時速20キロの風

日々雑感・自転車散歩・読書・映画・変わったところで居合術など。

引きこもりトレーニング/アマプラその後

 ひょんなことで、想定外に、30日間の無料お試し会員に入ってしまったのだが、ぼちぼち期限が迫ってきた。

休日が雨がちだったことや、家人が出かけて留守番することが多かったので、その間に見た映画は

 

日本刀~刀剣の世界

万引き家族

病院坂の首縊りの家

ミッション・イン・ポッシブル フォールアウト

ターミネーター新起動

シン・エヴァンゲリオン劇場版

エヴァンゲリオン劇場版Q

マスカレードホテル

砂の器

真昼の決闘

ペルソナ

 

 の11本になった。

 シン・エヴァンゲリオン劇場版以外は、TSUTAYAで88円で借りることができる旧作だ。レンタルDVDで新作扱いのものは、アマプラでも有料である。お試し期間が終わると、正規会員は月額500円ということなので、毎月コンスタントに5本以上、というとそんなに見ない気もするが、レンタルしたり返しに行ったりという手間を考えるとやっぱり気軽に使えて便利かも。TSUTAYAの閉店が続くはずだ。店を構えているよりも、ネットで借りてもらう方がローコストだし利益率は高まるんだろう。

 で、「元とらなあかん(無料期間やけどね…)」と生来の貧乏性でせっせと映画を観た代わりに、チャリ散歩や読書の時間が減った。しかも、同時期に、特に考えもせず、SNSに頻繁にCMが出てくるまんがアプリをインストールしたので、これも読まないといけなくなって、小さい液晶画面と向かい合う時間が増えた。まるで定年後の引きこもりトレーニングをしているかのようだ。

 

 う~ん、それではダメだ、外に行こう、人に会おう、これからは会社ではなく地域で活動しよう、せめて映画を観るなら映画館に行こう、いくつになっても人は成長できるんだ!

 っていうけど、そんなに気張らなんでもええんちゃうん? そうしたい人はそうすればいいけど、それほどそうしたくないのに、そうしなきゃ、とか思って「努力」するのもどうかと思う。自分自身や生活に何ほどの価値も見出せなくても、なんとなく暮らしていければそれでええやん。

  

 そんなことを思いながら、ある日、実家で、とある探し物をしていたら、35年前くらいの写真が出てきた。まだ青年になりたての自分がいた。若い!当たり前やけど。しかも割と見れる顔やん、手前味噌やけど。髪もふさふさやし、腹も出てないし。

 ちょっときどってカメラを見つめるこの青年は、自分が35年後にどうなってると思っていたのか。どうなりたいと思っていたのか。

 その辺が何も思い出せないってことは、その頃からさして大志も抱かずだらだら生きていたんだろう。ならば必然の未来ってことやな。

 写真の中で、この青年が来ている赤いアロハは、今も洋服ダンスにぶら下がっている。

 物持ちだけはええんやな…。

 

映画 病院坂の首縊りの家 1979年 監督 市川崑 石坂浩二 桜田淳子 佐久間良子

 アマプラで何を観ようか、ということでメニューを探していると、石坂浩二金田一耕助シリーズがたくさん入っていたので、シリーズの最後を飾った「病院坂の首縊りの家」にした。今から42年前。映画館で観た。それっきりなので42年ぶりだろう。

 ほとんど覚えてないから新鮮に観れたのだが。

 

 とにかく驚いたのは桜田淳子さんだ。同じ顔で正確が全く違う1人2役をやっているのだが、演じ分けが上手い、そして美しい。おとなしいキャラの方の演技はわりと誰でもできそうだが、ややエキセントリックな方の演技のキレは見事だった。

 この映画に桜田淳子さんが出てることも、その美貌や振り切った演技も、何も覚えていなかったので、42年前はまだ、この桜田淳子さんの良さがわからなかったんだろうなぁ。もちろん佐久間良子さんの美しさも。

 けど、一連の金田一映画をホラー映画のようにいう人もいるけど、ホラーではないなぁ。そういう映像的怖さはない。そう思われるのは文庫本の表紙のイメージなんだろうけど。どっちかというと、肉親や男女の愛憎や業の物語だ。怖い、というより、哀しくて、やりきれない物語である。

 

