」「こういうことできるか、こういうことわかるか、京大では教えるのか」「でもこの子がもしうちの会社に入ったら、偉そうにできるのは最初だけ。10年もしたらへーこらせなあかんかもな」「そやなぁ」「飲めよ。飲ましたる」

 京大在学中の先輩は何を言われても、はい、はい、すみません、と低姿勢に徹している。そのうち夜遅くなってから、女の人がひとり来た。地味なお姉さんで、子どもを寝かしつけてからちょっとの間アルバイトに来ている主婦だという。その人が席に着いたら乾杯のやり直しだ。テーブルのそこかしこに散らばったグラスがさっと片付けられて、新しいグラスが並ぶ。私のグラスはほとんど減ってなかったが、下げられて空のグラスが来た。またそこになみなみとウィスキーが注がれ、カチカチとグラスを合わせる。後から来た女の人は、酒が飲めないということで、グラスはさっと下げられ、ウーロン茶のグラスに交換された。その後はにこにこと座っているだけだ。お客は相変わらず京大いじめに夢中である。何が楽しいんだろうか。

 客が帰り、店じまいになる。後片付けをしながら、京大の先輩は、「ここで俺は世の中を学んでいる」といっていた。ちょっとふらふらしているので酔っぱらっているに違いない。それでも、なのか、だからか、なのかわからないが、先輩は、なぜ自分がこのスナックにいるのか、この店で何をするのが店の役に立つのか、をぼろぼろとしゃべっていた。ここで働く以上は、この店のためになるようにがんばる。どうしたら店のためになるか。それは客の酒をできるだけ多く飲むことだ。

 京大といわず、適当に3流どころの私大の名前を出した方が楽じゃないか、といってみたが、京大といったからこそ、言われる言葉も、見える態度もある、という。マゾなのか?受験エリートであることに何か罪悪感でもあるのか?

「あんた、明日も来る?」とママに聞かれたので、一日置きに週3日くらいでもいいかと聞いた。慣れるまではね、ということだった。実際はほとんど舐めてただけとはいえ、長時間酒の席にいてそれなりの量は飲んでしまったようだ。

 それから何回か店に行って、同じような光景を何度か見て、出勤予定ではない日の夕方早い時間に店に行って、辞めると伝えた。

「あ、そう。何回来たんやったかな」

「6回です」

「ふーん」といって財布を出して背中を向け、こちらに向き直って、手にした何枚かのお札を「これ」と渡された。いくらなのか確認もしないで受け取った。

「ありがとうございました」というと、しばらくこちらを眺めている様子だったが、特に何もいわれなかった。ゆうこ、というのがママの名前だった。本名ではないだろう。

回想法1 京都五条ステッキボーイの憂鬱

 かれこれ35年も前のことだ。いよいよ残り少なくなってきた京都での学生生活をどんな風に過ごそうかと考えつつ、卒業旅行の資金もためなければ、ということで、「記憶に残る珍しいバイトをして小遣い稼ぎもしよう」と欲張った計画を立てた。

 当時は、ネットもスマホもない。アルバイト情報誌を書店で買って仕事を探すのが当たり前の時代だった。

 

 そこで見慣れないバイトを見つけた。ステッキボーイと書いてある。時給はけっこう高かった。当時は500円とか550円くらいが相場だったと思うが、1500円とかではなかったか。仕事の内容を見ると「旅行者の道案内」とある。なるほど、だからステッキか。ガールじゃなくてボーイの募集ってことは、重い旅行バッグを持たされたりするのか。京都だからな。短期間であちこち見て回りたかったら道案内も必要だろうな。

 そんなことを思いながら五条河原町から電話をする。そこから電話しろと書いてあったのだ。電話をかけたら、道順を教えてくれる。そこまで行ったらまた電話しろという。当時は道のどこかしこに公衆電話があった。指示通りの場所に行くと、電話がある。またそこから電話をする。また道順を示される。そうやってたどり着いたのは、場末の路地の奥の、小さなスナックだ。ドアに小さく書かれている店名は、ステッキボーイの募集をしている会社名とは全然違うものだった。けど電話で指示されたのはその店だ。

 恐る恐るドアを開ける。5~6席くらいしかないカウンターと小さいテーブルが2つくらいの小さなスナックで、全体がピンクっぽかった印象がある。カウンターの奥に男が一人居た。

 「いらっしゃい。電話の人?」

 とカウンターの奥の男が聞く。その瞬間、猛烈な違和感に襲われた。違和感である。違和感としかいいようがない。ぶよっとした小太りの男。皮膚が妙にぬめっとしている。唇が赤い。いかつさや怖さは全くない。暴力性を感じない。なんというか気色悪い。

その男がカウンターに座れという。そして話はじめた。

「この仕事はね。みんな割り切ってやってる。あなたは大学生ね。いるわよ。大学生。みんな割り切ってやってる。ここに待機していてもいいし、連絡取れるなら家に居てもいい。お店との契約は食事のお付き合いまで。そこまでは時給。そこから先は、自分自身で決めていい。5000円とか15000円とかもらう子もいる。割り切り方次第ね」

 なんとなく様子がわかってきた。

「お客さんはどんな人ですか」

「そうね。出張で京都に来るビジネスマンが多い。みんな優しい人よ」

「女性ですか」

「男性が多いわね…。というか、ほとんど男性ね。年配で余裕がある、そういう方々」

「そうですか」

「大丈夫だと思うわよ。割り切り方次第だし。無理と思えば断ればいいし。まずは、この紙に連絡先とか書いてくれる?この欄には本名、この欄には源氏名を書いてね」

「ゲンジナ?」

「お店での名前。本名でやってもいいけど」

「女性のお客はいないんですよね」

「そうね…。いないわね」

 おい。女性客ならやるのか?と自分にツッコミを入れたかどうかは覚えていない。

 

「すみません。何か勘違いしてたみたいです」

「どうも、そうみたいね」

そういうと男は手をひらひらさせた。そのひらひらに救われて、ドアの外に出た。