アマプラ(Amazon Prime Video)なるものを使ってみた。

 月曜日に必要な品物を、金曜の夜になって、買わなければいけなくなった。あわててAmazonで探して、注文したのだが、その際に、それを買うとAmazon primeの30日間無料お試し会員になれる、と書いてある。興味はないので断ろうとしたが、どうも断り方がわからない。私が気づかなかっただけなのかもしれないが、翌日配達にしてもらおうと思ったら、自動的にお試し会員になる仕組みになっていた。ように思う。少なくとも、断り方は、わかりにくかった。迷ってもいられないので、まずは注文をした。ポイントサービスもあったと思う。

 なので、まったくの想定外だが、突然に、Amazon primeのお試し会員になったのである。

 仕組みもまったくわからないのだが、映画が見放題ということで、とりあえず、まだDVDにもなっていない「シン・エヴァンゲリオン劇場版」と、一度しっかりと見てみたかった「砂の器」と、近々続編があるらしいのだが、小説が面白かった「マスカレード・ホテル」の3本を、一日で観た。

 エヴァンゲリオンは、実は縁がなくて何も知らないのだが、春先の緊急事態宣言の際に、予備知識なしで映画館で観た。だから2回目なのだが、やはりよくわからなかった。どころか、ほとんど詳細を覚えていなかったのには、我ながら情けない思いがした。2時間を超える映画だが、もう1回観る気がしている。何度見てもよくわからないままだろうけど、何か新たな発見がありそうな気がする。それにしても、この映画、男の子がいじいじしていて、女子が、潔く、勇猛に戦う、叫ぶ、怒る。それに引き換え、主人公たちと敵対する、いわば敵の親玉も、わかったような理想を口にしてはいるが、どうも、その行動の動機は、亡き妻に会いたい、という、なんだかじめっとしたもののようなのだ。なかなか面白い世界観だ。

 

 「砂の器」は、楽曲の素晴らしさが話題になるが、まさにそんな感じだった。重くて暗い物語なのだが、丹波哲郎のひょうひょうとした演技が救いになっている。演技なのか地なのかわからないけど。

 マスカレードホテルは、原作を読んだけど、ホテルあるあるを上手に絡めたストーリーが絶品だった。映画もエンタメ性十分で楽しめる。18日にテレビで放映されるそうです。

「私をスキーに連れてって」その原題はなんと

 映画「私をスキーに連れてって」は1987年の作品。バブルの時代。「サラダ記念日」「ノルウェイの森」がベストセラー。そんな中、この映画は、ラブコメ映画でありながら、当時の若者のスキー遊びのマニュアルだった。登場人物たちの生活は、冷静に考えれば、手が届かないのだけど、遊べ、遊べ、金使え、というバブルムードの中、もうちょっと頑張れば俺だって、と思えたか、猫も杓子もスキーにいった。夜を徹してバスに揺られ、リフト待ちはディズニーランド並み。ゲレ食は常に満員。しかも初心者なら、リフトでてっぺんまで行ってしまえば、ボーゲンで急斜面にびびりながら、尻もちつきながら、時間かけて降りてくるので、リフト券1日分買っても乗れるのは数回。それでも頭の中にユーミンの曲を鳴り響かせながら、おいらはスキーに行っていた。

 その青春のバイブルのような映画の、元のタイトルを、脚本を書いた一色伸幸さんがtwitterに書いておられた。

 こんな感じだったそうだ。

 

私をスキーに連れてって」←「万座の恋の物語」

「彼女が水着に着替えたら」←「潜らん哉」

波の数だけ抱きしめて」←「ラジヲ曼荼羅

 

 どういういきさつで、どういう変遷でタイトルが変わっていったのかはわからないが、良かったねぇ、いいタイトルになって。タイトルを替えた人、グッジョブ!

 

 私の友人はこの映画のビデオを擦り切れるほど見て、オフィスのシーンで画面の上に撮影で使う集音マイクが映りこんでいるのを見つけたりした。

 

 それにしても、今のコロナ禍での閉そく感を思うと、なんという夢と希望のあった時代だったのだろうか。もちろん当時から「バブル」っていわれていて、あぶくだとわかってはいたはずなのだが。

 

こらこら、大阪人をオチにすな!

 夜のニュースショーを観ていたら、眞子様のご結婚のニュースを取り上げていて、ひとしきりの解説の後、お約束の、「街の人の声」の映像を流していた。若い人もそうでない人も、マイクを向けられて、それぞれ真面目に自身の感想を語っていた。何組か、そのような発言風景を映した後、関西弁の若いお姉さんの2人組が映って、そのうちのひとりが「自分の人生なんやから、自分がやりたいようにやったらええと思うなぁ、知らんけど」的なことをいって、横にいた友人にどつかれたところで「街の人の声」のコーナーが終わった。

 おーい。オチに使われとるやないかい。そもそも東京のどっかでロケしてるんやろうに、なんで都合よくべたべたの大阪弁のお姉ちゃんが現れて、ご期待通りのことをいうんやろう。「すいません-ん、インタビューしてるんですが、面白いこと言える関西出身の方いますか?」とか呼びかけてるのだろうか?

 まぁ、ええけど。

 

※お姉さんのセリフは正確に記憶できたわけではないので、そんな風なことを言った、ということで。

 

 けどSNSとか見ていると、同一人物と思われる人が、あるインタビューではOLさんとして、また、あるインタビューでは女子大生として、向けられたマイクに応えている画像(テレビ画面をキャプチャーしたもの)を挙げていたりして、やらせ、というのか、仕込みというのか、そういう演出が当たり前に行われているテレビの裏側みたいなのを暴露したりしている。

 そういう意図の番組だと標ぼうしていればいいが、ニュースや報道を名乗るなら、視聴者としては「そこまでしてくれんでええで、あんたらが思うほど、こっちもアホちゃんねんで」といいたくもなる。

 

大阪の家には必ずたこ焼き器がある。

 まぁ、確かにある。うちにもあるし、実家にもある。だからといって、しょっちゅうたこ焼きを焼いて食べているかと言えば、そうでもない。と思う。ではなんであるんだろうか。自分なりに考えてみた。

 たこ焼きを一番食べたがるのは、小学生だ。お祭りの屋台とかで見かけて親にねだる。で、親は渋る。見るもの見るもの欲しがるし、切りがないから。でもたこ焼きくらい食べさせてやろうか、と思うのだが、そういうところのたこ焼きは、やはり高い気がする。そこで、そんなん家で作ったるわ、となる。家やったら、もっと大きいタコ入れたるし、紅ショウガも天かすもいれて、もっとおいしいのんできるで。あとはソースとマヨネーズと青のりがあったらええねん。

 ということでタコ焼き器を買うのではないだろうか。実はうちではそうでした。

 けど家で焼くのはたこ焼きよりはお好み焼き。お好み焼きはごはんになるけどたこ焼きはおやつかなぁ。あと、一度東京で「大阪の人ってしょっちゅう串カツ食べてるの?」と聞かれるくらい、串カツが大阪名物みたいになってるけど、あれは新世界のジャンジャン横丁という、労務者の町で、安くて、腹いっぱいになって、酔っぱらえる、という串カツ屋が2件並んでいて、それは知る人ぞ知るという店だったのだが、それがなぜかいつのまにか、メジャーになってしまったのだ。昔、あの辺りが再開発されて、ショッピングビルみたいなのが建って、ビルの中を走り抜けるジェットコースターが売りになってた時期があったから、その頃なのかなぁ。レトロブームみたいなのもあったし。でも、そのビルもすぐにつぶれて今はもうないけど。

だとしたら、串カツが名物としてプロデュースされた歴史は浅い。大阪人が串カツが好きでしょっちゅう家でも串カツ食ってるってことは、ないと思うなぁ。うちだけかもしれんけど。

 

えー、ニュースショーの演出された映像を政治家も役人も信じてるの?

 深夜の歌舞伎町やらで騒いでいる若者を、顔にぼかしかけたり声を替えたりして「感染したらしたときだと思ってるし、自己責任っしょ」「ここにきたらみんないるし楽しい」みたいなことを言って、路上でしゃがんで缶チューハイ飲んで騒いでいるのを映して「もう、世の中の若者ってみんなこんなんですよ。この国は大丈夫なんでしょうか!」っていう演出された映像をよく見るけど、それはすべての若者の中の一部。たとえば私の時代、40人学級に3人くらいは不良がいたけど、残りの37人は地味な普通の人だった。

全員がな~んも考えず、危機感も責任感もなく、人の迷惑顧みず、で、そんなだから接種率が低い、のではなくて、討ちたくても順番回ってきてないだけ。だから接種できるよってなったら行列するわ。

 でも、知事さん、噂によると10億の予算使って、若者へのワクチンキャンペーンをしようとしてるとか。知事さんは、そうこうしているうちに、若者にも順番が回ってきたら、普通にワクチン打ちにくるだろうことを予測して「若者がワクチンを打つ気になったのは、私のキャンペーンのお手柄よ!」っていいってやろうともくろんでたのかな。だとしたら渋谷区のおかげで目論見が外れてしまったね。

 

 話は変わるけど、「秘密のケンミンショー」って番組で、「秘密の大阪」っていうコーナーがちょくちょくあって、ちょけたおっちゃんやおばはんが出てきて、サービス精神満載でおもろいことをいうのだが、東京で、名古屋で、あれが大阪人のスタンダードだと思われているのを知って驚いた経験がある。東京では、知人のお姉さんにいきなりエイや!と斬りかかられたので、「あぁ、あれか…」と思いながら、「うぎゃー」と倒れて見せたら、「やっぱりやるんだ…」と目を真ん丸にされたことがあって「何を期待されてるのかわかってるからやっただけやで、大阪人全員がこんなことするわけちゃうで」と真顔で説明をしたりした。

 もちろん、そういう人がいないわけではありません。います。確実にいます。でも全員ではありません。テレビは、新世界やら天六の商店街やら、そんな人の割合が多そうなところで、のってくれそうな人にカメラを向けてるんやと思います。

 

 結局、報道だなんだいってても「若者が危機感なくてワクチンも打とうとしない、自分たちは重症化しないと思ってる。そういう映像をとってこい!」なんてことでやってるんでしょうね。その方が、井戸端会議が盛り上がる、盛り上がれば儲かる、ってわけでしょう。

 文字喧嘩の戦場になってしまったtwitterでは、たとえば缶コーヒーを上から見て「丸いに決まってる」という人と、真横から見て「長方形だ!バカが!」といってる人が、カーっと興奮しながら、突き指するくらいの勢いでスマホの画面つついてるんじゃないかと思ってしまう。

 どういう情報を手に入れて、どう解釈するのか。なかなか難しい世の中になってきている。

ついに、「劇場版 鬼滅の刃」を観た! DVDで。

 予備知識はほとんどなくて、GyaO!でテレビ放映の第1話を観たくらい。でも、コロナ禍の中、異例な興行成績を叩きだしたことは知っている。公開期間も長かったので、一度見に行きたいと思っていたのだが、結局は行くことはなく、今般DVDを借りて観たのである。

 感想は、個人的な感想であることをお断りしておくが、絶叫系のバトル映画だった。主人公が敵と戦うのだが、主人公側にも敵側にも、哀しい事情があり、それぞれのドラマが涙を誘う。また、登場人物のセリフも意味深い名セリフの連発で、特に煉獄さんの語りをたくさん子供たちが必死に聞いたのだろうから、そのことの効果は大きいと思う。今はよくわからなくても、記憶に残っているセリフは、いずれ自分自身を助けてくれる場面がきっとあるだろう。

 ただ、興行成績の異様な爆発を知って、いったいどんな話なのか、と期待値があがりすぎていたためか、「こんなもん?」というのも本音の感想だった。たとえば先日テレビでやっていた「もののけ姫」は、何度見ても、そのたびに何か発見があったりするのだが、そういう種類のドラマではなさそうだ。純文学とエンターテイメント小説の差のようなものかもしれない。どっちが上とか下とかではなく、作りが違うのだ。

 などといいながら、「英信流 中の伝 三の形 稲妻!」とか言いながら刀を振りたくなった。

100均のダイソーで売ってる300円の無線マウスを使ってみた。

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 会社で使っている古いDELLのPCに標準でついている有線マウスは、左クリックボタンの色が剥げるほど長年使っている。今般机の上のレイアウトをちょっと変えてみたら、コードの長さが微妙に邪魔になってきた。そこでダイソーで売ってる300円の無線マウスを購入した。単4電池を2本使用する。普通に使える。マウスの種類はしらないので、超高機能マウスがあるなら比較はできないのだが、少なくとも今使っている古いDELLのマウスと比べて、何の遜色もない。というか、白い事務机の机上で動かすと、パソコンについていたDELL純正マウスは、ときどきポインターがぴょんぴょん飛び跳ねることがあったが、ダイソーの方にはそれがないから、私の現状にとっては、ダイソーの300円マウスの方が使える。コードも邪魔にならないし。

 

 実は、これの前に、同じダイソーの300円マウスで、平べったいデザインのを買ったことがあるのだが、それはマウスの真ん中についているホイールが、初日に壊れてしまった。分解したらホイールの軸がプラスティック製で、そこがぽっきり折れていた。ほかのマウスがどうなっているのか知らないから、軸がプラスティックなのが、普通なのか、せこすぎなのかはわからないが、ホイールをくりっくりと回したら急にカラカラと空回りしだしてあっという間にお陀仏になった。

 

 ダイソーで初日に壊れたのは、この時の無線マウスと、2穴パンチだった。2穴パンチは、買ってきて、書類を挟んで、ハンドルをぐっと押したら、ハンドルが根元からボキッと折れてしまって終了。かろうじて空いた穴を見せて「どうや、この穴、ひとつ50円やぞ」と社内で自慢して回った。まぁ、ネタもらったからええか、と思っていちいちクレームしたりはしない。100均には100均なりの当たりはずれがあって、一種のあてもんみたいな楽しみもある。100均のはずれ体験を集めたら面白いし貴重な情報になるかもしれない。

 

 さて、初日にお陀仏になったマウスも、しばらくは「ホイールのないマウス」と命名して使っていたが、やはり不便なので、性懲りもなく、ダイソーの別のデザインの300円マウスを購入したところ、こちらは長持ちしている、ということである。もちろん、先の失敗を教訓に、ホイールを使う時にはむやみに力を入れずにそっと回しているということも影響しているのかもしれない。

 ダイソーの300円マウスは普通に使えるが、ホイール回すときには力の入れ過ぎに注意、ということで。

モデルナワクチン 2回目 中高年 男性の場合-2

  2日目。盆休みでなければ、仕事は休みにするつもりだった。現在、接種から24時間。服薬から10時間。熱は36.5℃で平熱。少しだるい、というか眠い。これはこのところ暑くて夜中に目が覚めたりして眠りが浅いからかもしれないが、いつもよりも眠い。外は大雨で家にいてぼーっとしているから余計にシャキッとしないのかもしれない。頭痛というほどの頭痛もない。しいていうなら風邪が完治するちょっと前の感じ。注射の跡は腫れていて鈍痛がある。腕を水平まであげても痛みはないが、それ以上にあげると痛みが出て、まっすぐ上に伸ばすと「イテテ」という感じ。1回目接種の翌日の感じとよく似ている。いまのところ、注射をしてくれた医師のいうとおりの結果になっている。

 結局そのまま、午前中は、ソファに寝転がって本を読んだりうとうとしたりして昼近く。なんとなく熱っぽい。肩が痛い。歩いてもないのに足がだるい。すこし頭痛もする。熱を測ってみると、37.6℃。おーっ、ついに熱が出たー。12:30のことである。接種から27時間後、ロキソニンの前回服用から13時間後経過している。お昼にラーメンを食べて、食後にロキソニン服用。横になってしばらく様子を見る。外は相変わらずの雨だ。おかげで室温はさほど高くなく、冷房はなしで、窓を開けて過ごしている。

 その後、昼寝の後、来訪者の対応などして16:20。検温をすると36.8℃。平熱よりは若干高いが、熱は下がっていて腕の痛みも軽くなっている。シャワーを使って18:30。だるさや頭痛と言えそうな症状は軽快している。ぼちぼち峠は過ぎたのかも。

 2週間後には抗体ができるそうだ。とはいえ、日常生活において、マスク、手洗い、ディスタンスの類は継続するし、会合や会食も極力遠慮する。機会を作って旅行はしてみたいが、大勢でわいわいがやがやはしない。気心の知れた少人数でのんびりした旅をしたい。

 考えてみれば、若さを持て余したパリピはともかく、陰キャな中高年にとっては、コロナ禍の中の制限された暮らし、はさほど困りもしないのだった。

 ただ、家飲みが講じて自分で作るようになったカクテルの本物を、どこかのバーで味わってみたい。

 

追記:夜が涼しかったせいか、久しぶりに熟睡感を得た接種翌々日の朝。注射部位に外科的な痛みは若干残っているものの、副反応らしい症状は快癒。幸いに、副反応は接種翌日だけでおさまったようだ。